短編夢BOOK

□こんな日も良い
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12月29日。今年も残す所3日という、特に用事の無い人でさえ何処か逸る様なソワソワとした気持ちになる年の瀬のころ、天井の低い8畳の狭いワンルームの一室で、アナタにこの部屋は窮屈では無いのかとすら思える長身の彼は、床にしゃがみ込む態勢を保ったまま、スーツケースの蓋を閉じた。
一仕事終えたといった感じで、額を手の甲で拭い、壁に掛かったデジタル表示の時計を見る。
【23:45】という表示を確認し、僅かに焦った表情で、彼―ベルトルト―は、その大きな体をベッドに投げた。
 さぁ、眠ろうか……と思ったその時、ベランダの窓がバンバンと叩かれ、ベルトルトは煩わしそうに眉を寄せる。自室のベランダに侵入されている状況では無視も出来ず、仕方なくベルトルトはたった今横たえたばかりの体を起こし、ベッドを降りるとベランダの窓の前に立った。
 窓一枚を隔てた向こう側に立つ彼女は、何を言ってるのか、口を動かす度に真っ白い息を吐き出していて、まるで妖怪だ……と思いながら、ベルトルトは窓の鍵をカタンと開けた。

「寒い〜!早く開けてよ!」
 
窓を開けたと同時に、滑り込む様に室内に入ってきた彼女は不服そうにそう言い、ベルトルトは部屋に入ってきた冷たい外気を嫌そうにして、急いで窓を閉める。

「あの、名無しさんさん?僕、明日の朝に実家に帰省するんで、もう休みたいんですが……」
「うん?知ってるよ。留守の間は私がちゃんと隣で見張っててあげる!!」
「はぁ……。有難うございます。で、僕休みたいんですが」

ケロリとした顏で答えた名無しさんは全く部屋に戻る様子が無いので、ベルトルトは再度彼女にそう告げるが、やはり名無しさんは知ったことかといった様子で、手に持っていたポリ袋から缶ビールを取り出して、正方形の小さなテーブルに置いた。
 そんな彼女を見て、諦めた表情でベルトルトが机の前に腰を下すと、彼の好きな銘柄の缶ビールがトン、と目の前に置かれた。
 
 同じアパートの隣人同士の付き合いなんて、昨今では挨拶程度が主流なのだろうが、ベルトルトとその隣人名無しさんの間柄は最近のソレとは少し違っていた。
 とはいっても、ベルトルトが入居した際に、挨拶に伺った時はそれこそ、「宜しくお願いします」とマニュアル的な言葉を交わしただけであったが、それから2週間後、名無しさんがベルトルトの部屋の呼び鈴を鳴らした時から、その日常が変わった。

『今、時間あります?』

『は、はい?』

『ちょっと、私の部屋に来てほしいんです』

『あの、それはどういった理由で……』

隣人とはいえ、いきなり女性に「部屋に来て」等と言われ、動揺しつつも彼女の眼差しが真剣なので断り切れずに着いて行けば、玄関に入った瞬間名無しさんはベルトルトに、丸っこい電球を手渡した。

『え?』

『玄関の電球切れちゃって……私、届かないんで、着けてほしくて……』

電球を握ったまま、ベルトルトは自分の下胸の位置までしか無い彼女をマジマジと見下ろした。別に、馬鹿にしたつもり等無く、(こうやって見たら確かに背が低い人だな)と思ったぐらいで、また、そんな小さな女性が電球が切れたという理由で、長身の自分を頼ってきたという事が何処か可愛らしいな、と感じ、小さく微笑んだのだが、それが名無しさんのプライドを傷つけた。
 すんなりと電球を付け替えて、古い電球を名無しさんに手渡せば、それを受け取った名無しさんは「アリガトウ」と棒読みで言った後、ギロリと下からベルトルトを睨み上げた。

『さっき、何で笑ったの?』

『えっ……』

『チビだからって馬鹿にしたんでしょ!?』

『ち、違います!誤解っ……』

『いや、した!馬鹿にした!!私には分かる!』

『あの……ほんとに違うんで……』

 結局その場は、ベルトルトが名無しさんを夕飯に招待するという形で治まったのだが、よくよく考えれば頼まれて電球を付け替えたのはこっちなのに……と不満気に呟けば、サラリと名無しさんは言ったのだ。

