企画物BOOK

□君に会いに
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「兵長、どうかしたんですか?」

夕食時の食堂で、彼にしては珍しく落ち着きのない様子に、ペトラは心配そうにそう声をかけた。
ズボンの尻ポケットを探っていた手を出して、リヴァイは難しそうな顔をして言う。

「ハンカチを何処かに落としたらしい」
「ハンカチを……?」

人類最強であり無類の潔癖症のリヴァイはいつもハンカチを持ち歩いているのはペトラもよく知っているが、神経質な彼がそれを何処かに落とすなんて事は些か信じられなかった。
自分の背後で木の葉が一枚落ちただけでも気が付いて振り返りそうな人間が、ハンカチを落して気付かないはずがない。

今日の訓練の一部始終を思い出そうと視線を宙に泳がしていたペトラは、やがてビックリマークを貼りつけた様な顏になって、リヴァイの方を向いた。

「あ!兵長、馬を直す時に泥が飛んだとか言って拭いてませんでしたっけ?」
「ああ……そうかあの時―…」

リヴァイも納得した様子で頷いた。

哨戒を終えて馬を厩舎に戻した時に、跳ねた泥砂がジャケットに付いて、拭き取ったのだが、直後に馬が排泄をした為にそちらに気を取られてしまい、ハンカチは厩舎の仕切板に引っ掛けたままで、忘れていたらしい。

「私が取りに行って差し上げたいのですが、その……」

リヴァイに忠実な部下であるペトラの事なら、すぐ様“自分が取って来る”と言いそうなところだが、今回は渋る様子で眉を下げている。
彼女がそんな反応を見せる理由が分かったらしくリヴァイはガタッと椅子を引いて立ち上がった。

「いや、俺が取って来る。」
「すみません。行ってらっしゃい」

そもそもリヴァイ自身の忘れ物なわけで、ペトラが謝る必要等全く無いのだが、そこに突っ込みを入れるのも面倒臭いのか、リヴァイはペトラの声を背中で聞き流して、食堂を後にした。

リヴァイの馬はリヴァイ以外に懐かない。懐かないというだけなら、乗るのはリヴァイだけなので問題は無いが、リヴァイ以外の人間が不用意に厩舎の前に立つ事があれば、後ろ足で立ち上がったり、激しく嘶いたりと、問題行動を起こすのだ。
リヴァイの前では、穏やかで品の良い馬ですよ、と言わんばかりに大人しく、おまけに美しい黒毛のおかげで何とも凛々しく威厳の溢れた、リヴァイの馬らしい馬の姿をしていたし、他の兵が近付いたりしなければ普段の業務では特に困る事は無い。
ペトラがハンカチを取りに行くのを渋った理由はそういうわけだ。リヴァイにしても、もしそれでペトラが怪我をしてしまったら当然困るのだ。

蝋燭の灯りだけを頼りに、足元に気を配りながら厩舎の側まで来た時、リヴァイは自分の馬の厩舎の前に人影があるのに気付き、足を止めた。

(誰だ……?)

咄嗟に厩舎の影に隠れる様にして、リヴァイはその人影に目を凝らす。
調査兵団のジャケットを来ているし、兵士である事は間違いは無さそうで、両耳の下辺りから2つ括りにした髪がダランと伸びているのでどうやら女らしい。どうも、リヴァイが近付いてきていた事には全く気付いてはいない様子で、彼の馬に向き合っている。

(何をしてる?)

その光景はリヴァイにとって、いや、リヴァイ以外の人間が見ても目を疑うものだった。
リヴァイの馬が、リヴァイ以外の人間を前にして大人しく向かい合っているのだから。
おまけにその彼女は、何やら馬に話しかけているらしく、ボソボソと声が聞こえる。

息を殺しながらもう少しだけ距離を詰めて、リヴァイは彼女の声に耳を澄ませた。

「―…ほんと、君の飼い主は凄い人だよね」

そんな言葉と同時に、カタッと彼女の手元から音がする。彼女の右手が少し持ちあがり、掴んでいたものが口元へと運ばれる。

(あんな場所で何で飯を?)

