―――Was aus Liebe getan wird, geschieht immer jenseits von Gut und Böse(愛の為に為されるモノはいつも善悪の基準を超えて行われる)―――




大切なのは唯一点のみ。



君が俺を愛しているかどうか、では無くて

俺が君を愛しているかどうか、なのだから。




―――――




あれから数日後。


宣言通り、閃一は美里に指一本触れないまま屋敷を後にした。

老いた使用人一人に全てを任せて。




そんな、何処までも実直で頑固でまさに有言実行という言葉が相応しい此の男がどうしていたかというと―――





※新しい事業の企画書に目を通していた閃一さんだが



閃一「‥‥…なかなか面白そうな計画じゃあないか」


やはり、祖国である東ドイツの発展を目論んでいた。




閃一「確かに公共施設の整備は我が国でも急務に値する、要の事業だ。国力は…国民の生活水準に比例するからな」



当時、戦後の再工業化に当たり東西ドイツは共に極めて強い環境破壊を引き起こしており

其の頂点を極めたのは、初めて環境政策が経済政策にとって重要であると考えられるようになった1970年代であった。



しかし東ドイツでは投資の柔軟性は欠如しており

其の上商品の生産も不充分であった為、迅速に環境保護を始めることは不可能という見解に至り


結局環境政策は取られないままだったのだ。



だからこそ、閃一は其処に目を付けた。



閃一「フラウ美里が俺に寄越した調査報告書によれば―――」
「ストックホルムで開催された国連人間環境会議において欧州の北方の森林が枯れたり、あるいは水系が変わって魚が取れなくなった。と記載されている」
「主な原因は高度成長を遂げた西ドイツやイギリスから飛んでくる汚染物質による『酸性雨』の実害が原因、だそうだ」
「更に西ドイツでは学生運動家、社会運動家による環境保護運動が結集され『緑の党』が結成したと記載されている」



以前、美里が文通の最中に同封して来た数枚に渡る『調査報告書』に目を通す閃一。



コレは理屈屋で堅実な閃一の性格を把握した上で提示された確たる『証拠』であり

環境問題について彼女が問うた際に用意した文書だった。








※余程美里さんに入れ込んでいるのか、仕事中も彼女の事を考えてしまう始末




閃一「フ、懐かしいな。だが、コイツが無ければ俺は君に一目置く事は無かっただろう―――」



『証拠』の無い情報提供など『信憑性』は皆無、其れこそ子供の『戯言』と同程度でしか無い。


少なくとも、ビジネスマンである閃一はそう思っていた。


だからこそ、殊更に美里の演出が憎くて。

より一層、此の狂気じみた恋情に拍車を掛けるのだ。




閃一「君の様な賢い女は…まさに俺の好みだ。君こそが俺の人生の伴侶に相応しい―――」


勿論、疑り深い閃一が独自の調査を行い真偽の解明に当たった事もある。


が、当然結果はクロで。



しかも皮肉な事に、企業家でありながら資産家でもある閃一の元に

『環境問題』の改善に当たる企画書がこうして今、舞い込んで来た訳なのだが。





閃一「まぁ‥他国がどうなろうと俺にとっては至極どうでも良い事だが―――流石に国民の生活に支障が出るのは見過ごせまい」


最初こそ問題を軽視していた閃一も

西ドイツのスパイである立場を利用して、東ドイツの内情を調査していた美里の報告書を読み進める内に考えが変わったのである。



閃一「大気汚染による気管支炎、肺気腫、気管支喘息の死亡率はヨーロッパ平均よりも2倍以上」
「更に約120万人が生活に欠かせない飲料水にありつけない有様」
「其の上ゴミの40%以上が適切な方法では処理されておらず、危険ゴミに必要な高温焼却施設は存在していない」
「此の報告書に目さえ通せば―――余程の馬鹿でも無い限り東ドイツの現状が如何に危ういか一目瞭然、という訳か」



高度経済成長を遂げた社会主義国の優等生、東ドイツ。


しかし其の実体は誰の目から見ても明らかな程酷い有様だったのだ。



何故なら

石炭資源の不足により、大量の二酸化硫黄を排出する褐炭を利用した事でヨーロッパで最も高い粉塵汚染が生じ大気は汚染され放題。



しかも東ドイツが解体される直前の1989年の時点では汚染されていない湖は1%、河川は3%でしかなかった。


其の内下水処理場に排水できたのは全国民の中でも58%だけ。

森林の52%が『損害』を受けていると見なされた。



コレがどういう事か。

閃一の言葉通り、余程の馬鹿でも無い限り考えなくとも分かる事だ。


しかし



閃一「俺がただのしがない企業家であればこんな問題に目を向ける事も無く、今頃は着々と商品開発に勤しんでいたかもしれん。上層部にとって、ひいては東ドイツにおいて利益を上げる事こそが最大の目的だからな」



