企画物BOOK

□カンパリビア
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「ごめん……」

「……そっか。分かった。じゃあ……」

敢えて冷静を装った声でそう告げたマホは、つい数刻前まで『恋人だった男』の車の助手席のドアを開けて車外へ出ると、車に背を向けたまま後ろ手でドアを締めた。
 バタン……と重い音を立ててドアは締まり、スーっとマホの後ろを通りすぎ車は走り去って行った。
 軽やかに走り去って行く車は、『恋人だった男』の中での自分の存在の軽さを表している様で、赤いテールランプをマホは名残惜しそうに見つめていた。車が完全に見えなくなってから、突っ立っていた道路脇から歩道へと移動して、トボトボと歩き出す。

引き留めれば良かったのだろうか。
泣いてすがって、別れたくないと駄々をこねれば、何か違っていただろうか。

今になって後悔の波が襲ってきて、またこれだ……と、マホは切なげに鼻を啜る。
冷たい夜風が肌に突き刺さり、それを逃れようとマフラーの中に出来るだけ顔を埋めれば、その僅かな温もりが胸を熱くさせてたちまちに視界がぼやけてきた。
 ついさっき、冷静な態度で車を降り、車内を伺いみる事もなく後ろ手でドアを閉めた、クールな女の姿はそこには無かった。

マホの恋愛の終わり方はいつもこのパターンだった。
 例えばもう少し可愛げのある女だったら、素直になれる女だったら、同じ様な恋愛を繰り返す事は無かったのかもしれない。けれど今更……25年生きてきて、育ってきた自分の性格を変えようと思っても、何をどうすれば良いのか分からない。

「あ……」

テクテクと歩き続け、一軒の店の前でマホは思い出した様に足を止めた。
 小さな黒い扉の上部の一ヶ所を照らしているスポットライトのオレンジ色の
ぼんやりとした光の中に『open』の文字が浮かんでいる。
 行きつけ、というとオーバーだが、『恋人だった男』と何度も来た事のあるバーだ。
 目尻に溜まった涙を拭うと、その黒い扉をマホは静かに開いた。
 薄暗い照明の灯されたこじんまりとした店内の、静かで落ち着いた雰囲気が隠れ家的で気に入っていた店だった。『恋人だった男』がどう思っていたかは今となっては分からないが、少なくともマホの中では何度も足を運びたくなる場所だ。
 上背のあるガッシリとした体型の男が、カウンターの中からマホを見ている。サラリとした金髪と、彫りの深い顔立ちに蓄えられた口髭は何処かミステリアスな雰囲気を漂わせていて、静かな店内の雰囲気と相まって異世界に来た様な気分にさせてくれる。
 おそらく、このバーの店長かオーナークラスの男なのだろう。今まで店に来てこの男の姿が無い日は一度も無かった。とはいっても、1人で此処に来るのは今日が初めてで、更にミステリアスな空気を纏っているこの男とマトモに会話等した事は無い。
 他に客の姿は無いが、カウンターのど真ん中に座るのは躊躇して端から二番目の椅子にマホは腰を下ろした。
 ジッとこちらを伺っている男の視線を感じながら、マホは俯きがちに言った。

「何か……スッキリする様なモノで、お奨め……お願いします」

返事なのか何なのか、スン……と鼻を鳴らしてから、男は酒瓶を手に取った。

いつも、自分は何を注文していたのだろうか。『恋人だった男』に任せていた事が多かったかもしれない。
甘いカクテルをいつも飲んでいた様な気もするが、それは、甘い時間を過ごしていたからだろうか。
独りで、やるせない気持ちで口にするカクテルはどんな味がするのだろうか。
こんな女に、この男はどんなカクテルを提供するのだろうか。

数分もしない内に、マホの前にスッとグラスが滑り込む様に置かれた。
 鮮やかな紅色の液体の上に雪の様な白い泡がふんわりと浮かんでいる。
 マホの記憶が定かなら、今まで飲んだ事の無いカクテルだ。

「カンパリビア」
「えっ!?」

不意打ちの様に男が発した単語に、思わずマホは顏を上げ、カウンターを挟んで自分の真向いに立っている男の顏を直視した。
 髪の色と同じ金色の瞳はやはり何処かミステリアスで、マホは男を見つめながら不安気に気持ち体を引いた。そんなマホの反応に、男はフッと鼻で笑う。

「このカクテルの名前です」
「あっ……なるほど」

カンパリビアという名前に聞き覚えは無くて、やはり初めて飲むカクテルだ、と納得しながらマホはグラスを手に取って口を付けた。
 ほろ苦い甘さが喉を刺激する様なスッキリとした辛みになって、マホは喉に流し込んでほぉ……と満足気な息を吐いた。

