企画物BOOK

□自由への意志
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843年。
マホ 16歳―…

僅か6畳程の部屋を埋め尽くす様に、地べたに並んだ布団の上では、その布団の数と同じ……もしかしたら少し多いかもしれない少女達がひしめき合って横たわっていた。
その万年床の1カ所からムクリと1人の少女が起き上る。
肩に当たる位置で切り揃えられた艶やかな黒髪が彼女の動きに合わせてハラリと揺れた。
歳はまだ15、6といったところで、幼い顔立ちをしているが、何処か冷めた表情をしているので、顏に似合わず不自然な程に落ち着いて見えた。
キャミソールから覗く左胸の上の方に、小さな文字で
マホ
と書かれた青い刺青があった。
枕元に置かれてある白いワンピースを着ると、すぐ隣に眠っていた少女がパチリと瞳を開けた。飴色のウェーブがかった髪を波打たせながら、

「マホ。出掛けるの?」

と問う少女に、マホと呼ばれた黒髪の少女は無言で頷いた。

「なら、お土産ほしいな。私はまだ外に出れないから」

ほんの少しだけ羨ましそうに瞳を細めた少女のキャミソールから覗く胸は傷一つ無く、白くて綺麗だった。

「分かった。何かあれば……ね。今夜も忙しいだろうから、まだ寝てなよ。リア」

マホの言葉に、リアと呼ばれた少女は嬉しそうに頬を赤らめて頷くと、大きな瞳を瞼の奥に仕舞い込んだ。

マホは、枕の下から重量感のある薄灰色の巾着袋を取り出すと、それをワンピースのポケットに仕舞い、寝床からソロリと立ち上がった。

部屋を出て、薄汚い木の廊下を抜けて外に出る扉を開ければ、上空からシトシトと雨が降り注いでいて、地面を濡らしていた。
空を見上げ、マホは気怠そうに溜息を吐くと、玄関口に乱雑置かれていた幾つもの傘から適当に1本手に取って、外に出た。

ただでさえ暗い地下は、雨が降れば日中も夜も大して区別がつかない。
ランタンで道を照らしながら、マホはトボトボと歩いていた。

この世界は壁に囲われているが、マホ達にとっての壁の中はこの場所だった。
王都の地下街の、最奥に位置するその場所は、四方を高い鉄格子が囲んでいて、鉄格子の外には3メートル幅の深いドブが今度は鉄格子を囲う形で設けられている。
ドブの深さは5メートルとも10メートルとも言われ、そこは壁の中の全ての下水が流れ込む。雨で水位が上がったり、蒸し暑い日には、ドブの中から饐える様な匂いが立ち昇ってきて、一日中不快な気分になる。

だからマホは雨が嫌いだった。
壁の中の欲に塗れた匂いが、全身に纏わりついてきて、ひどく気分が悪くなるのだ。

壁の中を出入りする唯一のルートである、立派な石造りの橋の前には、ガタイの良い男が壁の中側に2人、外側に2人、と如何にも物々しい雰囲気で橋を挟む形で立っている。
腰には立派な剣が鞘に納められて、いつでも伐りかかれるぞといわんばかりにスタンバイしている。

こちらに近付いてくる足音に気付いた男が、橋を塞ぐ様に立ってマホに向かい合う。

ワンピースの胸元のボタンを2個外すと、マホはおもむろに左胸を曝け出して、胸元の刺青を男に見せた。
もう1人の男と無言で頷き合うと示し合せた様に2人が橋の脇に寄り、マホはカツカツと石造りの橋に足音を響かせながら壁の外へと進んで行った。
橋を渡った先に立っていた2人の男も、マホを食い入る様に見つめながらも彼女の通行を妨げない様、端に寄っているのでマホは堂々とその前を通り過ぎた。