此の世に、本当の意味で国民の為を想って国民の為に奮闘出来る役人がどれだけ存在するか。


答えは無論、0に等しいだろう。



国益が絡めば絡む程、個人的利益が絡めば絡む程、人は尊い立場から遠ざかり目先の利益しか考えられなくなる弱い生き物だから。


其れが痛い程分かっていた閃一は、だからこそ敢えて政治や軍事に関与する事を嫌った。



閃一「だが‥‥君が教えてくれたからこそ、上層部にとっては些細な事であれこうして問題視する事が出来る。感謝しているよ、フラウ美里」



彼が愛しているのはあくまで此の『東ドイツ』という国であり

そして其処に住まう『国民』の生活を守り、維持し、向上する事が『国家』の発展に繋がると本気で信じていた。



そんな閃一は誰の為でも無く、何時だって自分の為に奮闘しているのだ。


自身の築き上げた膨大な資産をつぎ込んでまで。



そう、其れこそがまさに閃一の生き甲斐。

今までは人生の全てが『国家』の為に捧げられていたのだから。





でも―――






※頻繁に逢えないとはいえ、今まで一日に何度も何度も抱いた筈なのに



閃一「君の其の‥理知的で聡明な所に惚れた訳だが―――俺の下で喘ぐ君はより一層美しく、愛しくて愛しくて堪らないんだ」


知性を感じさせる、秀逸な筆記。

加えて他の女では味わえない、高尚な文通のやり取り。



更にアレ程他種族を毛嫌いしていたにも関わらず

閃一は一目逢っただけで彼女の見目麗しさに心をあっさりと奪われてしまったのだ。




閃一「乱れた君を思い出すだけで、今も此処がこんなにも容易く硬くなってしまうよ」


ただ美しいだけの女ならば此処まで入れ込んだりしなかっただろう。



しかし



美里『あ、んんっ!!いや、はげしく‥しない、でっ///』
『お、ねがい‥です、ヘル閃一ッ!!もぅ、これいじょう‥はっ』
『はぁあああっ///き、きもちいいっ!!そこ、だめぇええっ』


