【霞桜学園】

□第一章
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(no side)


ジャー、と水道から水が流れる音が聞こえる。
水から手を離すとセンサーが反応し、流水が止まった。
ここは生徒会室に一番近い男子トイレ。
青年、ではなく少年と言っても差支えない容姿をしている生徒会役員の一人は、ポケットからハンカチを取り出して手を拭く。
シンプルだが高級感のあるハンカチをポケットにしまいながら、息を深く吐き出した。
鏡には勿論自分の姿が映っている。
しかしその姿は、この学園にもう一人存在していた。
それは自身の弟だ。

この少年、役職は霞桜学園生徒会書記。
そして双子の兄、樋口空である。
空はどこか憮然としている鏡の中の表情に気付いて、ふるふると頭を振った。
こんな顔をしていたら、弟の海に心配されてしまう。
現在その弟は、副会長の戸高、そして転入生の井川と共に生徒会室でお菓子を食べている。
そこには当然生徒会長の間宮も居るが、彼は一人で仕事を捌ている状況だ。
戸高や海がそれをどう思っているのかは知らないが、空はどうにも複雑な思いを抱えていた。

井川は一卵性双生児の自分たちを見分けられる稀有な人物だ。
五月という時期外れの転入生を迎えに行った戸高が生徒会室に戻ってきたら、嬉しそうにその一年生を気に入ったと言う。
自分たちがイタズラをする度に叱ってくる戸高が気に入る人物。
そんな井川に興味が湧かないはずはなく、自分たちも見たくなった。

そして初めて会ったのは、食堂。
すぐに戸高が気付いて、その井川と対面した。
空の井川に対する第一印象は、もっさりしてるなー、だった。
ビン底眼鏡にモッサリヘアー。
そして話してみると分かる、デカい声。
何故あの戸高が気に入ったのかは分からなかった。
しかしその井川が、当てたのだ。
空と海を、的確に。
これには純粋に驚いたし、胸が躍った。
あぁ、この子は面白い。
それは弟の海も同じようだったようで、戸高と一緒に井川にくっついて回るようになった。
会計でコミュ障の大塚も井川の天真爛漫な態度に絆されたらしく、ずっと井川にくっついていた。

しかし、空にとって予想外だったのは皆の井川への依存である。
空は面白いことが大好きだ。
そして井川は面白い。
実は、ただそれだけの理由で一緒にいるに過ぎない。
弟の海はもしかしたら恋愛感情を持っているのかもしれないし、戸高も大塚もまた然り。
でもそれだけならまだしも、皆が生徒会の仕事をしなくなったのだ。
そのせいで、唯一井川に大した感情を持たなかった会長の間宮に、生徒会の仕事のしわ寄せが全て行ってしまっている。
それに気付いた時、空は内心焦った。
面白いことをするためには、何かを犠牲にしなければならない。
しかしそれは決して、他の人を犠牲にしてはならないのだ。

ゲームで遊びたいなら、明日までの宿題を早く終わらせる。
何かを買ってもらいたいなら、親の手伝いをしてご機嫌を取ってみる。
勿論霞桜学園に通っている身だからそんな庶民的なことはしないが、つまり自分で対価を払うべきだということだ。
それは空にとっては当然のこととして自分の中にあった。
でもそれを、海に口に出来ないでいた。

二人はわざとお互いを似せている面もある。
それ故に、もし空が海に違う意見を言ったらどうなるのか。
この関係が壊れてしまったら、本当に一人になってしまう。
それだけは、嫌だった。

空は再びため息をつく。
そして過るのは、あの鮮烈な赤色。
食堂で間宮と共に居た、学園最恐と言われる神山司。
その姿を見た時、双子の片割れとしての自分が崩れそうだった。
自分たちのしわ寄せで大変なのに、あの神山にまで絡まれているのかと思ったからだ。
『近付かないで』と井川に言った言葉は、間宮に対しても言ったようなものだった。
神山は危ないから、近付いちゃダメだよ、と。
きっと誰にも伝わらなかっただろうと思うけれど、あの中で出来る精一杯の言葉かけだった。
でも、その考えは間違っていた。

神山は、間宮のために、怒った。

神山と話す時の間宮もどこか楽そうで、人知れず安堵した。
勝手だということも分かっている。
どう言い訳しても悪いことをしているという自覚もある。
でもやはり。
自分が、大事なのだ。
空はトイレの扉を開けて廊下に足を踏み出した。


「あーぁ…どうしよっかなぁ…」
「何がだ?」
「!?」


その瞬間、真横で声が聞こえた。
それはあの食堂で、生徒会役員と井川を静かに一喝した声で。
ばっと身体を離して、壁にもたれかかっているその人物に目を見開く。


「か、神山司…っ!?」
「よぉ、双子の片割れ」


赤髪の不良が、まるで友人であるかのような気楽さで挨拶を口にした。




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