企画物BOOK
□怪我の功名
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■ジャンver■
石造りの廊下をジャンは小走りに進む。
目的地に迷いは無いらしく、変わらないスピードのまま進み続けたジャンはやがて、1つの扉の前で立ち止まった。
緊張した様な面持ちで、1度、コホンと咳払いをしてから、トントンと扉をノックした。
「マホ班長。俺です。開けますよ?」
「ジャン?入っていいぞ」
扉の向こうから返ってきた声に、ジャンはホッとした表情で扉を開いた。
「怪我の具合はどうですか……って、何やってんすかアンタ!?」
扉を開いた先の光景に、ジャンは顔を引き攣らせてそう叫んだ。
「上司に向かって『アンタ』とは何だ」
タンスをズズズと引き摺りながら、マホは不愉快そうに眉根を寄せる。
「いや、だって……何考えてんですか?絶対安静でしょ!?」
「別に平気だ。ベッドの上でずっと寝てる方が体がおかしくなる。それに、こういう時じゃないと部屋の模様替えもなかなか、出来ないからな」
「今は模様替えとかしていい時じゃないですよ……」
呆れた声で言って、ジャンは彼女が引き摺るタンスに手を置いた。
先の壁外調査でマホは巨人と戦って怪我を負った。
不幸中の幸いで、マホは肋骨を折っただけで命に別状は無かったが、目の前で、マホの体が巨人に弾き飛ばされるのを見た時、ジャンは生きた心地がしなかった。
今までも、目の前で仲間や先輩が巨人に襲われるのは見ているし、命が消える瞬間を見届けた事もあるが、マホが襲われた時の衝撃は、それよりも遥かに大きかった。
恋人……なんて言葉を使って良いのかは分からないが、マホとの関係は、上司と部下という間柄を除けばそう説明がつく関係にまで進歩していた。
業務中こそ、上司と部下らしくしているが、業務時間外にはどちらかの部屋−9割方マホの部屋だが−で、甘いひと時を過ごし、休みの予定が合えば街まで出て所謂デートを楽しむ事もあった。
だからマホの部屋にジャンがしょっちゅう足を踏み入れる事も許可されてるわけで、怪我をしている今は、ジャンが主に彼女の看病をしており、周りも口にこそ出さないが、2人が特別な関係だという事は分かっているらしかった。
とりあえずそんな訳で、現在マホは怪我をしており、それも絶対安静だと医者から言われていた。
ジャンはマホの手をタンスからゆっくり外させると、彼女の肩を抱いてベッドへと誘導する。
「大人しく寝て下さいよ。」
「だから別に平気だと言ってるだろ」
「模様替えなら俺がするから。こんな事してたら治るものも治らないですよ」
ジャンに肩を抱かれたままベッドまで歩いてきたものの、半ば意地なのか、マホは腰を降ろそうとはしない。
彼女の怪我に響くのが怖いのか、ジャンも力任せに彼女をベッドに寝かせる事はしないが、“いい加減にしてくれ"と表情が物語っていた。
マホの肩を抱いた手に、軽く力を入れてベッドに座らせようとする。
ジャンが入れた力と同じくらいの力でマホは足を踏ん張り抵抗する。
正に押し問答の状況に、先に弱音を吐いたのはジャンだった。
「ちょっと、マジでいい加減にして下さいって……」
「ジャンこそいい加減にしろ。私は大丈夫と言ってるだろ」
全くこの人は……とジャンはフルフルと首を横に振った。
“いつかはその人よりももっとマホ班長の近くに”
と随分と前に誓った言葉を思い出す。
その人よりももっとなのかは分からないが、今の彼女の一番近くにいる存在は自分なのだろうという実感はあった。
整った顏にいつも厳格を貼り付けている彼女も、いつの間にかジャンの前では、崩した表情を見せる回数も増えてきた。
そうなれる様に努力もしたし、それだけ彼女を見ていた。
だけど、やはり上司と部下という元の関係が邪魔をするのか、マホはあまりジャンの言う事を素直には聞き入れてくれないのだ。
そんな時にジャンはいつも“あの人だったらどうなのだろうか"と考えたくも無いのに思ってしまう。
元調査兵団の兵士であり、マホの元恋人……。
顔も知らないし、名前も知らない。
ただ、マホ曰く、少し自分に似ているらしいその人を……
「ジャン?」
ジャンの表情に影が差した事で、マホは少し不安気な声で彼の名を呼ぶ。
「俺は、頼りないですか」
「何を言ってる……」
「大丈夫じゃない体で、『大丈夫』なんて言わないで下さい。」
「ジャン……」
「何かあるなら俺を使ってくれたらいいし、俺だって出来る限りマホ班長の側にいます。だから、大人しく寝てて下さい」
「どうしても休めと?」
マホが瞳を揺らしてジャンを見上げる。
どうしよう…と迷っているらしい彼女の体をジャンは優しく抱きしめた。
「もし休まないなら―…」
敢えて彼女の耳元に唇を寄せて、悪戯っぽい笑みを浮かべてジャンは囁く。
「今此処で、×××しますよ」
ボンッと一気にマホの顏は真っ赤になり、ジャンの胸を両手で突き飛ばした。
「な、何言ってるんだジャン!!お前は怪我人に対して……」
その言葉を待っていた……という様にジャンはニヤリと笑った。
「怪我人って今、自分で言いましたよね?」
「う……」
「ほら、大人しく寝て下さい」
もう反抗する事は無駄だと思ったのか、マホは渋々とベッドにもぐりこんだ。
すぐにジャンは掛布団を丁寧に彼女に被せて、ホッと安心した様に息を吐いた。
「ほんと、困った班長さんだよな」
マホの絹の様に美しい黒髪をサラリサラリと撫でながらそう言うジャンに、マホはムッとした顔で言い返す。
「煩いぞジャン。お前こそ困った部下だ」
「恋人です」
「……っ」
黒目がちの大きな目をマホが更に見開いた時、ゆっくりと降りて来たジャンの顏が、彼女に重なった。
「違う。それはそこじゃない。」
タンスの上に小物を並べるジャンの手元を見て、マホはベッドに寝転がったまま文句有り気に首を横に振った。
「あ〜〜〜っ…もう、こんなのどう並んでても同じじゃないっスか」
「全然違う。お前には女子力が無いのか」
「いや、あるわけないですよね」
マホの指示通りに小物を並べ直しながらジャンは(彼女の怪我が治る頃には女子力とやらが俺にもついている様になるのだろうか)と密やかに考えていた。
―END―