「初めて飲むカクテルですが、呑みやすい……ですね」
「いつも貴女は男性と此処に来ていたので……」
「えっ?」

確かに何度もこの店には来てはいるが、顏を覚えてもらえているとは思ってはいなかったために、マホは意外そうに男を見て目を見開いた。

「このカクテルは、恋人同士に提供するには相応しくない」
「……と、言うと?」

ミステリアスな男の雰囲気に苦手意識があったはずだったが、ついさっき『恋人だった男』との別れを迎えたうえに、今店には他に客は居ない事も手伝って、マホは自然に男と会話を交わしていた。

「カクテル言葉というのを?」
「……知りません」
「『失恋』のカクテル言葉を持つのが、『カンパリビア』です」
「っ……失恋」

まだ半分程残っているグラスの中身をマホはジッと見つめた。鮮やかな紅色が切なげに揺らいでいる。

「私が、失恋をしたと……分かったのですか?」
「いつも、必ず同じ男性と店に来ていた貴女が1人でやってきた。それに、貴女からは涙の匂いがした」

仕事柄なのだろうか、恋人と別れたのだという事にすぐに気付いたらしい男に感心すら覚えて、マホはグラスに残ったカクテルを飲み干すと、一息吐いてから、自嘲気味に話し出した。

「仰る通り、ですね。恋人にフラれたんです。その理由が『彼氏にフラれた女の子が可哀相で放っておけない。側にいたい』っていう……ね。フラれた女の子が可哀想って理由で私はフラれたんです。笑えますよね、本当に」

きっと、その女の子はとても可愛げのある、男が放っておけなくなる様なタイプなのだろう、とマホは脳内で可憐な女性を思い浮かべていた。当然、その可憐な女性の傍らには『恋人だった男』が寄り添っていて……。

「私だって……可哀想だよ」

ポソリ…と呟いた本音は、行き場を無くし、湿っぽい空気を孕んだまま空中を彷徨っている様で、ズン……とマホの心にも湿っぽく圧し掛かってきた。

「本当は、引き止めたかった。泣いて縋りたかった……けど、私は……そんな可愛い女の子じゃないっ……」

いつも同じ様な恋愛の終わり方。
今回の様に、「他に好きな人が出来た」と言われる事もあれば、「もっと男として頼ってほしかった」等と言われる事もあった。
 可愛らしく泣いて縋ったり、恋人を男として頼りたいと、思わないわけはない。
 ただ、それを実行しようとすれば、マホの中の頑固なプライドが邪魔をするのだ。
 
弱音を見せたくない……そんな邪魔なプライドはいつから持っていたのだろうか。

ス……とグラスが引かれ、代わりに真っ白いハンカチが男の手で差し出された。
そのハンカチを凝視しながら、2、3度瞬きをすれば、マホの瞳からポロポロッと涙の雫が落ちた。

「す……みません」

滅多に人前で泣く事は無い為に、少し狼狽えながらもマホは差し出されたハンカチを受け取って、目元にソッとあてた。

「泣ける時は思い切り泣くべきだ。此処には貴女しかいない。俺は……ただ、酒を提供するバーテンダーだ。何も気に掛ける存在じゃない」

その言葉は、マホの涙腺を刺激し、嗚咽と共に、更なる涙を誘った。
 静かでこじんまりとした、薄暗い店の中、マホの嗚咽交じりの泣き声が切なげに響いていた。
 

「すっきりは出来たか?」

数十分後、ようやく涙を治まり、気持ちを整える様に深呼吸を繰り返すマホに、静かに男は聞いた。

「少し……いえ、かなりっ!!こんなに泣いたの久し振りで……お恥ずかしいですが」

鼻と目を真っ赤にしながら、マホは照れ臭そうに笑った。
 そんなマホの前に新しいグラスがス……と出される。葡萄色の鮮やかなそのカクテルには見覚えがあった。

「カシスソーダ……ですか?」

コクン、と男は無言で頷いた。

「何度か此処で頼んだ記憶があります。あまりカクテルの事って分からないので、『カシスソーダ』はよく耳にしていたし、呑みやすかったので」
「今の貴女に、呑んでほしいと思った」
「?あ、これにも何か意味があるんですか?」

先程のカクテル言葉を思い出して、マホが問えば、男は眉を下げて目を細めると鼻で笑った。
 直後に、入口の扉が開く音がして、カツカツと足音が近付いてきた。
 新たな客が来た事で、結局カクテル言葉の話はそこで打ち切りになり、マホは呑みなれたカシスソーダを飲み干して、少しだけ軽くなった気持ちを抱いたまま席を立った。