匂い立つ様な独特の色香

落ち着いた、女性にしては少し低めの艶やかさを感じさせる声。



そして普段の凜とした表情からは想像も付かない、快楽に溺れたあの淫らな表情。



全てが閃一を惑わし、知れば知るほど彼を虜にして離さないのだ。



だから



※乱れた彼女の姿を思い浮かべるだけで勃起してしまう



閃一「しかし、此処まで彼女に惚れるとはな‥‥」


職務中にも関わらず

急にムクムクと湧き上がった抑えようの無い欲望をハッキリと感じ取った閃一は



閃一「全く。忌々しい限りだ」


言葉とは裏腹に、何処か嬉しそうな声色でそう呟くと

何を思ったか徐に自分の指先をぺろりと舐めてみせた。


そして




※張って辛いのか、臨戦態勢の其れを取り出し


カチャカチャとベルトを外し

ゆっくりとズボンの中に手を差し込んでは完全に勃起してしまった其れを軽く握り込み、そのまま上下に擦り始めたのだ。



ぐちゅぐちゅと



そうすれば




※仕事中はおろか、プライベートだってこんなに節操無く自/慰に励んだ事なんて無いのに


閃一「‥……はっ///」



セッ/クスとは全く違う、即物的で直接的過ぎる快楽に自然と閃一の息も上がる。



閃一「ク、ソ!!たかが一人―――女の味を、覚えたくらい‥で。節操が無くなる、など…盛りの付いた犬でもあるまい、し」


唾液で濡れた逸物が先走りのせいで余計に滑り良くなる。



今まで、自慰など数えられる程度しか経験が無かったというに。

其れほどまでに閃一は色事に対して淡白で、ストイック過ぎる程性欲とは無縁の生活を送ってきた。




だが今はどうだろう。




※うわ言の様に美里さんの名前を呼んでしまう




閃一「美里…美里!!君のせい、だ‥君の存在自体が、俺を惑わせ…堕落させるッ!!」

声が聞きたい。

今直ぐにでも押し倒し、そのまま猛った肉棒を突き入れて思う存分犯し尽くしてやりたい。



女相手にそんな強烈で凶暴な感情に襲われるなど有り得なかったのに。



なのに彼女の事を考えるだけで急に射精感が募って来るから





※段々と息遣いも荒くなり



閃一「は、ぁっ…く、うぅうっ!!」

自然と閃一の呼吸も乱れてしまい

息遣いも荒いモノへと変化していったのだ。



そして―――





※ついに射精してしまう


ドクッ


閃一「―――ッ」

声にならない声を上げたかと思うと、白濁色の液体が亀/頭から勢い良く飛び出していったのだ。

予め用意されていたハンカチーフ目掛けて。




閃一「……全く、俺らしくない」


再び帰って来るまでは決して君を抱かない。


閃一はあの時確かに約束を交わした。



無論、約束自体は決して強がりでも、ましてや意地でも無い。


自分なら出来ると、疑う余地も無く本心から信じていたのだ。




自分自身の意志の強さを。


けれど実際は違った。







※そうして、後始末をしていると




閃一「どうやら俺は…一つ勘違いをしていた様だ」



彼、閃一は―――

自分で思っていた以上に美里に入れ込み、紛れも無く執着していたのである。



だから



閃一「俺は賢い女が好みなのでは無く」
「ましてや君が伴侶に相応しい素養を備えているからでも無く」
「ただ単に君という女が愛しいからこんなにも‥‥君の事を欲してしまうのだろうな」



