企画物BOOK
□永遠に宜しく
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パサッと何度目かになる紙の音に、マホは怪訝そうにして音の発信元、ソファの上で自分の隣に足を組んで腰掛けている恋人をチラリと見た。マホの視線に気付いているのかいないのか、恋人であるリヴァイは全く気にする様子も無くその手に持った書類に視線を注いでいた。
例えば、今私が突然立ち上がって、この部屋から黙って出て行ったとしても、何も反応しないのではないだろうか……。
そう考えると、実行するのは恐ろしくてマホはわざとらしく咳払いをした。
「…………。」
やはりこちらには反応は示さず、依然手元の書類に目を向けているリヴァイの肩にマホは自分の頭を預けた。細いのにガッチリとしているその肩は知り尽くしている感触で、それだけが今この孤独な空間でマホを安心させてくれた。グリグリと擦りつける様に頭を動かせば、ようやくリヴァイは反応を見せる。
「何してる……」
止めろとは言わないが、迷惑そうに眉間に皺を寄せてくるリヴァイを見て、マホはようやく声をかけてもらえた事を小さく喜びながらも、あえて怒った口調で言った。
「だって暇なんだもん……」
「なら少しは―…」
何かを言いかけて、リヴァイは眉根を少し下げて口を閉じ、手に持っていた書類を裏返してテーブルにパサリと置いた。
「何?何か言いかけた……?」
リヴァイの肩に預けていた頭を上げて、不思議そうに聞くマホの頭を抱き抱えリヴァイは再び自分の肩へとコテンと預けさせた。
「何でもねぇよ。」
「…………」
いつからこうなったのだろうか……と、ずっと変わらない優しい手の平を感じながらマホはぼんやりと考えていた。
リヴァイと恋人になってからもう2年以上になる。付き合い当初は毎月の様に「今日で〇ケ月!!」なんてはしゃいでいたが、1年を過ぎればそんな事をいちいち考えなくなっていた。
それは、互いが互いの存在を当たり前の様に大切にしていて、この関係が終わってしまう事など考えなくなったからだとマホは思っていた。ストレートな愛情表現等、リヴァイは殆どしない男ではあったが、それでもマホは確かに愛されているのだと信じていた。
その揺るぎないはずの、リヴァイの気持ちが分からなくなったのはつい数ケ月前で……。
「それで?リヴァイの気持ちが分からないって?」
次の日、久々の休日にマホはナナバと二人で息抜きにと内地にショッピングに出向いていたが、どうもマホの表情は浮かず、「何があった?」と聞くナナバに相談に乗ってもらう形になっていた。
内地の街中にあるカフェは昼下がりという時間帯も手伝って、裕福層な身分の人々が優雅にティータイムを楽しんでいて、中々に賑わっている。豪奢な衣服を纏った周りの客達とは明らかに違うラフな格好をしている二人をチラチラと見てくる人はいたが、マホもナナバもそんな事は大して気にはならず、マホに関してはそんな事よりもリヴァイの事で頭がいっぱいの様で、ミルクと砂糖を入れたコーヒーをグルグルと掻き混ぜ、コーヒーカップの水面に渦巻状に出来た波紋を眺めながらポツリとポツリとナナバに言う。
「ほら、4ケ月前に私、怪我したでしょ?」
「ああ、捻挫?」
サラッとナナバが答えて、マホはコクンと頷いた。
今から4ケ月程前、壁外調査で巨人と闘った時、いや、巨人自体は大して苦労もせずにすんなりと倒したのだが、着地の時に足を捻ったのだ。少しぐねっただけだろうと思っていたが、足首がどんどん腫れてくるのと、歩く時に生じる痛みに、壁内に戻ってから医師に見せれば「捻挫」だと診断されたのだ。安静にしていれば2週間程で治ると言われ、本当は体を動かしたくて仕方無かったが、2週間は大人しくしていたのだ。
リヴァイは「大体お前はどんくせぇんだよ。馬鹿野郎」等と悪態はついてくるものの、毎日マホの様子を見に部屋を訪れてくれていた。
何日目かの時に、ただの戯言のつもりでマホはこんな事を言ったのだ。多分その前に何か話していた事の延長の様に言った言葉ではあったのだが、二人の間に流れている穏やかな空気がその瞬間に流れを変えた。
“私もそろそろ引退かなー。身を固めようかな、なんて……”
“何言ってんだてめぇ……”
今まで見た事の無い表情のリヴァイがそこにはいて、マホはゾクリと心臓に冷たい氷の刃を刺された様な感覚が走った。
“じょ……冗談だよ。そんな顔しなくても……”
無理に笑って言ったが、リヴァイは表情を変えず、その後にすぐに部屋を出て行った。
