企画物BOOK

□その花は誰に【前】
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 街の大きな教会で、皆が祝福の目を向ける先の主役の二人は幸せそうに微笑んでいる。そんな二人を見ていた視線を、少し離れた場所に居る一人の参列者の方に私は移した。
 愛おしそうに、でも切なそうに、二人を見つめている彼を見つめる私もまた、彼と似た表情をしているのだろう……。


「マホ。これを!」

純白の長いリボンが巻かれたブーケが私に向かって綺麗に弧を描いて飛んできた。それをパシッと胸の所で受け止めると、投げた本人は満足そうに微笑んだ。身内贔屓抜きでも、呆れるぐらいに美しい彼女の笑顔に、私はぎこちない笑いを返すしか出気なかった。

 彼女…こと、私より3つ年上の姉は100人に聞けば100人が頷くだろうと言われる程に美しく、聡明な女性だった。同じ両親から生まれているのに何故こうも違うのか、と幼い頃は真剣に自分は拾い子では無いだろうかと悩んだりもしたものだが、16を過ぎた頃ぐらいからはそんな事で悩むのも馬鹿らしく思えて、半ば諦めていた。
 どう努力しても、クルクルの縮れ毛の髪では姉の様なサラリとした流れるブロンドにはなれないし、どれだけ化粧を施してソバカスは隠せても、一重の目は姉の様なパッチリとした二重にはなれない。
 それに姉はどんな時でも私に優しい。「可愛い私の妹」などと、偽りの無い表情で言ってくるのだ。
 そして何より、私は姉が好きだった。その気持ちには嘘は無い。

 ただ――…。

「幸せそうだな。リズもミケも……」

ブーケを胸に抱いたままの私の背後から聞こえたその声に、私は遥か頭上にあるのであろう顏を伺う為に、上に顏を向けながら振り返った。
 
「エルヴィン……」

私に話しかけて来たくせに、視線はずっと姉の方を見ている彼の名前を小さく呼ぶが、相変わらず彼は姉を見つめている。

 彼―…こと、エルヴィンのスミス家と私達姉妹のネーム家は、曾祖父の代から親交の深い間柄で、私達は小さい頃からの幼馴染だった。
 そして、エルヴィンはいつも姉を見ていて、私はそんなエルヴィンは見ていた。

 そんな姉が、今日、結婚した。

 皮肉にも、エルヴィンの誕生日のパーティーに招待された席で出会ったエルヴィンのゲーム仲間のミケと。目が合った瞬間二人の間で見えない糸が手繰り寄せられていくのを、私はボーッと眺めていた気がする。
 
 ああ、二人が惹かれ合うのは誰にも止められないのだ……と。

 きっと、エルヴィンもそう思ったに違いない。
 そして、悟ったに違いない。
 自分がずっと想いを寄せている相手とは、結ばれる事は無いのだと……。
 だけど……と、私は隣でやはり姉を見つめているエルヴィンを見ながら思う。

 貴方がそう悟るずっと前から私はすでに悟っていた。
 
 ずっと想いを寄せている貴方とは、結ばれる事は無いのだと……。

「エルヴィンも、モタモタしてないで姉さんにアプローチをすれば良かったのに」

そう私が言うとエルヴィンは、余計な事を言うなとでも言いたげに、私の頭を背後から軽く手刀で打ってきた。

「私は、リズが幸せならそれで満足だ」

全然痛くない手刀で触れられた後頭部が、じんわりと熱くなり、私はその部分を片手で抑えた。手に当たる自分の縮れた毛の感触にうんざりとした溜息が口から漏れた。
 
「キザな男よね。エルヴィンって」

100パーセント嫌味で言ったのに、エルヴィンは片眉を下げてハハッと笑った。
 白い花吹雪が舞う中、姉とミケさんは赤い装飾で飾られた馬車に乗り込んで、参列者に手を振っている。
 この後、その馬車で二人が街中を一回りしてから、ミケさんの生家、ザカリアス家で二人の結婚を祝うパーティーが開かれる。
 ゾロゾロと歩き出す人々に倣う様に、私とエルヴィンも並んで歩く。
 