閃一は己自身の見解を、今此の瞬間に改める事にしたのだ。



例え彼女より賢い女が此の先現れようとも

例え彼女より伴侶に相応しい素養を持っている女が此の先現れようとも



そして例え自分の理想全てが凝縮された女が此の先現れようとも




きっと食指一つ動かないのだろうな。


と、妙な自信を覚える程、自慰を経て美里への深愛をハッキリと自覚したから。



閃一「フ。荒屋敷が聞いたら一体どんな顔をするのだろうな‥‥」


ふと

幼少の頃から自分の世話係として付き添い、成人してからは閃一の今後を憂いて事有る毎に縁談を進めてくる好々爺の事を思い出しながらも



閃一が手を拭きながら再び目の前の書類に目を落とした



其の時だった。




※返事も待たずに入って来る男と其の娘





ガチャリ。


何の前触れも無く、勝手にドアノブが回され扉が開かれる。




其れを閃一はまるで他人事の様に


あぁ、そういえば鍵を閉め忘れていたな。なんて無用心な―――

と、心の中で呟きながら見詰めて居たのだが。





男「久しぶりだな、ヘル一輝よ。私の事を覚えているかね??」
娘「お、お久しぶりです‥‥」



良いとも悪いとも言う前に


いきなり何の断わりも無く扉を開け、無遠慮にも室内をドカドカと乱暴に進み歩く目の前に男に閃一は苦笑せざるを得なくなってしまった。




※そういえばこんな奴らもいたな、と心の中で嘲笑っていると




閃一「えぇ、本当にお久しぶりですね。ヘル.ブライアンと―――其のご息女、フラウ.ベス‥でしたよね??」


わざわざ確認したのは余りにも印象が薄かったから。


閃一にとって興味を引くに値する存在は極少数に限られており、此の二人は漏れなく其の少数の枠から外れていた。




ちなみに

此の、突然現れた厳ついマフィア紛いの男は英国の海底油田を所有する資産家のブライアンだ。



そして遠慮がちに、彼の後ろに隠れつつも此方をしっかり覗き見ているのは実の娘であるエリザベスだった。


彼は彼自身に全く似ていない見目美しい娘を甚(いた)く気に入っており


其れ故に、興味も欠片すら持とうとしない閃一の態度が無性に腹立たしく



男「フ、ン。こんなにも器量良しで花嫁としても申し分のない娘の名前すらもマトモに覚えられんとはな。君はつくづく残念な男だ」



会って早々、平然と嫌味を零してみせたのだ。



※目を細める閃一さん




だが閃一も負けては居ない。

彼は目を細め、いつもの不遜な笑みを消したかと思うと



閃一「あぁ、コレは失礼。生憎惚れた女以外には興味すら湧かないので‥‥」

と、取り付く島も無いくらいキッパリと言い切ってやったのだ。



其れも相手の付け入る隙すら与えなく位キッパリと。



そして




閃一「で、今日は一体どの様なご用件で??確か受付にはアポイントメントの無い客人は通すな、と再三教えてあった筈ですが‥‥」

決して友好的では無い

寧ろやけに刺々しい口調でそう聞き返してやったのだ。



だが、男は閃一の疑問を嘲笑うかの様に面白可笑しそうに



男「ハッハッハ!!面会の約束など君と私の間には必要なかろう。其れとも何か問題でも??」


と、悪びれも無くそう答えた。





なんて不躾な男なのだろう。


普通ならば決して許されない、其の不遜な行為も

此の成金上がりで何処までも自分中心な考えを持っていたブライアンには至極当たり前の事らしく




寧ろこうやって誇らしげに己の非常識を語ってみせる辺りが実に此の男らしいな。と閃一は内心で密かに納得していた。




だから



閃一「いえ、別に」


どうせ此の男には何を言っても無駄なのだろう、と踏んだ閃一は心の奥底で



お前の非常識など今に始まった事では無いし―――そもそも我が社のルールを家畜に理解しろ、という方が酷だろうからな。

と嫌味たっぷりに内心で毒づきながらも、特に気にした様子もみせずに素っ気無くあしらってやった。




すると




※何故娘ではなく、他の女を婚約者にしたんだと詰る石油会社の社長



其れまで嫌味ったらしい笑みを浮かべていたブライアンが急に真面目な顔付きになってこんな事を言い出したのだ。




男「ところでヘル一輝よ。私は君の事を其れなりに気に入って目を掛けて来たつもりだったが……君には甚(いた)く失望させられたよ」」
閃一「―――ほう。其れは一体何故ですか??」
男「答えが知りたいか??しかし敢えて君に問おう。何故、私自らがこうして娘を引き連れて君の元へ出向いたか分かるか??」



突然の謎掛けに、閃一の形良い眉がぴくりと反応する。



心当たりが全く無い訳では無い。

けれど自ら其れを口にするのは何だか癪(しゃく)だったので、閃一はまるで小馬鹿にする様にフン。と鼻で笑って



閃一「さぁ。全く心当たりがありませんね、知りたくも無い」

と、交わしてやったのだ。




そんな閃一の無関心過ぎる発言に、ブライアンの怒りは一瞬で爆発してしまう。



男「ふ、ふざけおって!!此の青二才が、私をコケにするのもいい加減にしろ!!」
「そもそも貴様がエリザベスとの婚約話しを素直に受け入れていれば、こうして私が東ドイツに出向く事も無かったというに!!」
「其れを当てつけの様に、どこぞの馬の骨とも分からん卑しい西ドイツ女と婚約しおって‥‥」
「どうせそんな女、財産目当てに決まっている。今直ぐ別れろ!!其の方が双方の身の為だぞ??」



まるで見当違いの事を己の偏見と推測だけで平然と語ってみせるブライアン。


此処まで妄想が激しいと最早あっぱれだな、と閃一は憮然とした気持ちで聞いていた。




だが





※が、愛する女を侮辱され其れが閃一さんの逆鱗に触れてしまう羽目に



閃一「其れは…聞き捨てなりませんね」
男「な、に‥‥‥?!」


普段ならば、どんな罵声も涼しい顔で軽く受け流すくらいの芸当が出来るにも関わらず


愛する女をコケにされて、非常に腹立たしい気持ちにさせられた閃一はどうしても黙っている事が出来なかったのだ。




そもそも

最初こそさも親しげに話し掛けていたブライアンだが―――二人の間には大した繋がりがある訳でも無く、ましてやプライベートな交流すら殆ど無かった。



あるとすれば、世界に名立たる資産家として互いに名を連ねているという共通点くらいだろう。



ただ其れ故に

明らかな政略結婚を此の男が企んで、何度か閃一と娘に接点を持たせようと奮闘していた時期もあり


今更過ぎ去った話題とはいえ、再びこうして蒸し返す此の男の無神経さが余計に鬱陶しく思えたのだ。



なので―――





※笑顔で毒を吐く閃一さん


閃一「お言葉ですがヘル.ブライアン」
「どんなに貴方の娘が魅力的で結婚に値する様な素晴らしい女性だとしても、婚約相手を心から愛している私にとっては唯の醜い肉塊にしか過ぎません」
「大体婚約を済ませてしまったのに今更別れろと??」
「御冗談を―――貴方の娘に其れほどまでの価値はありませんよ」
「そもそも破棄する理由など私には欠片も存在しませんが??」



にっこりと、其の眩しいくらいの笑顔に反比例するかの様に酷く辛辣な言葉が閃一の唇からサラリと流れる。



其れが余程意外だったのか

まさに紳士という言葉が相応しい表向きの、つまり閃一の外面にすっかり騙されていた二人はぽかんとした様子で彼を見詰めて居た。



しかし直ぐに我に返って



男「き、貴様ッ!!娘を愚弄する気か?!」


ありきたりな言葉ではあるが‥‥

娘の目の前で平然と本人を謗(そし)る閃一に怒りを抑えきれなくなったブライアンは、彼を思い切り怒鳴りつけてやったのだ。



そして



男「私の娘が落ちぶれた家の、其れも行き遅れの西ドイツ女に劣るとでもいうのか?!どう考えても若くて美しいエリザベスの方が君の結婚相手に相応しい筈だ!!今からでも遅くは無い、考え直せ!!」


詳しい事こそ分からなかったものの

人伝に閃一の婚約者は彼より年上で、しかも旧家のお嬢様だと聞いて居たブライアンはここぞとばかりに貶めてやったのだ。



彼が愛して止まない、此の世でたった一人の女を。


しかも


男「なぁ、エリザベスよ。お前もそう思うだろう??」
女「はい、私もそう思います。全てにおいて完璧なヘル一輝には実に不釣り合いな女性だと思います。其の点私なら‥年齢も容姿も申し分無いと思うのですが??」


