企画物BOOK

□紳士なんていない
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 調査兵団本部から少し北に位置する場所に、林というには大きく、森というにはこじんまりとした、内地では値の張る薬草や、珍しい木の実等が豊富に取れる中途半端な広さの森林地帯があった。一応調査兵団の管理区に置かれているその場所は、一般の人間が立ち寄る事は無く、薬草や木の実の恩恵を受ける事が出来るのはその地帯を【ハナレ】と呼んでいる調査兵団だけの特権であった。
 日持ちがする上に栄養価の高い木の実は壁外調査の時に重宝され、薬草は訓練や壁外調査で生傷の絶えない組織には幾らあっても足りないぐらいで、週に一度は誰かがその森林地帯に出向き薬草や木の実を摘みに行く事になっていた。
 新兵だろうが幹部だろうが、公正なくじという方法で平等にその役は回ってくるのだ。


「あの、エルヴィン団長。私、雨女なんです。なので途中で雨が降ったら本当にすみません。先に謝っておきます。」

真面目な顔でマホが言えば、くじでペアになった相手、エルヴィンはポカンとした後で呆れた様に苦笑した。

「それは、私と二人で行くのが嫌だというアピールなのか?」
「え!?まさか!!違います!寧ろその逆でっ……」
「逆?」
「あの、変な意味では無くてですね……」
「それはそれで少し寂しいな。」

片眉を下げて笑ったエルヴィンは、籐で編まれた大きな収穫カゴを手に取った。
 エルヴィンの言葉に思わず変な期待に踊った胸を、マホは落ち着かせる様に自分に言い聞かす。

今の言葉は、この人が紳士であるが故の言葉であって、深い意味なんてない。

そう頭の中で繰り返しても、何処か淡い期待を描いてしまうのが乙女心というものなのだ。

「マホ?早く行くぞ。晴れてはいるが、本当に雨が降って来たら困るからな。」

呆けていたマホに、エルヴィン独特の穏やかで厚みのある声が降って来て、慌ててマホも収穫カゴを手に取った。

 軽く馬を走らせて15分の距離に【ハナレ】はある。立体機動の訓練で使われる事もあるその場所は、調査兵団が立てた小屋もあり、中には馬用の飼葉や野戦食料が貯蔵されていた。小屋の前の簡易的な馬繋場に馬を繋ぎ、マホは薬草を、エルヴィンは木の実をそれぞれが少し離れたポイントで収穫を始めた。
 30分程黙々と薬草を摘み続けて、収穫カゴから溢れ返ってきた所でようやくマホは屈んでいた腰を上げた。胸を反らす様にして伸びをしながら目を閉じて顏を空に向けたマホの頬が、ピトッと冷たい感触を捉えた。
 ハッとして閉じた目を開けてみて、マホは先程までは青かった空が悲しくなるぐらいにどんよりと灰色になっている事に気付いた。
 そして、先程頬に感じた感触がまた頬に、手に、頭に……。
 ポツポツなんて可愛らしく存在をアピールしていたのはほんの少しの間だけで、やがてそれは一気に自己主張を強め、ザーッと容赦無くマホの全身を叩きつけてきた。

「やだっ本当に降って来たじゃない…」

言いながらマホは、身に着けていたケープを外し、すでに濡れてはいるが収穫カゴの覆う様にして被せた。せっかく摘んだ薬草がダメになってしまっては元も子も無い。
 どんどんと勢いを増す雨から、ケープで包んだカゴを守る様に両手で抱えると、小屋の場所まで急いで戻った。
 小屋の前、微妙に雨が凌げる程度の庇の前にはすでにエルヴィンがいて、走ってきたマホがケープを羽織っていない事におや、という表情を見せた後彼女の両手で抱えられていたケープで覆われているソレの存在に気付き、呆れた顏を見せた。

「ズブ濡れじゃないか。君。」
「はい。やっぱり雨が降ってきちゃいましたね……。何とか薬草は守ったんですけど……」

守ったとは言っても、鮮やかな緑色だったはずのケープは水に濡れて全体的に黒ずんだ緑に染まっていた。
 トン、とカゴを地面に置きソッとケープを剥がし中を確認したマホは微妙な顔で首を傾げてしゃがんだままエルヴィンを見上げた。