『分かった。じゃぁ、次は私が招待するよ』

『はい?』

『だから、次は私の部屋で夕飯食べよう』

 彼女の言っている意味がよく分からなかったが、どうせ社交辞令の様なものだろうと、指してベルトルトは気にしていなかった。
 しかしそれから1ヶ月後に、その約束は果たされた。その後も、なんとなく定期的にどちらかの部屋で(確実にベルトルトの部屋になる方が多かったが)夕飯、もしくは晩酌を一緒に交える仲になった。
 とは言っても、いつも誘うのは名無しさんからで、いつの頃からか彼女は玄関では無く、ベランダから侵入しやって来る様になったのだ。
 正直、新卒1年目で実家を出ての一人暮らしというのも初めての経験だったベルトルトにとって、こうして一緒に食事をしたり酒を呑んだり出来る間柄の人間がいるのは心強かったし、自分より3つ年上の名無しさんには、変に気取ったり、背伸びする必要も無く、仕事での悩みや自分の弱い部分も見せる事が出来た。

つまるところ、楽な関係なのだ。

だがしかしこの年の瀬の時期、おまけに明日は朝が早いという状況では、彼女の来訪を歓迎などとても出来ない。

「あの、1杯呑んだら本当戻って下さいね。新幹線、乗り遅れるわけにいかないんで……」

言って、自分の目の前に置かれた缶ビールのプルトップを開けようとしたら、その手をパシッと名無しさんが叩く。

「まだ開けちゃ駄目!!」

彼女の冷たい手で叩かれると、軽くとはいえ、キンとした痛みが骨にまで響いて、ベルトルトは眉を寄せた。
 早く休みたいとさっきから告げてるのに、何故そんな事を言うのだろうか……と隣の名無しさんを睨むが、彼女はベルトルトの方は見ずに、壁に掛かったデジタル表示の時計を睨みつけていた。
 
【23:59】と表示されている右下に小さな数字が秒を刻んでいる。

54…

55…

56…

57…

58…

59…

その直後に、表示されている数字が全て“0”に変わった。

「おめでとう!ベルトルト!!」

そう言って、名無しさんは自分の手元の缶ビールのプルトップをプシッと開けた。

「え……?」

依然、未開封の缶ビールを片手で掴んだまま、ポカンとしているベルトルトに、名無しさんは呆れた顏を見せた。

「誕生日でしょ?今日。実家に帰るって言ってたからさ、帰る前にお祝いしたかったんだよね」
「あ……」

完全に忘れていた。
そもそも自分の誕生日など、昔からバタバタした時期だという事で、おざなりにされていた事が多かったので、あまり自分の誕生日を特別な日だと思っていなかったのだ。何となく「ああ、1つ歳を取ったんだ」と思うぐらいで、それが虚しいとも嫌だとも思わなかった。

「いつまでそんな顔してるのよ!ほらほら、乾杯しよ!!」

肘で突かれ、ベルトルトは我に返り缶ビールのプルトップを開けた。

「誕生日、おめでとう!!!」
「あ……ありがとうございます」

何だかこそばゆい……と思いながらベルトルトは彼女に向けて缶を軽く持ち上げた。
 
「でも、よく覚えてましたね。僕の誕生日なんて」

のんびりした口調でベルトルトが言えば、名無しさんは少し怒った様に下唇を突き出した。

「なかなか忘れられない日でしょうが。12月30日が誕生日だなんて」
「そ、そうですか?」

年末という覚え方をされる為に、たまに友人から大みそかに「今日誕生日だっけ?」等と聞かれる事があったりするので、そこまで覚えやすい日だとはベルトルトは思わなかった。会社の上司に12月25日が誕生日の人がいるが、その上司が以前「クリスマスイブに『おめでとう』と言ってくる奴がいる」と不満気に言っていた事にも激しく同意したものだ。

「とにかく!私にとっては覚えやすい日だったの!!」

ツン、とした顔で缶ビールをグイグイと呷る彼女を見つめ、ベルトルトはニヤケてくる口元が押さえられずに、自分も缶ビールを口にする事で誤魔化した。

「何?今何か笑ってない?」
「わ、笑ってないですよっ……」

こんな風に祝ってもらえるのは、良いモンなんだな……。

と、ベルトルトは【1:00】と表示されている時計を見ながら、三本目の缶のプルトップを開けた。



―END―
 

 


 
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