其れまで置物の様に一言も発言しなかった娘のエリザベスまでもがそんな事を言い出す始末。


愛らしい顔立ちからは想像も付かない、悪意の篭った其の言葉は先程の閃一以上にギャップを感じさせる。





尤も

観察眼に優れ、外見に騙される事無く相手の本性を見抜くのが得意な此の男に言わせれば大して驚く様なギャップでも無いのだが。



※しかし、二人はしつこく喰らい付く




閃一「ハハ。随分と面白い事を言う」


閃一はとうとう笑いを堪える事が出来ず、猫を被る事さえ止めて




閃一「自惚れるのも大概にしろ。相応しいかどうか決めるのは‥お前では無く俺だ」


此の財産目当ての卑しい女め!!

と、ハッキリ悪態を吐いてやったのだ。



其の、言葉の端々からひしひしと伝わる悪意にも怯む事無く

娘であるエリザベスは口を開いて



娘「いいえ!!私は貴方の婚約者の様に決して財産目当てで貴方に近付いた訳ではありません!!」

と、咄嗟に取り繕ってみせるが。



次の閃一の一言で、彼らは時が止まったかの様に動けなくなってしまう。




閃一「成程。其処まで言うなら信じてやろう。どうせ俺と婚姻を結んだ所で、伴侶となる女には1マルク(ドイツの貨幣単位)も入らないのだからな」
二人「…‥‥えっ?!」


どういう事だろうか??


素朴な疑問が二人の思考回路を支配する。



てっきり結婚さえすれば良いと思っていた。

そうすれば、いずれは彼が築き上げた其の莫大な遺産を手に入れる事が出来るだろうと目論んでいたというに。




閃一「フ。此の際だから教えてやろう。俺の資産は俺の為にあるのではない、我が栄光の東ドイツ発展の為に使われるのだ」
男「何だと?!其れはどういう意味だ??」
閃一「分からないのか??俺の死後、遺産は全て祖国に寄付する手続きが既に成されている。という事だ」
男「!!!!!」



彼の言葉通り、彼の死後は東ドイツ政府に援助金として。もしくは孤児院や様々な施設に寄付が成される事に決まっており


伴侶となる女は其の恩恵すら受けられない算段となっていたのだ。



だが

其れはブライアンやエリザベスにとって全く予想だにしない展開だった。




娘「そんな!!お父様、話しが違うではありませんか」
男「ぐっ‥‥こ、こんな筈では―――」


娘に詰られ、恥を掻(か)かされたと憤りを覚えたブライアンは半ば八つ当たりと言わんばかりに閃一を罵ろうと企むが



閃一「ハハハ!!やはり財産目当てだったか、此の薄汚い雌豚が!!だがどちらにしても、お前の様な親の脛を齧(かじ)る事しか能の無い極潰しを養うつもりなど毛頭無いがな」


皮肉たっぷりに追い討ちを掛ける閃一の言葉に、今度はエリザベス本人が怒りをぶちまける。





※閃一に嫌味を言われ、カチンと来る娘



だが


娘「ふざけないで頂戴!!私は極潰しなんかじゃないわ!!」
閃一「フ、ン。自覚が無いなら何度でも言ってやろう。ハナから男に寄生するつもりで嫁ごうと企む、お前の様な卑しい女の事を世間では極潰しと言うんだ」
娘「―――ッ///」


父親同様、沸点の低いエリザベスが甲高い声で怒鳴り付けても

閃一は一切容赦せず、更に辛辣な言葉を平然と投げ掛けてくる。



其れが悔しくて悔しくて

エリザベスが顔を真っ赤にしていると



閃一「反論したければせめて自らの稼ぎで母国に税金を払ってからにしろ。少なくとも俺の婚約相手は―――立派な事に自身の稼ぎで納税していたぞ??」


まるで暗に自立しろ、とでも言わんばかりに詰(なじ)られてますます居心地の悪さを覚えさせられる。




容姿には自信があった。

愛される自信だってあった。



けれど目の前の男が選んだのは二十歳になったばかりの歳若い自分では無く―――


まさかの自分よりも遥かに年上で、しかも家柄だって名ばかりな格下女ではないか。



其れが余計に、プライドの高いエリザベスの心を深く深く傷付けた。

其の上、本当の事だとしても極潰しだの遺産目当てだの罵られては堪ったモノでは無く



娘「嫌よ!!専業主婦なんて別に珍しくも何とも無いじゃない!!」
「なのに貴方の貧乏婚約者みたいにあくせく働けっていうの??冗談言わないで!!」
「第一私が働かなくても十分暮らしていけるのに、其れでも貴方は働けというの??そんなの馬鹿げているわ!!」


