【霞桜学園】

□第一章
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「…くそっ」


俺は何度目か分からない言葉を吐き捨てた。
青が広がる空を一望できる屋上。
その更に梯子を上った所にある貯水タンクの影に俺は居た。
そろそろ夏も近付き暑いが、裏庭は地味に誰かとのエンカウント率が高いと学んで、今日はここに来たわけだ。
一人で静かに考えたかったから。

あぁくそ、ムカつくあの野郎。
胡座をかいた足が苛立たしげに揺すられる。
思い出すのはこの前の生徒会室でのこと。
大塚と空、海が生徒会に戻ってきてからどこか雰囲気が和らいだアイツ。
睡眠薬盛らなくてもそれなりに睡眠時間取れてるらしいアイツは、明らかに目の下の隈も無くなり噂通りの俺様っぷりを発揮出来るようになっていた。
それは良いことだと思う。
一人で全てを請け負っていた時は、俺でさえマジで死ぬんじゃないかと思うくらいキツそうだった。
それを傍で見てきたから今の俺様なアイツを見て安心してるぐらいだ。
あぁ、認める、認めざるを得ねぇ。
アイツを支えたいとかうすら寒いことは思ってねぇけど、アイツの負担を軽くしたいという思いはあった。
生徒会役員を戻すために動いたのは、俺の性格や親衛隊隊長らの頼みもあるが、根底にはアイツを──間宮を楽にしてやりたい、と。
…思ってたのに、この前のあの目はなんなんだよ!!

無意識に眉間にシワが寄る。
あの目、この前双子の悪戯のせいで間宮に押し倒されたあの時。
射抜くような、冷たくも熱を孕んだような瞳。
背筋がゾクリと震えた。
あんな感覚は初めてで…あれが何なのか俺には見当もつかねぇ。
でもあの時、俺はどう思ったか…俺は。


「食われる…」


ぎゅっと片方の手をもう片方の手で握る。
そう、食われる、と思った。
何を食われるのか、物理的になのか精神的になのか、どうしてそんなことを感じたのか分からない。
でも確かに俺は本能的に危険だと、思った。
だから反射的に間宮の腹を蹴り上げた、それこそ無意識だった。
だけど顔を上げた間宮の瞳には既にその瞳の熱はなかった。
見間違いと言えない程に顕著に現れていた、あれが何だったのか。
これ以上考えて良いのか? これ以上進むと後悔するんじゃないのか?
どこかでそう声がする。
きっと今の俺は、考えてはいけないんだろう。
俺が不良として存在する限り、あいつらに許しを請わない限り進んではいけない。
そして俺は不良であり続けるし、あいつらの…友人だった奴らに許しを請うなんて絶対にするつもりはない。
だから、この話はこれで終わるべきなんだ。


「…負けんな」


ごつん、と貯水タンクに後頭部を寄りかからせる。
そう空気に溶け込むような言葉は誰に向かって言ったものだったのか。
青が広がる空を目に映して、ゆっくりと目を閉じた。
すると。


「ねぇ、誰に食われそうで、誰に負けたくないの?」
「っ!?」


突然聞こえて来た声に、がばっと身を起こした。
その声の主を探そうと辺りを見渡すが誰もいない。
どこだ…?
すると梯子を下りた所の裏側から、ここだよここ、という声が再び聞こえた。
俺がひょいと覗き込むと、黒縁眼鏡を掛けて髪をサイドに小さく団子にし、先を肩に流している男子生徒がヒラヒラと手を振っている。
その姿を見て俺は目を見開いた。
ここに居たことに俺が一切気付かなかっただと…?
人の気配にはそれなりに敏感だと思っていたのに。
その男子生徒がよいしょと立ち上がって梯子を上って来た。
俺がぐっとソイツを睨み付けると、ソイツは何を考えているのか分からない表情でニコリと笑う。
それは見方によっては人懐っこく見えるけど、俺からしてみればこの状況でそんな笑い方が出来るコイツには違和感しかない。


