企画物BOOK

□御伽噺の様な恋を
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幼い頃、眠る前にママが話してくれたのは可憐で可愛いお姫様が素敵な王子様と幸せになる御伽話。
小さくてボロボロの狭い家の中で、幼い私が寝返りを打っただけでギシリというベッドの上でママに抱き締められながら、それでも私は、大きくなったらお姫様になれるんだって思ってた。

素敵な王子様と巡り合えるのだと―……。



「マホ……。すまないね。苦労をかけてしまって……」

白髪頭で痩せこけた青白い顔をして、おんぼろのベッドに横たわっているママは、目尻の皺を更に深くさせながら悲しそうにそう言った。

「今までママが必死で働いてくれてたんだもの。今度は私が返す番なの」

言ってニコリと笑ってみせれば、ママは少しだけホッとした様に金色の綺麗な瞳を細めた。
 
 森の外れにあるおんぼろ小屋。物心ついた頃から私は此処でママと暮らしていた。
 パパは何処なのか、私のおじいちゃんやおばあちゃんは生きているのか。そんな事を考えない事も無かったけれど、それでもママと2人の暮らしは苦とは思わなかった。
 それは勿論私が幼かったからで、ママは私を育てる為にずっと働いていた。刺繍が得意なママは毎日の様に遅くまで、豪奢な刺繍を施したテーブルクロスやクッションスカーフなんかを作り、森で取れる木の実や花と一緒に街まで売りに行っていた。
 それで得た僅かな収入で、私を育ててくれていたのだ。
 そのママが、私が17歳を迎えたと同時に病に倒れた。今までママが働いてくれていた分、今日からは私がママの代わりに働くんだ。
 街に売りに行く木の実や花、それに床に伏しながらもママが作ってくれた刺繍を、籐で編んだ籠に丁寧に詰めて、私は蝶番が半分外れている扉を慎重に開けて外に出た。
 小川を挟んで目の前に広がる鬱蒼とした森に背を向けて、決まった道なんてない草の生い茂った緩やかなのぼり坂を、のんびりと歩いて行った。
 しばらくは誰ともすれ違わない道も、20分程歩けばポツ、ポツと人に出会うようになる。楽しそうに連れ立って歩く親子や恋人達と、なるべく視線を合わせない様にうつむきながら私はすれ違う。
 別に、自分の事を不幸だなんて思った事は無いけれど、私とは全く違う世界で生きてきたであろう人達を見るのは少しだけ胸が傷むのだ。
 
 足元が生い茂った草から、石畳みの道に変わる。目前には人の賑わう街の中に通じる大きな門が構えていた。
 街に来た事なんて、数回しか無いし、それにいつもママが隣に居た。つまり1人で訪れる事は今日が初めてなわけで、一気に不安と緊張が襲ってきた。
 そもそも余り人と関わる事も無い生活をしていたために、人と話す事も苦手なのだ。そんな事で、今から街頭に立って売り子をする事など出来るのだろうか……。
 重い溜息を一つ落とし、またこちらに向かって歩いて来る人の姿が見えたので下を向いた。
 コツコツと石畳を優雅に響かせて近付いて来る足音は、私の前でピタリ……と止まる。

「君……その荷物は……?」

落ち着いた、男性の声が頭上から降ってきて、私はビクビクとしながらも顏を上げた。
その人の姿を視界の納めた瞬間、全身が今まで経験した事も無いぐらいに波打った。
 明らかに裕福なのだろうと分かるその人は、金髪に碧い瞳を蓄えて、こちらをジッと見つめながら、私の手元の籠を指差していた。

「あ……これは、売り物で……」

しどろもどろになりながらも、何とかそう告げれば、その人は片眉を下げて優しそうに微笑んだ。

「やはりそうか。君は、彼女の娘さんかな?」
「えっ!?」

その人が言う“彼女”は分からないが、私の親は1人しかいない。

「すまない。驚かせてしまったかな。その刺繍のデザインに見覚えがあったもので、つい……」

籠から恥ずかしそうに顔を覗かしているのは、ママが作った、一角にミニバラの刺繍が施された真っ白いハンカチだ。ガサガサに荒れたママの手から生み出される刺繍はどれも、上品で美しい。

「マ……母は、今、具合が悪くて。今日は私が街に……」
「この刺繍は君が?」

不思議そうに聞いたその人に、私は慌てて首を横に振った。

「いいえ!母です。私にはこんなに繊細な物は……」

幼い頃から、ママが刺繍をしているのは見ていた。私も真似事の様に、ママの隣で端切れと糸を用意したりした事もあったが、どうしたって美しい刺繍にはならなかった。ママの娘なのに、私は不器用で細かい作業がとても苦手なのだ。