「エルヴィン。後悔してる?」
「後悔?」
「ミケと姉さんを会わせてしまった事……」

エルヴィンの足の動きが止まった。それは、隣で並んでいる私にしか分からないぐらいの一瞬で、すぐに持ち直した様に歩き、エルヴィンは咎める口調で言う。

「今日はやけに突っかかってくるな。マホ」
「別にそんなつもりは……」
「後悔など、していないさ。ああ……でも、後悔があるとすれば――…」

そこで言葉を止めたエルヴィンは、晴れ渡った空を向いて、愛おしそうに微笑んだ。きっと、眩しい太陽の中に姉を見ているんだろう
。手で瞼の上に庇を作って

「マホの言う通り、アプローチをしていれば良かったな」

言ってパタン、と庇代りの手を目の上に倒して覆ったエルヴィンから、嘲笑染みた笑いが漏れた。
 姉の前では必死で隠しているくせに、私の前では全く躊躇せず、姉への想いを曝け出してくる彼の姿は、いつも私の心を掻き乱す。
 何年も何年もずっと変わらないものを見せられているのに、一向に私の心は慣れようとしないのだ。
 エルヴィンも私もずっと昔で止まっているみたいで、姉だけが新しい道をどんどん進んでいる。

「だが、リズの結婚のおかげで私も踏ん切りがついたかもしれない」

目を覆っていた手の平を下にずらし、顏を撫でる様にして、エルヴィンは手を顏から離した。確かにその顔は先程より、少し晴れている気もする。
 ブーケに巻かれた純白のリボンが私の歩調に合わせてユラリユラリと尻尾の様に揺れるのを目で追いながら、エルヴィンの次の言葉を待った。

「父上に、見合いを打診されているのをずっと上手く躱していたんだが、真面目に考えようと思う」
「えっ……」
「隣国の公爵の三女の娘だと……」

エルヴィンの口から出てくる言葉が、私の耳を乱暴に刺してくる。その痛みに、片耳を思わず押さえた程だ。

「どうしてそんな……」
「もう私も二十歳だからね」

政略結婚が主とされる私達の階級では、そもそも見合いなど珍しい話では無いが、私の両親もエルヴィンのご両親も、貴族らしからぬ程に奔放な性格で、恋愛結婚を勧めていた。
 その甲斐もあって、姉は見事にミケさんという、勿論充分な身分の家柄の人ではあるけれど、愛する人と巡り合い、結婚に至ったのだ。
 
「でも、姉以外の人を好きになるかもしれないのに……」

私の言葉を全否定する様にエルヴィンが首を横に振り、その仕草がズキンと私の胸に痛みを運ぶ。

「10年以上想っていたのに、今更他の誰かに想いを寄せる様になるなんて考えられないな……」
「それは……分かるけど…」

ポツリと言えば、エルヴィンは碧い瞳をまん丸くさせて、今日初めて私を真っ直ぐに見てきた。

「驚いたな。マホがそんな事言うなんて」
「え?」
「君は、恋愛には興味の無い女性だと思っていた」

真顔でそう言うエルヴィンに対して、

私が恋愛に興味が無いのでは無くて、貴方が私の恋愛に興味が無いだけなのよ。

と、言ってやりたくなった。
 姉も鈍感な人だが、エルヴィンも相当だと思う。
 10年以上、貴方に想いを寄せ続けている存在に全く気付かないのだから……。
 
「失礼。気を悪くしたか?」

余程私は嫌な顔をしたのだろうか、エルヴィンの瞳が戸惑いに揺れて、私を心配そうに見つめる。それはどう見ても妹を心配する兄の図で、エルヴィンにとっての私の存在の大切さと軽さを同時に痛感する。
 完全に足が止まってしまって、エルヴィンも私を置いてはいけないのか、隣で立ち止まる。人の流れが私達だけを置き去りにして、どんどんと進んで行く。