成金とはいえ、花よ蝶よと育てられ何不自由なく暮らして来たエリザベスにとって


実家に有り余る蓄えがあるのに何故働かなければならないのか、十分な稼ぎのある相手と結婚するのにどうして働かなければならないのか全く理解出来ず


怒り任せに本音をぶちまけてみせるが―――




閃一「‥‥ハッ。寄生根性も其処まで行くと見上げたモノだな」
娘「何ですって?!」


閃一は其れまでの嫌味な笑みを消して、背筋も凍る様な冷めた声色で言い返してやったのだ。




閃一「お前の様な単なる極潰しと、家事や育児といった重労働を夫の代わりに担う世の専業主婦を同列にしてくれるな」
娘「!!!!!」
閃一「そもそも、何時までも他人の稼ぎを当てにして食い繋ごうとする卑しい根性の持ち主を伴侶に選ぶ程俺は酔狂でも愚かでも無いぞ??」



何も家庭的な女性で無くとも良かった。

必ずしも税金を納めろと言ってる訳でも無かった。



そもそも美里と出逢っていなければ生涯独身を貫くつもりだったし―――他人の生き方に一々口を挟める程暇人でも無い。



ただ、東ドイツでは1989年までに約92%の女性が職業に就いており

労働と家事の両立が最早当たり前だったので



誰よりも祖国を愛し、『労働』や『努力』といった社会奉仕という行為を重視していた閃一にとって



どんな理由があれど


他人の財産で楽をする事しか考えていなかったエリザベスは唯の怠け者にしか過ぎなかったのである。




そんな閃一の何処までもつれない態度が許し難くて


頭に来たエリザベスは―――



娘「…‥だからあんな、三十路間近のババアを選んだっていうの??」
「大体働く女が偉いだなんて一体誰が決めたのよ?!」
「そんなの―――私よりブスで貧乏なんだから偉くも何とも無いじゃない!!寧ろ当然の結果でしょ??」
「其れに私の様な高尚な人間が底辺の人間の生き方を真似出来る訳無いじゃないッ」


もうどうにでもなれ!!と

半ばヤケクソな気持ちで彼の選んだ女をここぞとばかりに貶めてやった。



すると





※其れが決定打となり




閃一「‥‥‥ふー」




目の前の男がわざとらしく溜息を吐いてみせたので


其れが気に入らなかったエリザベスはすかさず




娘「な、何よ?!あからさまに溜息なんて吐いてッ」

などとのたまうが。



今までやけに饒舌だった彼がしみじみと、そして哀れみを帯びた様な声色で



閃一「つくづく頭の悪い雌豚だな」

たった一言

そう述べたかと思うと、周囲の温度が一気に下がる程の冷気を漂わせながら立ち上がった瞬間




エリザベスは本能的に激しい後悔と恐怖を覚える羽目となってしまった。




※所詮東ドイツの搾取用奴隷でしかない分際で抜け抜けと…と怒りを顕にし




閃一「畜生の分際で、俺の女を愚弄するとは良い度胸だ―――」


ガタン!!



音を立てて揺れる椅子。

明らかに、だが静かに怒りの焔を放つ閃一を前に二人は声を上げる事すら出来ず固まっている。



しかし閃一は構わずに




閃一「其の頭の悪さを死ぬ程後悔させてやろう」


ゆっくりと

一歩一歩彼らの元へと近付いていったのだ。




まるで彼らの恐怖心をわざと煽るかの様に。





男「な、何を企んでいる?!」
閃一「‥‥………」



目が据わっている。

余程腹立たしかったのだろう。



尤も

愛する女を馬鹿にされて黙って居られる程、閃一は大人しい性分では無かった。



男「ま、待て!!ヘル一輝!!此処は穏便に話し合おうじゃないかっ」


カツカツカツ

返答の代わりに規則正しい靴音だけが返って来る。




其処でふと、恐怖心も忘れてブライアンの脳裏にとある言葉が浮んだ。





※容赦の無い閃一さん




『ヘル一輝は表向き、とても素晴らしい慈善家として通って居るが…裏の顔を知った者は悉(ことごと)く此の世から姿を消しているらしいぞ』


たまたま、懇意にしているジャーナリストから聞いた他愛も無い噂話し。



だがそういえば、彼が其の後直ぐに行方不明になった事を思い出して



男「止めろ!!其れ以上近付くな!!本当の事を言って何が悪い??私も娘も‥何も間違った事は言っていないぞ?!コレ以上近付くのなら―――」


ガタガタと震えながら

其れでも精一杯の虚勢を張ってブライアンはそう叫んだ。



だが次の瞬間



閃一「黙れ」
男「!!」


ダンッ

という鋭い音と共に、ブライアンの後頭部には鈍い痛みが走ったのである。




そして


閃一「搾取用奴隷に言論の自由など無い。其れ以上喋るなら二度と喋れなくしてやろう」
男「あが、あがががっ」


力一杯顎を掴まれ、顎骨をへし折られそうな恐怖に駆られ怯えるブライアン。



―――此の細腕の何処にこんな力が?!