「……え」

代金を払おうとして、マホはキョトンとする。元々この店はカクテルのメニューに価格表示していないが、それでも明らかに安い金額を提示された。
男は別に何もおかしく無いといった涼しい顔でこう言い放った。

「2杯目は俺からなので……」
「でも……」
「またのご来店を……」

渋るマホを誘導する様に、男は出入口の小さな扉を開けた。
冷たい外気が一気に全身に纏わりついてきて、来た時と同じようにマホは、マフラーに出来るだけ顔を埋めた。

「ご馳走様でした。有り難うございます。」
「気を付けて。」

大きな体を少し折り曲げてペコリと頭を下げた男に、マホも会釈を返すと、テクテクとゆっくりと、けれど確かな足取りで歩きだした。

散々泣いたからか、お酒の力か、気分はスッキリとしたまま自宅に着いて、軽くシャワーで体を流しすぐにマホはベッドに潜り込んだ。
今まで、恋愛が終わった日は、夜なんて殆ど眠る事が出来なかったのに、意外な程あっさりと睡魔に誘われていき、グッスリと眠れた。
朝になって、『恋人だった男』の事を思い出さないわけでは無かったが、それよりもあの隠れ家的なバーの情景、そしてミステリアスな男の事を思い出す方が多かった。

今夜もあの店に行こうか……と考えながら、仕事終わりの日暮れ時の雑踏の街中を歩きながら、何となくスマートフォンを取り出し『カクテル言葉』を検索していた。
 
『カンパリビア』のカクテル言葉は失恋で。
『カシスソーダ』のカクテル言葉については結局聞けず終いだった。

“今の貴女に、呑んでほしいと思った”

と、男はあの時言ったのだ。
きっとそれには理由があるとマホは思っていた。

“俺から”

だと差し出されたカクテルに込められたメッセージが……。



 人波を掻き分けながら走っていたマホはやがて、小さな黒い扉の店の前で立ち止まった。走った事で荒くなっている呼吸を整える間も惜しいといった様子で急いで扉を開いた。
 薄暗い照明の灯された、静かな店内はいつもと変わらない空気でマホを迎え入れ、カウンターの中にもいつもと同じミステリアスな雰囲気を纏った男が立ってジッとマホを見つめていた。

「随分慌ててるな」

荒い呼吸のマホに向かってそう言って、フフッと鼻で笑った。

「あの、昨日はご馳走様でした。その……『カシスソーダ』のカクテル言葉をさっき調べていて……」

ミステリアスで読めない男の表情が、一瞬分かりやすい動揺の色を見せた。
 マホは椅子には座らず、カウンターを挟んで男の真正面に立ち、自分の胸に手を当てて深呼吸をしてから、言った。

「その意味を、受け取って良いのでしょうか?」

フゥ……と男は小さく息を吐き、マホの視線から逃れる様に少し俯いた。

「バーテンダーが、カクテル言葉の意味も知らずに“貴女に呑んでほしい”と言うと思うか?」
「ですが……」
「恋人と来ていた貴女を見ながら、いつか1人で訪れてくれないかと思っていた」

恋愛の終わりが突然にやってくる様に
恋愛の始まりもまた突然で。

「あの、貴方の名前が知りたいです。私はマホ……ネームマホと言います」
「ミケ・ザカリアスだ。」

こうやってまた始まるのだ。
愛する人に見捨てられ、絶望の淵に立たされていたとしても

“貴女は魅力的”

だと想ってくれる誰かはきっとすぐ側に……。


―END―


↓↓お礼文&後書き↓↓


リクエストして下さった美姫様、読んで下さった読者様、どうも有難うございます。
初めてのミケさん夢という事で、こんな感じで宜しかったでしょうか汗)
【ミケさんがバーテンダーしてて、バーのお得意さんがヒロインで、失恋したヒロインとの切ない感じから最後の方は甘くなる感じ】
とのリクでしたので、最後はこれから恋が始まるといった感じで締めさせていただきました。今回、ミケさんがバーテンダーという事で、実は私、バーというものに行った事が無く汗)いまいちどういう感じなのか分からないままに書いてしまったので、違和感等感じられる事があるかと思います。申し訳ありません。カクテル言葉というのもネットで調べた情報なので、実際は全然違うのかもしれません汗)
そして、ミケさんが店員さんで夢主がお客さんという設定だったので、ミケさんに敬語を使わせるべきか否かで悩み、中途半端な敬語になっております(笑)
重ね重ねすみません!
ここまで読んで下さった読者様、素敵なリクを下さった美姫様、どうも有難うございます。

 
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