よく見れば左手にはお皿が持たれていて、右手で掴んでいたのはスプーンの柄だ。
 
別に食事場所の決まりなどは無いが、それでもほとんどの兵士が食堂で済ませているし、リヴァイもたった今食堂から出てきたばかりだ。
灯りもつけずにしかも厩舎で、馬に話しかけながら食事をする兵士など今まで見た事が無かった。
それに加えて、自分の馬がまるで彼女の存在を許す様に大人しくしている事もリヴァイには信じられなかった。

「私は全然ダメ。私の馬も、私を馬鹿にするんだよ。正に馬が合わないってやつだね」

そう言って、彼女は可笑しいのかフフフっと小さく笑った。

(何なんだ。アイツは)

大分目が暗闇になれてきて、ぼんやりとした月明かりだけでも彼女の表情が分かる様になってきた。
兵士長という身分であり、300人前後いる調査兵団の兵士のその殆どは顔と名前を知っているはずだが、彼女の顔を見てもピンと来なかった。
こんな顔の兵士が居たと言われたら居た気もするし、居ないと言われたら居なかったかもしれない。いまいち特徴の無い彼女の顔が余計にそうさせていた。

コト……と、彼女はスプーンを皿の上に置いて、空いた右手をゆっくりと、馬に向かって伸ばし出した。

(なんだあれは。どうなってやがる)

彼女は伸ばした手で躊躇無く馬の頬辺りを撫でた。信じられない事に馬は嫌がるどころか心地よさそうに、2.3度頷く仕草を見せた。

「そろそろ戻らないと。じゃあね。」

ポンポンと馬の首筋を叩くと、彼女は名残惜しそうに数歩後退りした。
ブルルッと、馬が寂しそうに小さく鳴いた。

「また、君に会いに来るから!」

さっきまでよりは少しだけ大きな声でそう言って、彼女は踵を返し走って石造りの建物の中へと戻って行った。

しばらく放心状態だったリヴァイは、ようやく当初の目的を思いだし我に返ると、先程彼女が立っていた場所。自分の愛馬の厩舎の前まで歩いてきた。
仕切板に所在なさげに引っかけられている白いハンカチを掬い取ると、片手を馬の顏に向けて伸ばした。
ご主人の登場が嬉しいのか、それともさっきの彼女との密会を見られていた事に焦ったのか、リヴァイの機嫌を取る様にいつもよりも余計に頬を摺り寄せ、ベロリと彼の手を舐めた。

「さっきの女はよくお前の所に来るのか」

そう尋ねると、馬は「もう聞かないで下さいよ」とでも言う様に、顏を俯けて、前足で地面を掘る仕草をした。
実際リヴァイは馬の言葉が分かるわけもないし、そんな事を聞くだけ無駄なのだが、何故か聞かずにはいられなかった。
自分にしか懐かないはずの馬が、他の人間、それもリヴァイのよく知らない女兵士を前にしても大人しく、それに加えて触れられても嫌がるどころか逆に嬉しそうにしていたという情景がどうにも不可思議だった。

(あの女は一体……)

消化しきれないモヤモヤとした感情を抱いたまま、リヴァイは仕方なく厩舎を後にした。


翌日、兵が訓練に励む中、リヴァイは「巡回」と称して訓練所内を歩き回りながら、昨日の彼女の姿を探していた。
今まで気にもしていなかっただけなのか、案外すぐに彼女の姿を見つける事が出来た。

(何してるんだ……あいつ?)

昨日の夜と同じ2つ括りの髪をダランと垂らしている彼女は、おそらく同じ班のメンバーと思われる兵士達に混じってはいるが、どうも1人だけ何か変だ。
若干兵士達の輪から1人だけ距離をとっている様な感じもするし、何やら皆が話し合っていても上の空なのか、頷く素振りも無い。
やがてその班が場所を移動するらしく歩き出せば、彼女は皆の後を追いかける様に1人でトボトボと後ろを付いて行っていた。

リヴァイが彼女の姿を見つけてから、その班が場所を移動して離れていくまで時間にしては10分ぐらいかと思われるが、彼女は1言も言葉を発していなかった。
人に寄って性格は十人十色なわけで、無口な人間がいてもおかしくは無いが、妙なのが彼女の周りにいた兵士達だ。
誰も、彼女に話しかけていない。
彼女も誰とも話そうとしない。
一緒に訓練をしてるという事は、同じ班の仲間であるはずで、それがまるで口を利かない状態というのはやはり何処かおかしい。

