【柳原学園中等部】

□第二章
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中等部一年、紅葉が舞い少し肌寒さを感じて来た頃。
相変わらず目立たないように過ごしている綾部は、学園を散策しているうちにふと気付いた。
とある生徒が、いつも同じ時間くらいにある場所へ入って行く。
とある生徒。
入学してから既に知らぬ者はいないというくらいに目立つ存在となった、彼。
松村悠里。


「…なんであいつが…?」


綾部は悠里が今日も入って行った校舎を眺める。
ここは確か、図書室、いや、もはや図書館と言える場所。
あの俺様何様、本なんて読みませんって奴がこんな所に通っているとは。
しかも一人で来てるってことは、意識的に忍んで来ているのだろう。
そうじゃないと、取り巻きたちがくっついているはずだ。
綾部は少し落胆の息を吐く。
この図書館にはあまり知られていないようだが、屋根裏のような場所がある。
ひと気も少なく、目立たず、綾部もいつか一人になりたい時に使おうと思っていた。
しかしあの松村悠里が来るのならば行く気はなくなった。


「…あんな奴と顔見知りにでもなったら目立つ」


中等部も高等部もこのまま空気のような存在感で卒業して。
家業は継がず、何かで起業して、生計を立てて。
裏切った大人たちを見返すなんてことはしない。
憎悪も、何もかもを超える程の、無関心。
あいつらにもう関わりたくない。
ただ、静かに暮らしたい。
綾部はあの目立つ存在から目を逸らし、その場をあとにした。



そして更に数日経ったある日。
悠里を目撃してから足が遠退いていた図書館回りに久々に足を踏み入れた。
何故自分があの松村悠里から逃げるような真似をしなければならないのかと、思い直したからだ。
目立ちたくはないが、避けるのも性格に反する。
学園では大人しくしているが、本質は暴れ回っている夜の方だ。
綾部は図書館を見上げた。
今日もアイツは来ているんだろうか。


「…まぁ、俺には関係ないことだけど」


そう誰ともなく呟いて、綾部はそこから離れようとした。
その瞬間。
バンッ!!、と。
突然大きな音がした。


「なに…」


綾部は思わず驚いて振り返ると、図書館の扉から、転がるように二人が走り出て来た。
一人は、あの松村悠里。
そしてもう一人。
少女と見紛うような顔立ちをしていて。
制服が裂かれ、乱れていた。


「っ、早く、こっちに…!」
「ま、待って、アタシ、どう、しよ、アタシ…っ」
「分かってる、とにかく、逃げないと…!!」


二人は綾部に気付くことなく、どこかに走り去ってしまった。
綾部はその背中を呆然と見送る。


「…なんだ、あれ」


あの松村悠里の、あんな表情は初めて見た。
一瞬、もう一人の乱れた姿を見て、もしかして屋根裏で一発ヤっていたのかと思ったが。
それにしては、どうにも。
切迫していた。
逃げないと、と聞こえた。
何から?


「…っクソ、待てやクソが、邪魔しやがってぇ…っ!!」


その声に再び綾部は図書館の出入り口に目を向ける。
そこには、頭を押さえながら顔を歪めた生徒が一人、よろめきながら出て来ていた。
ズボンのチャックが空き、制服に白いものが付着している。
綾部はそこで状況を全て悟った。
この男があの可愛い顔立ちの生徒を強姦していた所に、松村悠里が遭遇して。
殴ったか何かをしてあの生徒を助け、逃げていたのだと。


「せっかく、アイツから、情報を買ったのに…もっとぐちゃぐちゃにしねぇと、割に合わねぇ…!」


段々と頭がはっきりしてきたのか、キョロキョロとどちらに逃げたか捜しているようだった。
綾部はその一部始終を眺めて、全てを悟った上で。
その場から離れようとした。
こんな事件に巻き込まれたら目立つ。
良いことなんて何もない。
助ける義理なんて何もないのだから。
例え、誰も見たことがないくらい、必死な表情であの子を助けた松村悠里であっても。