リヴァイを怒らせたのかとも思ったが、次の日もリヴァイは普通に部屋にやってきて、昨日の事など無かったかの様な態度で接してくるので、マホも昨日の事はもう口にはしなかった。
そして、自分の中でこう結論づけた。
リヴァイは、二人の未来など見ていなかった。
調査兵団という組織で恋人という関係から変わる気はなかった。
それは、実感すればする程にマホの胸を締め付けた。マホは兵士である前に女であり、愛する人とは将来一緒になりたいと思う気持ちは勿論あって、自分が母親になる事や、リヴァイが父親になる姿を想像しては頬を緩める時もあったのだ。
けれどもリヴァイの気持ちはそんな方向には向いていないのだと分かれば、一体自分はどうすれば良いのだろうか。
リヴァイとこのまま付き合っていても……
「それ、リヴァイが本当はどう思ってるかって確認したわけじゃないんだ?」
マホの話を聞きつつ、ガトーショコラを口に運びナナバが聞く。
「確認なんて……怖くて出来ないよ。でも、あの時から何か、リヴァイとの距離を感じるっていうか……最近二人でいてもリヴァイは忙しいみたいでずっと何か書類眺めてたりするしさ。」
溜息混じりに言って、マホはメープルクリームの挟まれたミルクレープを一口食べる。メープルの濃厚で優しい甘味が口内にフワッと広がり、少し泣きそうになった。
「マホが勝手に距離を感じてるってだけじゃないの?」
「そう、かもしれない。でも、分からない。それに、どうも最近変な感じになってるのはリヴァイだって分かってるはずだし、何も言わないっていうのは、リヴァイは、もう終わってしまってもいいと思ってるんじゃないかなって……」
「ん〜……。倦怠期ってやつか。」
倦怠期なんてものは、自分とリヴァイには関係の無い言葉だとマホは思っていたが、ナナバに言われてしまうと、確かに倦怠期というやつなのかもしれない、と妙に納得してしまう自分がいた。
でも、だからといってどうすれば良いというのだろうか。4ケ月前の出来事を引っ張り出して話し合いでもすれば良いのか。そうした事によって別れてしまう事になるかもしれない。
そんな危険な賭けの様な事をするぐらいなら、テーブルのギリギリ端っこで、並々に水が注がれたグラスが落ちるか落ちないかのラインで静寂を保っている様な、そんな状態の方がいくらかマシだ。少しでもテーブルを揺らせばたちまち零れ落ちて砕け散ってしまう危険は冒したくは無い。
それに、同じ組織に所属する兵士同士であり、本部の宿舎に寝泊まりしている生活なので、毎日顏を合わせていれば、リヴァイに他の女の影などが無いのは明らかであり、それは同時に『リヴァイの恋人は自分なのだ』と絶対づけている気がして、やはりどうもギスギスしている今の状態でも我慢していれば良いじゃないかと思うのだった。
「何でだろうね。最初はリヴァイの事を色々知っていくのが嬉しくて、それが幸せだったのに、今は、リヴァイの気持ちを知るのが怖いなんて……」
「知りすぎて見えなくなってるだけじゃないのか。」
そうなのかもしれないね。と眉尻を下げて笑うと、マホはコーヒーカップに口を付けた。その時、通路側に位置する席に腰掛けていたマホの背にトン、衝撃が走った。それは少し当たった、という程度の接触ではあったが、全くの無防備な状態の時に背後から攻撃されたに等しく、コーヒーカップを口に付けたまま少し前に揺れたマホはバシャッとコーヒーをカップから零れさせてしまった。
「あっ……」
「失礼。大変申し訳ない。」
小さくマホが叫んだのと、被せる様に落ち着いた男性の声が頭上より振ってきた。
向かい合っているナナバが、マホの頭より少し上の方を見ていて、マホもソッと後ろを振り返れば、前髪はオールバックで襟足ぐらいまでの長さの金髪を清潔そうに整えた貴族感の漂う翡翠色の瞳の男性が心配そうにマホを見つめていた。男性の傍らにいた付き人らしい初老の男性が即座に真っ白なハンカチを取り出し、「失礼いたします」と言ってマホの服のシャツに少し撥ねて付いていたコーヒーの染みを拭いてきた。
「あ、いや、あの、大丈夫ですっ」
人からそんな事をされたのは初めてで、しかも着ているシャツはそんなに良い物でもないので、慌てて付き人らしき男性を制するが、金髪の男性はマホが制していた手をサッと掴んだ。
「いや、故意でないにしろ、女性にぶつかりおまけに衣服を汚してしまうなんて、許される事では無い。染みが取れなければ弁償させてほしい。」