と思わず叫びたくなる位、驚かされるが。



※そして思い切り拳を振り上げ



閃一「せいぜい歯を食い縛っておけ」
男「ッ―――」


グワッと勢い良く閃一が拳を振り上げた瞬間


ブライアンは無意識の内にサングラス越しの瞳をぎゅうっと固く閉じ、衝撃に耐えようと歯を食い縛ったのだ。




逃げられない。

体格差が歴然としているのに、見えない圧力に捕らわれている様な錯覚さえ覚える程の恐怖心。



平素であればそんな自分を情けないと思っただろう。




しかし―――



※軍隊仕込の重い一発をお見舞いしてやる



ゴスッ、グシャッ


男「〜〜〜っ!!」


何の躊躇いも無く放たれた閃一の一撃は、ブライアンの想像以上に凄まじい威力を誇っていたのだ。




男「っ、ぎゃぁああああ!!鼻が、鼻がぁあああっ!!」

鼻骨を見事へし折られ、止め処なく鼻血が流れ落ちる。




其のせいで

ボトボトボトッ、と

真紅の絨毯に濃い染みが出来ていく。




にも構わず



閃一「耳障りだ。大人しく寝ていろ!!」
男「ぐふぅうっ」


閃一は特に気にした様子も無く、其れ所か間髪入れずにブライアンの鳩尾に重い一撃をもう一発見舞ってやったのだ。


ドスッ、と。

其の余りの痛みにブライアンはよろよろとよろめき、やがては力無く其の場にドサリと倒れてしまったのだ。




娘「お、お父様?!」
閃一「フン。情けない男だな、デカイのは態度と図体だけか」



蔑んだ目で倒れたブライアンを見詰める閃一。



確かに体格差が歴然としているにも関わらず、たった二撃で倒れてしまうのは余りにも情けない。



けれども相手はワルシャワ条約機構軍一と言われ、周囲からは『棍棒で鍛えられた』と表現される程錬度が高く


故にソ連軍からも恐れられ一目置かれていた東ドイツ軍に所属していた男なのだ。



しかも


金で地位こそ買ったものの、愛する祖国に仕える身の上として喜んで徴兵命令を受けていた閃一は

定期的では無いにしろ、シュタージの仕事に勤しむ傍らで厳しいと言われる軍の訓練もしっかりとこなしていたのである。



何というバイタリティ。

尤も、祖国の為という名目さえあれば此の男にこなせない事など何一つ無いだろうが。




※今まで閃一の事を紳士的で誠実な男だと思い込んでいた娘は酷く狼狽するが




閃一「……さて」
娘「!!!!!」
閃一「次はお前の番だ」



ギクリ

やけに低い、閃一の声色に反応を示すエリザベス。



けれど身体は金縛りにあったかの様に全く動かない。


其れでも彼女は震えながら



娘「ぼ、暴力に訴えるなんて最低よ!!紳士だと思っていたのに…そんな男だったなんて信じられない!!軽蔑するわッ」

などと咄嗟に口走ってしまったのだ。




其の己の一言こそが、余計に閃一の反感を買うとも知らずに。





※言いたい放題のエリザベスにとうとうブチ切れる




閃一「…勝手に幻想を抱いて勝手に幻滅しておきながら挙句の果てに責任転嫁か、目出度い女だ」
娘「―――いやッ、来ないで!!」


呆れと苛立ちを含んだ彼の声に思わず身が竦む。




閃一「どうせ俺の表面しか見ていなかったのだろう??」
「にも関わらずよくもまぁ婚約だの世迷言を抜かせた物だ」
「相手の本質を見抜く努力も出来ない癖に軽々しく愛を求めるな!!」