「あいつ、松村の野郎も、タダじゃおかねぇ…! 殴って、何ならアイツも一緒に犯して、晒しモンにして…」


ぽん、と、本当に、無意識に。
綾部はそいつの肩に手を置いていた。
その自分の行動に綾部は目を瞬かせる。
いったい、自分は何をやっている?
肩を叩かれた男は、あ? と怪訝な表情を浮かべた。


「なんだテメェ」
「……」
「そうだ、お前、二人組見なかったか? 一人は一年の松村悠里って奴」
「……」


そんな質問をされているが、綾部は何も聞いていなかった。
何故こんな行動に出ているのか。
その問いだけが頭を巡っていて。
答えない綾部に、男は顔を顰める。


「何も知らねぇなら出しゃばんじゃねぇよ」
「…うん、そうだ」
「あ?」


綾部は、よし、と頷き、男を見据えた。


「…俺もあの子を狙ってたってことにしよう」
「は?」
「今の今まで顔も何も知らなかったけど、そういうことだから」
「なに……がっ、は…っ」


どす、と綾部の拳が男の腹に消え、重い音が聞こえ。
男はずるずると、倒れた。
その倒れた背中を見下ろして、言い訳のように呟く。


「自分のもの狙われたら腹立つの当然だよな、うん」


顔立ちが可愛らしいからと言って、綾部は別に男は好きな訳じゃない。
街でも女しか相手にしてきていない。
学園ではそういう風潮があるらしいが、目立たないように過ごす綾部は誘われたことも誘ったこともない。
でも今は、それはそこら辺に置いておいて。
そういうことにしておかないと、自分の行動の理由が分からない。
それにしても。


「…こいつ、どうしようか」


気絶させたのは良いが、このまま放置しておくと何倍も面倒なことになりそうだ。
教室まで捜しにきて、さっき俺殴っただろ、とでも言われれば。
目立たないようにしてきたのに、その苦労も水の泡だ。
教員に伝えるにしても、どう説明したら良いのか分からない。
自分が殴ったと知られるわけにもいかない。


「おい」
「!!」


新たな声が聞こえ、綾部はその声の主に目を見開いた。
色を抜いた髪、鋭い目、普通の生徒とは違う雰囲気を持つ。
御子柴竜二。
何てことだ、関わりたくないツートップに出遭ってしまった。
御子柴はポケットに手を突っ込み、倒れている生徒と、綾部を交互に眺める。


「どういう状況だ。テメェがやったのか?」
「…いや、俺も偶々ここを通りがかったら倒れてて。どうしたら良いのか途方に暮れてたんだ」
「ふぅん…」


御子柴は片眉を上げてその言葉を聞き、どこかに電話をかけ始める。
何かを電話の相手に伝え、そのまま切った。


「今、その筋に連絡した」
「その筋…?」
「高等部の風紀委員みたいな組織の一人…みたいな奴だ」


柳原学園高等部には、風紀委員というものが存在する。
高等部の風紀委員は力による事件解決の権利を有しているが、中等部にはそれがない。
それこそ、玄関に立って挨拶をしたり、服装検査に立ち会うくらいのものだ。
しかし御子柴によれば、どうやら中等部にも風紀を取り締まるような組織があるらしい。
それが学園公認なのかどうか知らないが。


「あのさ、俺がここにいたこと、言わないでくれない?」
「なんで」
「俺、目立ちたくなくて」


ごめんな、と御子柴の返事を聞かずに、綾部はさっさとその場から離れた。
御子柴がどういう対応をしてくれるかは分からない。
しかしその場から、御子柴の前から早く離れたかった。
あの、鋭い目に見られると、黒揚羽の自分を暴かれそうで。



数日後。
綾部の元に教員や風紀委員のような人間が来ることもなく。
ただいつものように目立たない日々を過ごしていた。
松村悠里の名も、御子柴竜二の名もいつもと変わらないような内容でしか耳にせず。
あの襲われていた生徒の名前を聞くこともなく。
ただ一つ。
三年生の誰かが、自主退学をしたらしいと。
そんな噂を耳にした。
しかしそんな噂も、すぐに立ち消えて。
何も変わらない学園が、そこにはあった。


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