「ねぇねぇ、誰に食われそうなの? 詳しく教えてよ」
「…他人様の独り言に口出しすんじゃねぇよ」
「え、なに、俺ってば警戒されてる感じ? やっだなー、それは今更でしょ。長らく屋上を共有してきた仲じゃん」
「長らく?」


隣に座って来たソイツの言葉に俺はピクリと眉を動かした。
長らく、っつったかコイツ。
するとソイツは目を瞬かせた。


「あれ、気付いてなかったんだ? 俺、割とここに居たんだよ。神山が親衛隊隊長たちにお願いされてたのもバッチリ聞いてたし」
「…聞いてたくせに、お前は何もしなかったのか」


思わず低い声が出た。
親衛隊隊長たちのお願い、となればあの生徒会役員たちを仕事に戻させてくれとの願いだろう。
それを知っているということは、確かにコイツは俺の知らない間に屋上の住人の一人となっていたらしい。
なのに、コイツは何の行動も起こさなかった?
ふざけてんのか。
するとソイツは、ふはっと笑った。


「俺が? 何で俺がそんなことしなきゃなんないの。生徒会とも親衛隊とも俺何の関係もないのにさ」
「…何言ってんだテメェ…」


何かがおかしいことに俺はようやく気付いた。
話が、噛み合わない。
生徒会とも親衛隊とも関係ない? 何を言ってる。
だってお前は。


「──生徒会副会長のクセに、関係ないとかほざいてんのか」
「…え?」


そう言った俺の言葉に、目の前のソイツは笑った顔のまま固まった。
暫く沈黙が俺たちの空間を支配する。
するとソイツはヒクリと口元を引き攣らせた。


「何言ってんの? 俺があの潔癖王子? 神山ってば冗談言うんだね」
「潔癖王子って自分で言うか?」
「ちょちょちょ、待って待って。全然違うじゃん、俺と副会長。髪さらっさらストレートの『私が副会長ですが何か?』な副会長と、黒縁メガネのだっさい俺。一緒にしたら失礼でしょ」
「…もしかして、同一人物だってバレたくなかったのか? 確かに姿性格こそ違ぇけど、俺は最初から副会長としてお前に接していたが」


流石の俺でも、初対面でイキナリ相手を睨み付けたりしない。
今まで俺を貶していた副会長が突然人懐っこそうに笑いかけて来たら違和感を抱くのは当然。
親衛隊隊長の話を聞いていたにも関わらず副会長として何もしなかったから、俺はイラついた。
最初から、俺は副会長としてしか見ていない。
そう告げると、目の前の生徒はわなわなと震えだして、がばっと地面に伏した。


「うぁぁぁぁあああ…!! 最悪だ、最悪だ…!! 俺としたことが、『食われる』なんて特上の餌に引っ掛かってしまったばかりに…っ」
「お、おい、副会長?」
「俺の努力が、水の泡…っ。何で分かったの、俺が副会長だって!!」


顔だけを上げたソイツの…副会長の目は悔しさで涙に濡れていた。
ぶっちゃけ、状況についていけねぇんだけど。


「何でって…身長体重髪の長さ、骨格諸々副会長だろ」
「何それ怖い!! 俺は知らない間に視姦されていたのねっ!」
「視姦言うな殴るぞ」


ひゅっ、と自分の身体を抱きしめる副会長にいらっとした。
何なんだいったい…いつもの副会長とテンションが違い過ぎる。
副会長は頭を抱えて黙っていたが、暫くすると長いため息を吐いた。


「成程ねぇ…そこまで分かるなら、双子を見分けるのもわけないか…」
「お前、さっきから何言ってんだ…?」
「いや、うん、そうだね、もう神山には全部話すよ。取り敢えず今まで不快な思いさせてごめんなさい」


ペコリと頭を下げる副会長に、お、おぅ…と若干たじろぐ。
急に殊勝になりやがった。
顔を上げたソイツの表情は、副会長のものに近かったが、断然今の方が自然体で人間らしく見えた。


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