マホの様に壁の外と中の行き来が許されている少女は少ない。
壁の中に連れて来られた少女達にそもそも自由は無かった。
今は薄暗く静まり返っている壁の中も、夜が更ければ、そこかしこの明かりが灯り、沢山の男達が壁の外から舞い込んで来る。
そんな男達の性の相手をするのが少女達の仕事だった。
その年齢層は、ようやく歳が2桁になるかならないかといった幼い子から、30代前後の女性までと幅広いが、初めてこの世界にやって来た時は皆15歳に満たない少女だった。
当然ながら自分の意志で来る少女などおらず、貧しい生活の末親に売られた子、親の借金の形に連れてこられた子、孤児院から連れてこられた子等、壮絶な日々を歩んでいた子達が集まってくる。
四方を囲むドブと高くそびえる鉄格子は、逃げられない様少女達を閉じ込める牢獄で、しかし仮に逃げ出したとしても、頼れる場所など、親に手放された少女達にあるはずがなかった。
そんな牢獄の中で、不自由を強いられながらも生かされ、働かされる。
当然、勝手に壁の外に出る事は許されていないが、条件を満たした者だけは特別に壁の外と中を行き来でき、マホもその1人だった。
その条件というのも単純で、壁の中に来て3年以上で且つ、1度も問題を起こしていない者に限られていた。
問題といっても様々で、脱走は勿論、仮病、女同士のトラブル、盗み、雇い主への反抗、客とのトラブルや色恋等々、挙げればキリが無いが、とにかくそういった問題事を起こしていない者は信用に値するとされて壁の外に個人で出掛ける事が許された。
それでも完全に信用されている訳では無く、そのまま逃亡する事が無い様に、自由を許可された者達の胸にはそれぞれの名前が彫られた。それは、自由に壁の出入りを認められた通行証でもあり、彼女達を縛る枷でもあった。

壁の外でに出れば、饐える様な性の匂いも幾分か薄れて、それでも地下街独特の薄汚れた臭いは漂っているが、普通の人なら眉を顰めるであろう臭いもマホにとっては新鮮で、大きく深呼吸して肺一杯に空気を送り込んだ。
ポツポツと傘に当たる雨音をBGMに地下街を歩きながら、道なりに続く露店を順に流し見ていた。
美味しそうな食べ物や色とりどりのお菓子、王都で流行っているのだろうデザインの洋服に、日用品、明らかに盗品だと思われる宝石なんかも此処では当然の様に並んでいる。
ポケットに入れていた巾着袋の中身をジャラジャラと鳴らしながら、マホは何か目ぼしい物は無いかな、と走らせていた視線を、1つの露店の前で止めた。
そこは装飾品が並ぶ店で、チューリップが描かれた可愛らしい髪留めをマホは手に取った。

“お土産ほしいな"

と笑うリアの飴色の緩やかなウェーブの髪に、その髪留めが飾られているのを想像し、マホは大きく頷いた。
椅子替わりの木箱に腰掛けて居眠りしている店主に、「これください」と言おうとしたその時、一つ先の通りから大きな物音が聞こえ、マホは驚いて髪留めを落とし、船を漕いでいた店主もパチりと瞳を開けた。

「待て!!追うぞ!逃がすな!!」

物騒な声も聞こえきて、マホはいよいよ穏やかじゃないな、と思いながら、まだ眠そうにしている店主を残し声があった通りの方へと歩いて行った。

開いた傘を少し斜めに傾けて建物の狭い隙間を抜け通りへ出ようとしたら、この狭い通路を前から走ってくる人物に気付き、マホはハタと足を止めた。
傘の下から顔を覗かして、その人物を見れば、警戒心の塊の様な鋭い眼光に睨まれて、ゴクリ、とマホは喉を鳴らした。
少年というには大人びていて、男性というにはまだ若々しさを感じさせる小柄なその人物から圧倒的な強さ感じて、マホは完全に威圧されて立ち尽くしていた。