「そうか……医者には来てもらってるのか?」

まるで、そうする事が当然とでも言いたげなその人の言葉に、やるせない気持ちになって、私は肩を落とした。

「お医者様を呼ぶのにもお金がかかりますから……」

おそらく貴族であろうその人にとっては、医者を呼ぶ事なんて何とも思わないのかもしれないが、明日食べる物さえ不安定な私達の暮らしでは医者を呼ぶなんて事は贅沢ともいえる行為なのだ。
 その人は、私の反応に何かを感付いたのか、ニコリと笑って言った。

「薬も飲まず寝ているだけでは、治るものも治らないだろう。私が懇意にしている医者に診察してもらおう」
「そんな訳には行きません。それに、医療費も払える余裕は……」
「このまま母親の具合がどんどん悪くなってしまってもいいのか?代金については心配しなくていい。早く母親に元気になってもらいたいのなら、医者に診てもらうべきだ」

確かにそうなのだけれど、そんな言葉に甘えてもいいのだろうか。そもそも、私はこの人の名前すら知らないのに……。
 そんな私の心情を察したのか、その人は安心させる様に言う。

「私の名前はエルヴィンだ。エルヴィン・スミス。君の母親が売りに来た商品をたまに購入させてもらっているんだよ。少し此処で待っていてくれ。すぐに医者を連れて来る」

エルヴィンさんはそう言って踵を返すと、街の中へと走って行った。
 引き返す事も街中に入る事も出来ず、立ちん棒状態になっていた私の前に、しばらくしてから立派な馬車が停まった。
 まるでママが昔に読み聞かせてくれた絵本に出てくるお姫様の乗る馬車の様だ……と思いながらボーッとしていると、キャビンの扉が開き、中からエルヴィンさんが顏を出した。

「乗って。君の家まで案内してくれると助かる」

まるで、王子様の様な気品のある仕草でエルヴィンさんは私の手を取り、キャビンの中に引き入れた。
光沢のあるネイビーカラーのベロア調の座席に、エルヴィンさんに向かい合う形で白髭を蓄えた初老の男性が腰掛けていた。

「あ、あの……」

何を言えば良いのか分からずに、あたふたとしていると、エルヴィンさんに肩を掴まれて隣に座らされた。
柔らかい座席はお尻がふわふわとして変な感覚だ。

「彼は医者のアルフだ。……そういえば君は―…」

向かい合っている男性を紹介したエルヴィンさんは、ハタ、として私を見てきた。そういえば、私はエルヴィンさんに何も名乗っていないのだ。

「マホ……です。」

ポソリと自分の名を告げれば、エルヴィンさんは嬉しそうに頷いた。

「マホ。良い名前だ」

また、ドクリと体が波打った。ママ以外の人に、それも男性に、自分の名を呼ばれた事は初めてだった。
その後はよく覚えていなくて、けれども一応道案内―と言っても一本道だけど―は出来たらしく、古ぼけた小屋の前で馬車は停車した。
キャビンから降りたエルヴィンさんとお医者様は、目の前の小屋を見上げて立ち尽くしていた。

これが家なのか?
物置小屋じゃないのか?

そんな声が聞こえる気がして、私はギュンと傷む胸を押さえ、誤魔化す様に笑った。

「すみません。こんなおんぼろ小屋に連れてきてしまって。びっくりしますよね。」

私の言葉に、エルヴィンさんとお医者様はバツの悪そうな顔をして、慌てた様子で揃って首を振った。

「いや……早く中に入ろう」

エルヴィンさんは短くそう言って、私に扉を開けるよう促すので、私は蝶番の外れかかった扉をガタッと開いた。

「ママ……」

狭い小屋の中は、中に入るとすぐにベッドがある。私の呼ぶ声にママは閉じていた瞳をうっすらと開いた。

「マホ?どうしたの?忘れ物でも……?」

覇気の無い声でそう言って、ゆっくり首をこちらに向けたママは、私の後ろに立つ人物を見てうっすらと開いていただけだった瞳を見開いた。

「貴方は……!?」
「お久し振りです。マダム。覚えていらっしゃいますか?何度か貴女の刺繍作品を購入させていただいていたのですが……」
「え……ええ。勿論覚えておりますが……何故此処に……?」
「貴女の娘さんから体調を崩していると聞いたので、医者に診てもらった方が良いと……」