休憩の時間、リヴァイは自分の班が茶を囲んでいるテーブルのすぐ近くにやはり1人、ボーッとしている彼女を見つけ、隣で茶を飲んでいるペトラに尋ねた。

「ペトラ。あの女を知ってるか?」

リヴァイが顎で指す方向に視線を動かしてペトラは、彼女の姿をその目に捉えて、「ああ
」といった感じで頷いた。

「知ってますよ。マホ・ネーム。私と同期ですよ」

同期、という事はそれなりに兵歴はある事になる。逆に何故自分は今まで彼女の事を全く知らなかったのか、とリヴァイは後悔なのか何なのかよく分からない小さな苛立ちを感じながら、続けてペトラに聞く。

「どんな奴だ」

その質問にはペトラは困った様に眉尻を下げた。

「正直、私、余り話した事無いんです。彼女、人と話したりする事が苦手なのか、訓練生時代もいつも1人で行動してたんです。でも、何で兵長はマホの事を?」

確かに、いきなり自分の部下に他の兵士の事を聞くなど、リヴァイには珍しい行動であって、ペトラが不思議がるのも無理は無い。
ズズズ……と茶を啜ってから、リヴァイは敢えて冷静な口調で答えた。

「午前中、あの女……マホとか言ったか、ソイツの班の訓練の様子を巡回の時に見たが、どうもマホだけが班の輪から外れている気がした。今も1人でいる様子だし、少し、気になった」

昨晩の事は言わず、あたかも兵士の行動を心配している上司らしい言葉を並べるリヴァイに、ペトラは納得したらしく頷いた後、少しバツが悪そうな顔でリヴァイを見つめた。
何となく悪い事を聞かされる予感がして、リヴァイは眉間に皺を寄せてペトラを見つめ返す。

「調査兵団に入ってまでそんな事は無いと思いますが……。訓練生時代、彼女の事を少しからかう人達はいました」
「……虐めか」
「そこまでかは……。訓練生時代も幾つかの班に分かれて訓練していたのですが、その彼女のいた班の兵士の中にそういう事を率先してやっているグループがいたんです。」
「誰も助けなかったのか」

その言葉に、ペトラは悲しそうに眉を歪めた。

「私も、自分の班の中でそういう事があったら何とかしようと思ったんでしょうけど、正直、毎日自分自身の事で手一杯で、見て見ぬふりをしてしまってました……」
「そうか……」

リヴァイはそう答えたきり、それ以上は何も言わず、ボーッと突っ立っているマホを眺めていた。
ペトラが薄情だなんて事は、別段思っていなかった。
実際、兵士になる為に訓練をしている場所で、自分と親しいわけでも無ければ、同じ班に属しているわけでも無い同期を気に掛けてやれる人間等そうそういない。
自分の事に集中していたいし、下手に構って火の粉が自分に降りかかるのも困る。
ペトラだけでなく、誰も助けなかったというのはおそらくそういうわけだろう。

しかし、調査兵団という組織に属してもまだ、彼女が孤立しているというのは、何処となく腑に落ちない。
昨晩、夕食を厩舎の前で食べていた事も、複雑な理由があるのでは無いかと思うとますます気掛かりなのだ。
それに、自分以外に懐かないはずの馬が、彼女にはどうも懐いている様子だった事も少し引っ掛る。
一体彼女は何度、リヴァイの馬の前に来て、どれだけその馬と会話をしてきたのだろうか……。その時間分がイコールで彼女の孤独と比例している気がした。

だがそもそも、自分の愛馬は相変わらず誰にも懐かないのだろうか。暗黙の了解の様に誰も近付かなくなって随分と時が経つが、もしかしたら案外もう他の人間を威嚇する事は無いのかもしれない。
スクッ……と立ち上がると、リヴァイは側にある汲み上げ式の井戸の前まで来て、バケツにたっぷりと水を汲んで、何やらペラペラとグンタに話しているオルオを呼んだ。
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