其処で、いつものエリザベスなら如何にも其れらしい理由を述べて言い訳や嘘を並べ立て己を取り繕っただろう。




しかし



閃一「…どうした??反論しないのか??」
娘「ひぃっ?!」


殺意を剥き出しに迫り来る閃一の迫力にすっかり押されてしまった彼女は、其れ以上何も言い返す事が出来なくなっていた。




―――逃げなければ。

本能的にそう思うのに、がくがくと震える足が其れを許さない。




其れでも、恐怖で震える自身の体を叱咤して何とか逃げようとするものの





※逃げ遅れる娘と、そんな娘にも容赦の無い閃一さん




娘「いっ―――」


がしっと頭部を鷲掴みにされて、更には逃げられない様片腕を掴まれてしまう。



だが、其の痛みで我に返ったのか



娘「な…何よ!!あの女は貴方の本質を見抜いていたとでも言うの??そんなの有り得る訳―――」


彼女は最後の抵抗と言わんばかりに気丈にも反論してみせたのだ。



まるで、完璧といえる閃一の演技を見抜ける訳が無いとでも言う様に。


そんな哀れみを誘う様な娘の言葉にも、閃一は涼しい顔をしてこう答えたのだ。




閃一「当然だ」

と。



そしてこうも言った。



―――フラウ美里は…お前の様な見て呉(く)れでしか勝負出来ない下らん女が貶めて良い女では決して無い。



とも。


そして娘の頭を押さえたまま壁際へと向かって……




※娘を容赦なく壁に叩きつける閃一さん



娘「ぶふっ?!」


ゴスッ、と

容赦無く美しいエリザベスの顔面をめり込ませる勢いで壁に叩きつけてやったのだ。




娘「い゛あぁああああっ!!」


たちまち壮絶な痛みが襲い掛かり、絶叫を上げるエリザベス。



誰よりも美しく、生まれながらに整った顔立ちをしていた彼女にとって其れは最高に屈辱な仕打ちだった。




けれど閃一は言った。

其れも、抑揚の全く無い声で




閃一「どうだ??自慢の容姿が無残にも見るに堪えない物へと変化する気分は」
「だが安心しろ」
「臓器売買に美醜など関係無い」

と。






が、肝心のエリザベスは父親同様鼻を折られ、大量の鼻血を出しながら



娘「いひゃいいぃいいっ!!お、おとうしゃまあぁあっ///鼻が、エリザベスの自慢の鼻がぁあああっ!!」

と、騒ぐだけだった。





けれど其れも因果応報といえばそうなのかもしれない。



閃一「ハッ、良い気味だな」
「確かに…何事も美しい事に越した事は無いだろう」
「しかし、若さや容姿はいずれ衰える」
「人間だけが美醜に価値を無理矢理当てがい、愚かな事に優劣を付けたがるのだ」



容姿に恵まれ、幼少の頃からちやほやされて育った彼女は異常な程美意識が高く

其れに比例するかの様に美へのこだわりが強かった。




故に自分より美しい女が許せず

父親の手を借りて自分が気に入らない女にはとことん嫌がらせをしたり平然と危害を加えて来たのだ。


其れを閃一も把握していたからこそ、一切容赦する事はせず




※娘を臓器売買の取引として部下を通し、バイヤーに引き渡してしまう



ガチャ…



と、徐に受話器を取っては

手馴れた様子で電話を掛け、喚くエリザベスそっちのけで淡々と

そして手短に話しを済ませてみせた。



閃一「……あぁ、俺だ」
「まずは手の空いている者を数名此方に寄越してくれ」
「其れから‥いつもの件でまた取次ぎを頼みたい」



電話先は、閃一が最も信用しており

且つ相手も閃一を教祖の様に慕っている可愛い部下だった。


そして取次ぎ先は秘密裏に繋がっている、巨大売春組織に所属する専属バイヤーの一人である。



部下『畏まりました、ヘル閃一。其の件に関しましては是非ともお任せ下さい』
閃一「あぁ、大いに期待しているぞ」
部下『有難う御座います』



部下の恭しい返事に満足する閃一。



勿論盗聴対策は万全で

彼は今まで、己に楯を突いた者や不要となった関係者、更にはかつて自分に近付いてきたあの女スパイの様な邪魔者はこうやって処理して来たのだ。



尤も、合理主義な閃一は余り此の様な始末方法は好んでおらず

余程の事が無い限り、女は大抵娼婦館かオークションで金持ちの変態親父に売られていくのだが―――





※全ては東ドイツを繁栄させる為の資金繰り




部下「お待たせしました」
閃一「此の二人だ、連れて行け」
娘「!!!!!」
部下「畏まりました」



今まで重ねて来た悪行が災いしたのか、或いは愛する女を馬鹿にしたのが相当マズかったのか

エリザベスと其の父親であるブライアンは問答無用で処理場へと連行されてしまうのだった。




娘「いや、いやあ゛あぁああああっ!!離して、離してよおおおぉおっ!!」



そうして、断末魔の様に狂った叫びを上げながら室外へと連れ攫われるエリザベスを横目に



閃一「フン。貴様の様な役立たずでも我が東ドイツの資金源になれるのだ。せいぜい光栄に思うが良い」


祖国至上主義な此の男が同情など全く抱く訳も無く。

寧ろ良い使い道が見付かったと、残酷にもほくそ笑んでみせるのだった―――

.

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