「おい、傘を閉じろ。通れねぇだろぅが」

マホの真正面まで来て唸る様な声色で男が言った。
男がやって来た方向の通りからは、バタバタという足音と数人の男達の声が飛び交っている。

そうかこの人……

そう思った後のマホの行動は、男は勿論の事、マホ本人ですら予測出来ないものだった。

気が付けば勝手に体が動いていた

正にその表現が正しかった。

男の腕を取り、少しだけ上げた傘の中に引き入れる様にして、彼の体にギュッと抱きついた。

抱き着いてみれば、予想以上に逞しくガッシリとしているのがハッキリと分かった。
向こうの通りの足音がバタバタと近付いてきたかと思ったら遠ざかって行った。

ドクンドクン……と2人分の鼓動が傘の下で緊張して打ち震えていた。

足音と声が随分と遠くになってから、マホはパッと男から離れた。
マホが抱き着いている間、ピクリとも動かなかった男は、抱き着かれていたままの体勢でマホを睨みながらやはり唸る様な、威圧的な声で言う。

「おいガキ……何の真似だ」
「追われているみたいだったから……」

そう、マホが答えれば、男はハンッと鼻で笑った。

「それで、どんな奴かも分からねぇのに匿ったのか。おめでたいガキだな」
「助けたいと思ったから。貴方自身が悪党かどうかは私には関係ないもの」
「生意気なガキだ……っ」

嘲笑染みた笑いを浮かべていた男の顏が、思い出したかの様に苦痛に歪んだ。
ハッとして男をマジマジと見てみれば、薄茶色のシャツの右肩の部分に赤黒い染みが出来ていた。

「怪我をっ……」
「大した怪我じゃねぇが。散々走らされた所為で血がなかなか止まらねぇな。めんどくせぇ」
「こっちに……」

素早く傘を畳むと、マホはすぐ目の前に腐りかけた状態で置かれてある大きな木の樽にヨイショ……とよじ登った。
敢えてその場所にこの樽は置かれていたのか、樽の上に立ち上がれば、接している建物の2階部分の窓に丁度手が届き、カタリと音を立てて木窓はあっさりと開いた。
慣れた様子で窓から室内に入ろうとするマホを訝しげに見て、男は聞く。

「ここは、てめぇの家なのか」
「違う。でも、入って大丈夫。誰も住んでいないから」

まるで当然の様にマホがそう言うので、男は何か言いたげな顔をしながらも渋々、マホに続いて室内へと入った。

地下街にはこういう空き家が幾つもある。そもそも、地下街に居を構える人間に真っ当な職に就いて真っ当な生き方をしている者などまずいない。
住まいにしても、わざわざ地下街に家を建てる者などいるはずが無く、人の気配の無い建物に勝手に住む事が主流なのだ。
勝手に住んでいれば、勝手に出て行く事も必然であり、この空き家に関してはマホが知ってる限りもう2年以上人が住みついた気配が無かった。
初めて壁の外に出る時、一緒に連れて出てくれた先輩にあたる女性が「秘密基地なの」と教えてくれたのだ。去年、成金ぽい男に見初められたその先輩は、もう壁の中から出て行ってしまい、マホはそれからもたまにこうして1人でこの『秘密基地』を訪れていた。

といっても何も無いがらんどうの室内だ。
年季の入った木の床が歩く度に、ギギギ……と悲しそうな声を上げた。

部屋には窓以外にも、出入り口となる扉があり、過去に1度だけマホもその扉を開いた事があるが、すぐに階段があって、そこを下っていくと1階の部屋に繋がるが、そこは誰も居なかったが生活臭が如実に感じられて、すぐに2階へと戻った。
その後からも『秘密基地』を訪れる事はあっても、1階から人の気配がする事は無かったので、おそらく夜にしか帰って来ない人が住んでるのだろうとマホは認識していた。


「手当てを出来るものも無いのだけれど、少し此処で休んでいけば良いかと」

ペタン、とマホが床に腰掛けたので、男も辺りを警戒する様に見渡してから、パッパッと手の平で軽く床を払ってからドカッと腰を下ろした。
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