「ちょっと湿ってますが……」
「だろうね。しかし本当に雨が――…」

そこまで言って、マホを見つめていたエルヴィンはハッとした様な顔をすると、急いで自分が身に着けていたケープを外すと、それをマホにファサリと掛けた。
 しゃがんでいたマホは、掛けられたケープが地面に触れてしまう事が心苦しかったのか、慌てて立ち上がった。

「エルヴィン団長。あのこれ…?」

少し濡れてはいるが、つい今さっきまでエルヴィンが羽織っていただけあって温もりを感じるケープを掛けられたものの、どうしたら良いのだろうという表情を見せたマホに、エルヴィンは困った顏をしながら、前を留めてやった。

「羽織っておきなさい。」
「でも、エルヴィン団長、寒くないです?」
「問題ない。ただしかし、この通り雨の勢いが激しいうちは戻れないな。」

庇でも塞ぎきれない雨粒が先程から、少しずつ少しずつ、二人を濡らしていた。

「とりあえず中に入ろう。此処にいても無駄に濡れていくだけだ」

カラカラと立てつけの悪い引き戸を開けて、エルヴィンは自然な動作でマホに先に入る様にと促した。
 小屋の広さは6畳程で、小さなはめ殺しの窓が1つあるだけで中はジメッとして薄暗かった。屋根を叩きつける雨音が暗い屋内を盛り上げる様に響いていた。
 幾つかある棚には、樽や木箱が所狭しと置かれていて、その棚の間を縫う様に統一性の無いテーブルや椅子が場所を取っており、元々広くは無い小屋の中を更に狭く見せていた。

「君はそこにいなさい。」

木製の古びた長椅子にマホを座らせると、エルヴィンは薄暗い小屋の中を手探りで探す様にして、棚から蝋燭とマッチを取り出す。マホの座っている長椅子の前に置かれていた、小さな丸いテーブルの上で蝋燭に火を灯した。
 儚げに揺れながらも、煌々としたオレンジ色は何処かこの状況に安心を連れて来てくれた様だった。

「隣に座っていいか?」と確認を取ってからエルヴィンはマホの隣に少し隙間を作って腰を下ろした。
 
「……すみません。」

肩を落として言うマホにエルヴィンは不思議そうな顏を見せる。そんなエルヴィンを見ずに、マホは顏を俯けて自分の膝を眺めながら言葉を続ける。

「私が雨女だから、こんな事に……」
「君、本当にそんな事思ってるのか?」

溜息混じりのエルヴィンの声に、マホは少しムキになった様に声色を強めた。

「前も、収穫の係になった時に同じ様に雨が振ったんです。その時にペアだった兵長に『てめぇは雨女か』って言われましたし……」
「そんなのはただの偶然だ。一人の人間の力で天候が左右される訳ないだろう?」
「そう……でしょうか?」

不安気に顏を上げて自分を見つめるマホの髪を、クシャッとエルヴィンは撫でた。柔らかく笑むエルヴィンに恥ずかしそうに笑い返しながら、マホはモジモジと言う。

「エルヴィン団長は、紳士ですよね。」
「そう、見えるか?」
「はい!女性に対して親切ですし、あ、そうだ、このケープ、すみません。借りっぱなしで、有難うございます。」

もう濡れる心配も無いのだからと、ケープを外そうとするマホの手を、隣から伸びてきたエルヴィンの手がガッと止めた。
 全てを守れそうな大きな手は、エルヴィンらしからぬ余裕の無さが感じられて、更にその手の冷たさにマホはゾクッと寒気が走った。

「エルヴィン団長。凄く体冷えてませんか?本当、ケープ返します。手……離していただけたら……」
「それは君が付けておくんだ。」
「ですが、エルヴィン団長の体が……」

 普段は凪いだ海の様に穏やかな青色をしているエルヴィンの瞳が、やはり余裕の無い色を映していて、一体どうしたんだろうか、とマホはケープに掛けていた自分の手にグッと力を込めた。
 常に冷静で、任務の上では非情で冷酷とも思える判断をする事もある調査兵団のトップではあるが、普段のエルヴィンは優しく紳士的で気品のある男性だというのをマホはよく理解していた。それも“紳士的に振る舞ってやっている”という様な嫌味な仕草も見せず自然に振る舞えるのが、できる男のソレの様で、マホはそんな彼を上司としても男としても尊敬して憧れていた。
 そのエルヴィンが、何故か今、目の前で余裕の無い表情でこちらを見ているのだ。何なら少し怒っている様にも見える。

