企画物BOOK
□痛み分け
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いつから好きになったのかは分からない。
気が付けばいつも彼を目で追っていた。
ああ、これが恋なのかと気付いた時にはもうどっぷりとハマっていて
でも、恋ってそういうものなんだ…。
訓練所の中の書物庫で、マホは数冊の本を両手で抱えて1人物思いに耽っていた。
「もうすぐ卒業かぁ……」
3年に渡る厳しい訓練生時代はあと2週間で終わりを告げようとしていた。訓練生の誰もが、卒業を待ち望んでいたし、もちろんマホも毎日の厳しい訓練や教官からの怒声からようやく解放される事は嬉しい。が、彼女にはただ1つの胸の引っ掛りがあった。
「ライナーに……伝えたいな。」
誰も居ない書物庫でそう呟くと、座学の授業で使用した書物を元あった棚へと戻した。
3年の間、同期の仲間と訓練を共にし、食事や掃除等、日常生活も男女が共同していれば、惚れた腫れたの1つや2つはあるもので、マホもその1人だった。
きっかけといえば本当に些細な事で、兵站行進の訓練の時に、周りから遅れを取ってしまった所を、ライナーが教官に気付かれない様にマホの装備を取って共に走ってくれたのだ。勿論それはマホだけが特別にされている事では無くて、同じ様に遅れを取っている仲間がいれば、男でも女でも分け隔てなくフォローする人なのだというのは、その後ライナーを目で追う様になってからすぐに分かった。
図体が大きく成績も上位で、けれどもそれに驕る事は無く仲間想いである彼はやはり男女問わず皆から頼られる存在だった。
日を追う事にマホの中でライナーの存在は大きくなり、これが恋なのだと実感したのは卒業を2ケ月後に控えた頃だった。
ライナーの成績は次席で、卒業後は憲兵団に所属する事はほぼ決まりだろう。上位10名にかすりさえしないマホは当然憲兵団に入れるはずも無いので卒業と共に会えなくなるのだ。そう思うとどうしても卒業までに想いだけでも伝えたいのだが、どうも勇気が出ず気がつけば卒業は目の前に迫ってきていた。
次の書物を棚に戻していた時、その棚の側面に何やら文字が書いてある事に気付き、マホは書物を片付ける手を止めた。
随分前に書かれた文字の様で、すすけた様に黒ずんでいて読み辛い。マホは棚に顏をグッと近付け目を凝らし、何とかその文字の内容を理解する事が出来た。
“結局彼に好きだと言えないまま卒業する事になりそうだ。勇気の無い自分が悔しい。だけどせめて、少しの期待を込めてここに私の気持ちを残そう。いつも暇があれば書物庫で本を読んでいた彼なら気付くかもしれない。そんな想いを込めて……。”
“チャム・ゴードン様。貴方の事が大好きでした。94期訓練生、エリーゼ・ハワード”
全ての文字を読み終えたマホの手から書物がバサバサ、と落ちた。
過去に自分と同じ様に仲間に恋をし、そして気持ちを伝える勇気が出なかった兵士が居た。彼女の小さな勇気は結局想い人に伝わったのかどうかは分からない。けれどマホは伝わっていないのだろうという確信を持っていた。
もし伝わったのならば、この文字を消すなり何か伝わったと分かる追記があったりするはずだと思ったのだ。
だってもし私ならそうするから……。
顏も知らないその「エリーゼ・ハワード」が
どうも自分に似ている気がした。
だからといって自分もここに文字を書いて残そうとは思わないし、そもそもライナーに書物庫に通う週間等無い。
伝えるならやはり直接……
床に落としていた書物を一冊一冊拾い上げながら、憂鬱な溜息を吐いた時、書物庫の扉が控えめな音を立てて開いた。
「マホ?戻ってくるのが遅いから皆心配してるぞ?」
控えめな音と遠慮がちな声とは対称的な大きな図体が姿を見せて、マホはようやっと拾った書物をまたバサバサと床に落下させた。
その音に驚いた様にマホの方を見た人物は慌てた様に彼女の方へと駆け寄った。
「悪い。ノックも無しに開けたから、ビックリしたか?」
「だ、大丈夫。違うの。有難うライナー。」
ライナーは大きな手で書物をすぐに全部広い上げると、書物のタイトルと棚のジャンルを確かめ元の場所へとしまっていく。
先程マホが見つけた、エリーゼの告白の文字にはやはりライナーは気付かずに、その場所にもスッと書物を直した。
「マホ。最近眠れてるのか?」
「え!?」
ふいに聞かれたマホが素っ頓狂な声を上げると、ライナーは至極真面目な顔付きで言う。
「さっきの座学の時間、居眠りしてて教官に怒られてただろう。」
「ああ……いやぁ。おかげで一人で書物庫に重い書物を片付けにいくハメになったね。」
頬を引き攣らせてマホは笑うと、ライナーの視線から逃れる様にクルッと背を向けた。
居眠りは座学の時間が退屈だったからなのだが、最近寝付きが悪いのも事実だった。その原因は何かと言われると恋煩いという理由に結びつくために、それを想い人であるライナーに指摘されるのは酷なのだ。
しかし、ライナーは冷静であり、仲間の事をよく見ている人間なのだ。マホの態度を不審に思わないはずがないわけで……
「マホ?やっぱり何か悩んでる事があるんじゃないのか?寝不足のコンディションだと訓練の時に怪我をするぞ。」
「大丈夫だって……ライナーは大袈裟だよ。」
「大袈裟なぐらいに慎重になった方がいいんだぞ。なぁマホ。俺に力になれる事があれば……」
「もう!放っておいてってば!!!」
自分でも思った以上に大きな声を出してしまった、とマホは不安気にライナーの方をチラリと振り返ると、ライナーは悲しそうに眉を下げ、俯いていた。
「そう……だな。悪かった。話したく無い事もあるよな。俺、先に戻るわ。」
ゴメンな、と言いながらライナーはマホの頭を全て包んでしまいそうな大きな手で彼女の髪を撫でると、扉の方へ足を向けた。
「あ……」
大きな背中が少しずつ離れていく事に、マホの胸がドキドキと緊張を連れてきて、脳内がマホに“逃がすな!!”と命令を送ってくる。
「ライナー!!!待ってっ!!」
叫びながら、ライナーの背中にタックルする様に全身をぶつけると、「うおっ!?」と少々間抜けな声を出してライナーが僅かに前によろめいた。勿論、自分の半分程しか体重の無いマホにタックルされて倒れる程やわでは無く、すぐに体勢を整えると、自分の腹回りにしっかりと巻き付いているマホの腕に困った顏をすると、彼女の反応を伺う様に首だけを逸らして、背中に貼り付いているマホに視線を落とした。