ママはエルヴィンさんの傍らにいる初老の男性を見て、ブンブンと首を横に振った。

「そんな、我が家にはお医者様にかかるお金等ありません!どうか御引取を……」
「お金の事は心配しなくていいです。それよりも早く診てもらって下さい」
「ですが……」

私の時と同様、ママもやはり困っている様子で、優れない顔色のまま助けを求めるかの様にチラッと私を見てきた。
 けれど私だってどうすれば良いのか分からない。ママの病気は良くなってほしいし、お医者様に診てもらうのが最適なのは当然だけど、お金を心配するなというエルヴィンさんの好意に甘えても良いものなのだろうか……。
 少しの沈黙の後、痺れを切らしたのかエルヴィンさんがポンと私の肩に手を置いてきた。そして、ハッキリとした声で言った。

「もし代金の事を気にしているのでしたら、
私に考えがあります」

考え?とエルヴィンさんを見上げると、碧い瞳がジッと私を見下ろしていた。
 ゴクリ……と思わず喉が鳴った。

「貴女の娘……マホに、私の家のメイドとして働いてもらうというのはどうですか?」
「え!?」

ママよりも先に私の口から素っ頓狂な声が漏れた。

「勿論、それに見合った賃金も払う。メイドと言っても、私の両親は流行り病ですでに亡くなっていて、私は一人住まいだ。堅苦しい思いをさせる事は無いと思う」
「ですが……その…貴方様の……」
「エルヴィンです。エルヴィン・スミス」

その名を聞いて、ママは更に目を見開いた。

「スミス家の……」

そう呟いて、ママは口を結んで黙ってしまった。
 スミス家、というのがどういう家系なのかは私はもちろん知らないが、エルヴィンさんの身なりや発言、立ち振舞いからして貴族なのは確実だろう。

ママを助ける為に、私が力になれるなら……。

「あの……エルヴィンさん。私、働きます」

もしも、エルヴィンさんの好意をはね除けて、ママの具合がこのまま良くならなかったら、最悪の結果になったら、私はきっと今日の事を一生後悔する。

「マホ……。貴女、そんな……」

無理だと言いたげなママの視線をヒシヒシと感じながら、私はそれを無視してエルヴィンさんを見つめた。

「母の診察を……お願いします」
「勿論だ。では……」

そう言うとエルヴィンさんは、お医者様に目配せし、お医者様はゆったりとした足取りでママの横たわるベッドの前に立った。
もうママは観念したのか、何も言わず静かにお医者様の診察を受けていた。


「この薬を、朝、晩に飲んで下さい。」

しばらくママを診察していたお医者様は、やがて手に持っていた黒革の丈夫そうなバッグから、淡い緑色の粉の入った小さな袋を数個取り出した。

「本当に……何から何まで、すみません」

ママはお医者様とエルヴィンさんに向かって順にペコペコと頭を下げ、私もそれに倣ってペコペコと頭を下げた。

「いいえ。早くお元気になって下さい。それから……早速ですが、今日から彼女には家に来てもらいたい」

ママに向かってにこやかに言いながらも、エルヴィンさんは、拒否は許さないとでもいった様子で私の腕をグッと掴んできた。

「マホ……」

ママが心配そうに私の名を呼ぶ。だから私は、あえて笑って、ママを安心させる様に言った。

「ママ。大丈夫。エルヴィンさんの所で、私、ちゃんと働くから。ママはゆっくり休んで、元気になって……ね?」

実際、エルヴィンさんのお家に奉公するという事に関して嫌だとは思わなかった。務まるかどうかという不安はあるけれど、寧ろ、仕事をもらえて嬉しいという方が強かった。
 やはり心配の表情が拭えない、ママの手を一度強く握ってから、私はエルヴィンさん、お医者様に続いて外に出た。
 おんぼろ小屋の前に、先程と全く変わらない位置で停車している立派な馬車は不釣り合いすぎて、逆に可笑しくなってくる。
 その馬車にお医者様が乗り、エルヴィンさんが乗り、そしてエルヴィンさんに手を取られた私が乗り込むのも不釣り合いすぎる。そんな私の心境等構っていないという様に、馬車は軽快に走り出した。
 小窓から顔を覗かすと、おんぼろ小屋がどんどんと小さくなっていく。

「マホ。不安か?」

私の顏を横から覗き込んで聞いてくるエルヴィンさんの碧い瞳に見つめられ、私は慌てて小窓を向いていた顏をキャビンの中に戻した。

「……私に務まるかどうかという不安はありますが……」

膝の上に置いた手で、スカートの裾をキュッと掴みながら言えば、エルヴィンさんは、フッ……と優しく笑んで、私の頭に大きな手を置いてきた。
 ビリリッ……と電気が走った様な感覚に、思わず姿勢を正した。

「大丈夫だ。分からない事があれば、分かっていけば良いだけだ」

今日、何度目だろうか。全身が激しく波打つこの感じは……。
 優しく頭を撫でる大きな手が、私の不安を解いていく気がした。

私は今日からこの人に仕えるのだ。
その先には一体何が待っているのだろうか……。
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