【一ノ宮学園】

□第二章
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「テメェ、昨日の夜どこ行ってやがった」


忍と会った翌日の朝、いつもは会わないはずの同室の速水が突然そんなことを言って来た。
もさもさ頭のビン底眼鏡の奥で、遥は目を瞬かせる。
関わるなと言ったり、こうして気に掛けたり、速水はどういうつもりなのだろう。
そんな疑問を抱きながら、いつもの調子で遥は答える。


「ちょっと人に会いに行ってました。煩かったですか? すみません」
「…そいつと、どういう関係だ」
「はい?」


何だその質問。
意図が分からず遥は答えられない。
するとその困惑が分かったのか、速水は渋面になって口をもごもごさせる。
言葉を選んでいるようだ。


「…そいつと、その、近しいのか」
「? まぁ、そうですね」


忍はヤンチャを共にしていた親友である。
近しいというか、親しいというか。
深く考えずにそう答えると、何故か速水は少しホッとしたような表情を浮かべた。


「なら、良い。…悪かった」
「いえ…」


そう謝ると、速水は自室に戻ってしまった。
学校には行かないのだろうかと思いながらも、遥はふむ、と顎に手を添える。


「キョウも、複雑な事情抱えてそうだな…」


あの、安心したような表情。
それはつまり逆を返せば。
いつも"安心出来ない状況にいる"ということである。
しかも何やら盛大に拗らせているのではないだろうか。
本人が関わってほしくないのなら進んで関わりはしないつもりだが、難儀そうだ。
遥は肩を竦めながら自室を出た。

教室に入ると、既に颯太と千里が登校していた。
随分楽しそうに会話している。
おはようございます、と声を掛けると笑顔で挨拶が返って来た。


「随分楽しそうですね、どうかしたんですか?」
「年度初めだから数日はまともな授業がなくて楽だねっていう話をしてたんだよ」
「今日は健康診断、体育は体力測定、各教科は授業のオリエンテーション、眠くならないで済むよな!」


そうか、確かに自分も学生時代はそういう感じだった。
と言うかいつも授業は眠くなるらしい颯太が頭の良いクラスのB組に入るというのは凄いのではないだろうか。


「健康診断って、具体的に何するんですか?」
「身長体重、問診、血圧、視力、聴力、採血、検尿、X線、かな」
「X線まで?」
「うちの学園、そういうのガチだからなー」


朝食摂らないようにって言われてたろ? と言われてそう言えばと思い至る。
この非日常感が楽しいんだよな、と語る颯太たちの話を聞きながら遥は内心唸った。
外見が誤魔化せても、身体までは誤魔化せないのではないだろうか。
何せ遥は二十二歳である。
高校生とどこかが違っていてもおかしくはない。


「いや、ずっと規則正しい生活してきたしな…」
「ん?」
「遥君、何か言った?」
「あぁ、いえ、一ノ宮に徐々に慣れていかなきゃなと思っただけです」


そう誤魔化すと、颯太は大丈夫だって! と肩を叩き、千里は何でも訊いてね、と微笑む。
高校生だと偽っているのが申し訳なるくらいに良い子たちである。
思考を戻し、遥は己の生活を振り返った。
高校を卒業し、大学生となり、無事卒業した。
その間怠惰に過ごすことなく、体力作りも規則正しい生活もしてきた。
明らかにおかしいという数値が出ないことを願うしかない。
もしかしたら理事長権限で何かあれば遥の検査結果だけ、忍が預かっておいてくれるかもしれない。


「でもそれだけの項目だと、結構時間かかるんじゃないですか? 一ノ宮は生徒が多いし…」
「うん、数日に渡って行われるよ」
「今日は俺らのクラスは健康診断、他のクラスは体力測定とかしてるんじゃないか?」


ちゃんとスケジュールが組まれているようだ。
遥が学生の時は、授業の合間に呼ばれて順々に身体測定や健康診断があった。
きっとそれとは比べ物にならないくらいにスタッフも機器も動員されているのだろう。
ふと周りを見ると、他の生徒も嬉しそうな顔をしている。
しかしその中には、何故か頬を染めて興奮している生徒もいるようだった。


「…何か、健康診断って楽しみなことでもあるんですか?」
「え? あぁ、多分あれだろ」
「養護教諭の、東雲誠司先生に会えるからだと思うよ」


東雲誠司。
あの、始業式で黒のVネックを着て変な色気を醸し出していた、あの養護教諭か。
あの時、何故かバッチリと目が合ったのを覚えている。


「東雲先生、何と言うか…」
「色気ありますよね」
「お、遥も分かるか! それにアテられて、惚れる生徒が続出してるんだよ」


確かに、分かる気がする。
遥は同性愛者ではないが、東雲は彼を"抱く"場面を想起させるような雰囲気がある。


「でも結構ガード堅くて、東雲先生をオとせた生徒はいないとか何とか」
「何とも思ってない生徒にとっては、優しいお兄さんだよね」


なるほど。
しかし本人が優しいお兄さんなのであれば、あの色気は本人の意思ではないのかもしれない。
そうであれば大変な生活を強いられそうだ。


「東雲先生は何かを測定する係じゃなくて総括だから、会えたらラッキーって感じだな」
「今年度もよろしくお願いしますって挨拶出来たら良いね」
「だなー。俺は運動部だから特にお世話になること多いし」


思わず頭を撫でると二人は目を瞬かせて首を傾げた。
本当に、良い子たち過ぎて涙が出てきそうである。


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