【霞桜学園】

□第一章
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(井川side)



走って、走って、走って。
誰にも居ない所に、行きたかった。
食堂から出た俺は、直ぐに木がいっぱいあるところを突き進む。
すると見たこともないような場所に着いて、俺は足を止めた。
はぁ、はぁ、はぁ、と息を整える。
痛い、痛い、心臓が痛い。
ぎゅっと胸を押さえても痛みは治まらなかった。


「何で…なんでだよ…っ」


ぐしゃりと、自分の髪を握る。
キラキラ輝くプラチナと翠の瞳。
綺麗なはずなのに。
これを見たら皆、俺を好きになってくれるはずだったのに。
だって、だって、今まで皆、そうだったから。
井川優馬は、という俺を捜す小さな声が耳に届いて俺は静かに再び奥へと走り出す。
このまま学園の外に逃げた方が良いかな。
だけど確か防犯システムがしっかりしてて手続きしないと駄目だって誰かが言ってた気がする。
生徒会の、誰かが。


「……っ」


また心臓痛くなってきた。
なんだろ、病気かもしれない。
本家に言ったら俺の事、ここから出してくれるかな。

『あんたが…ッあんたが!! あんたが、居るせいで…ッ!!』

甲高い声が頭に響いて、顔を顰める。
あの人が居る限り、無理だろうな。
進んで行くと鬱蒼とした中にポツンと立つ古びた建物を見付けた。
ががが、と錆び付いた扉を無理矢理こじ開けると、広い中に色々な物が置いてあった。
もう使われてない倉庫…かな。
ここに一旦身を隠して、それからどうするか考えよう。


「あーぁ…俺の何がいけないんだろ…」


寂しく響く俺の声。
ずっと使ってたあのうるさい声じゃない。
分かってた、分かってる、俺がこんなんだから悪いんだ。
体操座りをした膝の中に顔を埋める。



井川家はそれなりに大きい家柄で、この霞桜学園にも資金援助をしていた。
当主を祖父として持つ本家長男として生まれたのが俺だった。
俺は大層望まれていた…らしい。
だけど生まれたのが、こんな変な色をした赤ん坊だった。
母さんも父さんも祖父母も持っていない色。
母さんは勿論不貞──浮気をしていたわけではないし、遺伝子上でも俺は立派な井川家の長男だった。
だから堂々としていれば良かったのに、俺が生まれた時母さんと父さんは何を思ったか俺の色を隠そうとした。
多分、分家の人たちにどうこう言われたくなかったんだろうな。
虎視眈々と当主の座を狙っている奴もいたみたいだし。

小さい頃は隠されて育って、大きくなってからはカツラと伊達眼鏡着用を命じられた。
もちろん霞桜で使ってるようなもじゃもじゃやビン底ではなく、普通レベルの変装用。
いろいろ教育された、井川家本家の長男として。
俺はそこそこ器用だったらしく、何事も無難に出来て本家後継ぎとして相応しいとまで言われてた。
だけど、あの日。
偶然から起こったことは必然となって。

着替えか何かをしていた時、偶然、分家の長男に見つかってしまった。
その長男は傲慢で、大して良くもない才能を鼻に掛けて。
そして本家長男で何事も無難に出来る俺を、心底憎んでた奴で。

そいつはプラチナ色の髪に翠の瞳の俺が『井川優馬』だと直ぐに分かったらしい。
どんだけ俺の事見てたんだよ、気色悪い。
それからは、もう早くて。
何を血迷ったのか、そいつは迷わず俺を押し倒して、組み敷いて。
激しく、酷く、──俺を犯した。
今でも全部、覚えてる。
身体を這いずる舌も、叫ぼうとする口を塞ぐ手も。
嫌だ止めろと暴れる俺を縛り付けて、いやらしく嗤うアイツの顔も。
そして、そいつの目に映る無様に泣く俺を。

俺は意識を失って、次に目覚めた時には全てが壊れていた。
俺が母さんの不貞の証拠だと、分家に糾弾されていた。
その勢力の頭が、あの長男の母親で。
しかも俺が犯されてる写真まで撮ってあるんだからもう笑える。
親が親なら子も子だな、なんて。
どこからどこまでが策略だったのか、それとも本当に偶然だったのかは分からない。
だけどこれが原因で、俺の跡継ぎ決定が覆された。

跡継ぎ候補は、俺か、あの長男。
俺がアイツに犯されたって言っても、証拠はなかった。
何故なら俺が発見された時には俺は身ぎれいになっていたらしいから。
多分、俺を犯して気絶させた後、アイツは写真を撮って俺を綺麗にして、そして『誰かに犯されていた跡継ぎを救った』人間として立ち位置を確立させたんだと思う。
もう、どうしようもなかった。

そして糾弾される中、俺は声を掛けられることが多くなった。
俺を好ましく思っていなかったであろう、分家の人間たちに。
綺麗だね、虜になってしまったよ、愛しているわ、君を手に入れたいと思ってしまう。
男女問わず、俺のことをねっとりと見て来る。
お前ら旦那も奥さんも許嫁もいるくせに、どっちが不貞だよ。

兎にも角にも、俺の本当の容姿は、皆に愛された。
欲情を、ふんだんに含んで。
そしてその欲情は、俺にぶつけられた。
そこら辺はもう、一回目と違って俺はあんま覚えてないんだけど。
何か、大勢に犯されたらしい。
それを発見したのが、当主である祖父の付き人で、俺を心配してくれていた人だったのが救いだった。

そうしてそのことに関係していた人間たちは井川家から一掃された。
勿論、あの分家の長男も。
そして井川家の跡継ぎとして再び俺が返り咲いた。
終わった、これで終わったと安心した。
ようやく解放された、と。
だけど、少し遅かったらしい。

謙虚で少し心の弱かった母は、身に覚えのない不貞を責められ続けて壊れてた。
そして母さんは、俺に言った。

『あんたが…ッあんたが!! あんたが、居るせいで…ッ!!』

それ聞いたら、俺自身何が悪かったのか分からなくなって。
俺は愛されるはずじゃないのかな。
だって、皆俺のこと綺麗だとか美しいとか言ってくれた。
なのに母さんにとっては疎ましいものなのかな。
酷く酷く、心臓が痛かった。

俺は気付いた。
俺が『俺』で居るからいけないんだと。
外見は愛されるはずだから、内面が悪いんだ。
俺が『俺』ではない誰かなら、愛してくれるはずだ。
そう、例えば、自分の正しさを大声で皆に分からせられるような。
そして俺は今の『井川優馬』になった。
どっかネジがぶっとんでて、天真爛漫で明るさが突き抜けてるような、『井川優馬』に。

それをどう思ったのか…多分、精神的に病んだと思われたのか。
お偉い方の御子息の中でなら俺は落ち着きを取り戻して、相応しい跡継ぎになると考えたんだろう。
当主の祖父の決定で、霞桜学園への転入が決まった。
どうせ、何も変わらないのに。



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