「べっ、弁償ってそんな!このシャツなんて数年前から着てる古い物なので、必要ありません。むしろそろそろ捨てようと思っていたぐらいで、なのでほんとに……気に……しな……いで下さ……い?」
必死でそう説明している最中から、金髪男性の翡翠色の瞳がどうもジーッと粘り付く様な視線をマホに送って来ていて、おまけに掴まれている手に段々力が込められてきている気がして、不気味そうにマホは首を傾げた。
金髪男性はそんなマホの手を今度は両手でガシッと掴むと、腰を落とし、片膝を立てて屈んだ。
「私の名は、マーク・ジーズだ。君は……」
何故か突然自己紹介をされ、戸惑いながらもマホもとりあえずは自分の名を名乗る。
「えっと……マホ・ネームと申します。」
マホがそう言えばマークは嬉しそうに笑った。
「マホ…。良い名前だ。私はよく此処を訪れるが君を見たのは初めてだ。普段は……?」
「調査兵団で……兵士をしておりますが…。」
懸命にマホのシャツを拭いていた付き人がパッと立ち上がった。見れば、シャツについていたはずの染みは跡形も無く消えていた。マークは満足した様に付き人を見て頷くと、再びマホに視線を合わせる。
「調査兵団……という事は、あの壁外に行くという集団に?そちらの女性も?」
マホと向かい合って座っているナナバにもチラッと視線をやってマークが聞き、マホとナナバはほぼ同時に頷いた。
「そんな危険な事を……。マホ。私は君を気に入った。」
「は、はい?」
「調査兵団を辞めて、私の妻にならないか?」
「は!?」
どうもネジが何本か飛んでいる様な男に絡まれてしまった……とマホは明らかに嫌そうな顔をするが、マークは全く気にする様子も無く、真面目な顔で続ける。
「実は最近両親からもそろそろ身を固めろと言われているのだが、どうも結婚したいと思える様な女性がいなくて……。だけど今日君に出会って思った。一目惚れと言ってしまうと軽いのかもしれないが、運命的なモノを感じた。マホ、君こそ私の妻に相応しい。」
「あ、あの、意味が分かりません……」
怯えた顏を見せるマホに、マークは上品そうに口元を僅かに綻ばせた。
「確かに、いきなりそんな事を言われても驚くと思う。ただ、本当に君の事をもう少し知りたいと思ったんだ。」
何の冗談かと思っていたが、マークの翡翠の瞳は誠実そうにマホを見つめていて、振り解こうと思っていた手の力をマホは弱めた。
「もう少し此処で君と話をしたいが、今日は生憎この後予定が入ってる。もしも、また会えるなら、7日後に……そうだな、また此処で、会ってくれないかな。」
「えっ?」
「待ってるよ。君が来るまで。では、失礼」
それだけ言って、マークはマホの手を離すと、優雅に付き人を従えて店を出て行った。
嵐の様に現れ、去っていた男が今しがた出て行った扉をマホとナナバはポカンと眺めていた。
「ジーズ家って確か……有名な貴族の家柄だな。」
カフェを出て歩いている時に、ナナバが思い出した様に言い、マホは地面に注いでいた視線をパッと上げてナナバに向けた。
「知らないのか?マホ。」
貴族の男だろうという事は服装や仕草で気付いてはいたが、有名な家柄だとは知らなかった。そもそも、貴族の中に親しい人もいなければ、貴族の世界に余り興味を示した事も無いので、有名な家柄の名と言われても全く分からないのだ。
突然に一目惚れをしただの、妻になって欲しいだのと言われても、全く信用は出来ないが、マークが自分を見つめていた時の真っ直ぐな瞳には嘘は感じられずに、心がモヤモヤしていた。
別にマークの事を良いと思ったとか、そういうわけでは無いが、あんな風にストレートに気持ちを伝えられたのは初めてであり、今現在リヴァイと微妙な状態であるマホの心に変に引っ掛るのだ。
「ナナバ……。リヴァイは、私と、結婚する気なんて、無いんだよね?」
「は?何言ってるんだ?まさかマホ……。」
心配そうに見てくるナナバの視線を避ける様にマホは再び俯いた。
「私、嫌な女かもしれないけど、幸せになりたいんだよね……。」
「そりゃ、誰だってそうだろ。けど、マホの幸せって――…」
「リヴァイの事が好きで、ただ恋人として側に居れるだけで良いっていうのは、きっとずっと変わらない。だけど、それって幸せなのかって言われると分からないんだ。今は、リヴァイの事考えるだけで胸が苦しくなるし……」
本当に苦しそうに、マホは自分の左胸の前に手を置いて、ギュッとシャツを拳で握った。
「別に、マホがする事にどうこう言うつもりは無いけど、せめて、リヴァイとちゃんと向き合えよ。あのジーズ家の男にホイホイと転がっていったら、後で悔やむのはマホ、自分だぞ。」