「あの、エルヴィン団長。手を……」

怯えた様に言うマホに、ハッとした顔をしてエルヴィンは手を離した。

「すまない……」
「いえ……」

空気中に鉛が紛れ込んだ様な、ズンと重い雰囲気が二人の間を巡っていた。
 相変わらず雨は賑やかな演奏を屋根の上から響かせていて、しかし沈黙が続けばその音には何処か救われる。

「エルヴィン団長。何か怒ってらっしゃいませうか?私、何か……」
「心配しなくていい。怒ってなどいない。不安な気分にさせてしまっていたなら申し訳ない。」
「不安なんてとんでもないです!あ、でも、エルヴィン団長の体が冷えているんじゃないかという不安はありますが。私は逆に少し暖かくなってきたぐらいなので、本当にこれは……」

 ジメッとした空気と近くにある蝋燭の炎から発せられる熱と、自身から放たれる体温で本当にマホは少し体が温かくなっていた。正直言うと、ケープを羽織っている事で、ケープの中で室内よりも更にジメッとした空気が蔓延っているので、少し気持ち悪いのだ。
 せめて前の留め具は外そう思い、片手で外して前を寛げると、籠っていた湿気た熱が一気に無くなって幾分気分が良くなった。

「取るなと言ったのに……」

ジロッとエルヴィンに睨まれ、やっぱり怒っているんじゃないですか…と思いながらマホは切なげに眉を下げた。

「少し、熱が篭って暑かったんです。お気遣いは感謝しております。」
「気遣った訳じゃないんだ。君、自分のシャツの胸元をよく見てみなさい。」

言われるままに、視線をシャツに向けたマホは、ヒッと小さな悲鳴を上げた。まだ雨水を吸って濡れている薄いシャツは透けて、しっかりと中の下着を浮かび上がらせていた。よりによってというか何というか、今日は黒い下着をつけている為に余計に目立っていた。

「君は私は紳士だとか言っていたが、部下のシャツから透けた下着が見えただけで、興奮してしまいそうになる男だよ。私は……」

バッと胸元を両手で覆うマホに、エルヴィンはバツが悪そうに「すまない」と呟いた。その表情は本当に申し訳無さそうで、マホは胸元を両手で隠しながらも、プルプルと首を振った。

「あの、私こそすみません。全然気付いて無くて。それから、エルヴィン団長はやっぱり紳士的ですよ。私が恥ずかしい思いをしない様に隠して下さって……」

例えばこれがリヴァイだったりしたら、「てめぇ下着透けさせてんじゃねぇよ。誘ってんのか?」とでも言いそうだが、エルヴィンはマホが分からない様に、自然な素振りで目隠しを作ってくれたのだ。そんなエルヴィンの優しさにも気付かず、それを全て台無しにする行為をしたのはマホ自身であり、エルヴィンが謝る理由等全く無いとマホは思っていた。しかし、エルヴィンはそれは違うと言う様に首を横に振る。

「そうじゃない。私は自分が冷静でいたいが為に君にケープを被せただけだよ。君が頭の中に描いている紳士なんてものは私の中にはいない」
「そんな事……」
「今だって本当は君に触れたいと思ってる。呆れる程に野蛮な男だよ。これが君じゃなかったらもっと冷静でいられそうなんだが……」

この言葉が、彼が紳士たる故の言葉では無いのだとしたら、期待を抱いていい言葉なのだろうか……。

 蝋燭の揺らめきに合わせる様に、胸の奥がふわふわとしてきて、マホはエルヴィンの冷たい手をソッと握った。ビクッとエルヴィンがまた、らしくもなく体を震わせた。

「あの……。私は、エルヴィン団長に触れられるのは嫌だと、思わないんです。寧ろその逆で……」
「また『深い意味は無くて』と言うのか?」

ジトッと挑発的な瞳に見つめられ、マホはゴクリと音を立てて生唾を飲み込んだ。

「深い……意味です…」

言った直後に、喰らい付く様な口付けでマホの唇はたちまちに支配された。
 紳士的な人のソレとは思えない程の攻撃的キスで、舌を捩じ込まれた口内からは、チュプチュプと卑猥な水音が漏れていた。
 賑やかだったはずの雨音さえ霞む程に―。


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