短編集

□暗闇ノ地下鉄、幽霊少女
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このお噺は昭和50年あたりから始まるお噺でございやす。
この年はまだ裕福ではない家庭が多く、子供一人育てるのでさえ困難な時でいやした。
でも何よりも大事で可愛いのが自分の子供。
生活に苦労しても子供だけは守りたいと思うのが親ってもんでさァ。
ですが、そういう親ばかりではないのが世の中の醜さ。
産んでもすぐに殺してしまう親もいたんでございやす。
自分一人だけでも苦しい生活なのに子供一人が増えてしまっては自分が死んでしまう。
自分が助かる為に殺すんでやんすね。
世で言う、自分が一番可愛いと言うのはこのことからよ〜く分かりやした。
ですが、子供を殺すにいたしやしても人殺しという犯罪になってしやいやす。
まぁ、その時代は治安も悪く人殺しも依頼するところにすればできる時代でいやしたが、金をとられるので子供一人殺すのは自分たちでやっていやした。
殺し方はいろいろありやした。
身体の四肢を切りとり袋に詰めて川に流したり、首を絞めつけて殺してから山奥に埋めたり・・・。
残酷なもんでさァ。
ところが、やはり殺すにしてもてめぇの腹痛めて産んだ子をどうしても殺す事ができなかった人もいたんでやんす。
殺さなければ自分が死ぬ。だけど、自分の子供を殺すのは出来ない。
葛藤の末、その親は一つの結論に思い至ったんでやんす。
その日の真夜中、その親はある地下鉄の駅に行きやした。
その頃は地下鉄にもコインロッカーというものがありやした。
これで分かりやしたでしょう?
よく聞く噺でございやす。
コインロッカーに子供をそっと入れて、鍵をかけずに置き去りにしていく。
別に自分が殺すわけではございやせんし、コインロッカーを使う人はそう少なくない為見つけた誰かが引き取ってくれるだろう。
そういう考えにその親は至りやした。
そして親はもうそこには現れず誰かに見つかって無事に子供が生きてくれるのをただただ祈っていやした。
ですが、今回よく出る世の醜さがここにも出てくるんでやんす。
子供一人育てるのも大変。
見てけても見て見ぬふりをしたのがほとんでいやした。
警察に届けられやしたが、その時はもう瀕死の状態で病院で治療をしても1日でその子供は人声も泣かず息を引き取りやした。
それがその時代の現状でいやした。
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