「……っ別に。」

俯いて何とか絞り出した声でそう告げれば、エルヴィンの手が控えめに伸びてきて、私の胸に抱いたブーケに触れた。

「花嫁からブーケを受け取った人は、次に結婚するんだったな。マホにも素敵な男性が……」

慰めてるつもりなのだろうか。人の気もしらないで……と、苛立ち任せに私は抱いていたブーケをグイッとエルヴィンの胸に押し付けた。クシャリとひしゃげたブーケから、白い花弁がパラパラと零れ落ちる。

「あげるわ。これ。私には必要無い」
「何言ってるんだ。マホ……?」
「現れないもの。素敵な男性なんて」

クルクルの縮れ毛に、ソバカスの浮かぶ肌、完璧な一重の目。鏡を見る度にうんざりする自分の顏では、素敵な男性に想ってもらえるはずもない。
 まだせめて、少しでも姉に似ていれば、言い寄ってくれる男性もいたかもしれない。そうすれば、エルヴィンへの恋慕等、失くしてしまえたかもしれない。
 
「現れるさ。マホは、可憐な女性だ」
「そんな事を言うのは、姉さんとエルヴィン……貴方ぐらいよ」
「見る目が無いんだな。周りは」

心にも思ってない事であればある程、エルヴィンは簡単に口にする。そんな事はずっとエルヴィンを見ていたからもう分かっている。

だって、姉にはそんな事言わないから……。

それは、エルヴィンが私よりも3つも年上で、紳士であるからこそ発せられる言葉なのだろうけど、私はまだ淑女にはなれない。
 悪戯好きの子供の様に、貴方を困らせたくなるの。

「なら、エルヴィンが、貰ってくれる?」

俯いていた顏を上げて、脳内では妖艶な女性のそれをイメージしながら、ニコリと笑ってみせれば、エルヴィンは明らかな動揺を見せて咳き込んだ。

「な……に言ってるんだ。全く、悪い冗談は止めろ」
「ねぇ。エルヴィン。例えば、エルヴィンが姉さんに気持ちを伝えたとしたら、姉さんは『悪い冗談は止めて』と言うと思うわ」
「マホ?」

胸が傷む。目頭が焼ける様に熱い。エルヴィンの余裕の無い声が、耳の中で反響する。

「今の貴方みたいに……」

押し付けられたままにエルヴィンが受け取っていたブーケから、ポトリポトリと白い花弁が落ちていく。

「マホ……君は…」

何か言いかけたエルヴィンから逃げる様に、私は立ち止まっていた足を進めた。

「遅れたらいけないわ。早く行きましょう。」

ややあってから、エルヴィンの靴音が着いて来て、すぐに私の隣に並んだ。
 昔から変わらない。姉はいつも私達より数歩前を歩いて、私とエルヴィンは並んで姉の後ろを着いて歩く。エルヴィンは姉の背中に熱い眼差しを送り、私はそんなエルヴィンを横目で見る。

今、エルヴィンは何を見ているのだろうか……。

真っ直ぐ前を見ている碧い瞳からは何も見えて来ない。その横顔が、不意にクルリとこちらを向いて、バチリと目線が交わった。

「マホ。少し提案なんだが……」

何か含んだ瞳でそう言われ、思わず身構える。

「この後のパーティー…サボらないか?」

幸せそうな姉の姿を見るのが辛いのか、それとも私と少し一緒に居たいと思ってくれたのか……間違いなく前者だろう。
 姉の婚姻のパーティーだ。欠席なんてしてしまったら両親に何を言われるか分からない。エルヴィンだってそうだろう。

けれど、エルヴィンの支えになりたい。
いや、私がエルヴィンと二人になりたい。

その二つの感情が、私の足を止めた。
 ブーケを片手に持ったまま、エルヴィンは私の腕を取り、私は彼の歩く方向へ導かれる様に進んで行く。
 
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