企画物BOOK
□Souvenir
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その後、訪れたイアンの実家では両親が泣きながら私を迎えてくれた。
「無事で良かった」
と、涙を流す二人を見て私も思わず泣いた。
その日、夜になってもイアンは戻って来なかった。トロスト区は、壁の穴を塞ぐ事に成功して何とか巨人を殲滅する事が出来たらしいけれど、イアンの事は何も分からなかった。
それから2日経ってもイアンは戻って来なかった。
「処理が大変なんだよ。」
「大丈夫だから。」
と、イアンの両親が励ましてくれたが、二人からも不安が見え隠れしていて、私はソッと家を抜け出して、トロスト区の方へと向かった。
トロスト区の開門扉は閉鎖されていたが、トロスト区の駐屯兵の妻だと言うと、通してもらえた。すんなり通してもらえたあたり、きっともう巨人は居ないのだろう。
トロスト区内の状況は正に地獄だった。所々に血の跡、損壊している兵士の遺体、蝿と蛆が蔓延していて酷い匂いがする。私はハンカチで口元を覆いながら、イアンを求めて歩いていた。
「あの、貴女はもしかして……。」
その声に振り返ると、口元を布で覆った兵士の姿があった。美しい黒髪に力強い瞳は間違いなくあの時の少女だ。
少女は私の前まで走ってくると、敬礼のポーズをしてから言う。
「104期訓練兵所属、ミカサ・アッカーマンです。貴女は、あの時イアン班長と話していた女性ですね?」
「イアンの、妻です……。」
「イアン班長はとても、勇敢で尊敬の出来る兵士でした。共に闘えて私はとても嬉しく思っています。」
ミカサの瞳が、何処か悲しそうで、それに、何故かイアンの事を過去形で話しているのが気になった。
「そう……ですか。あの、イアンを探しに来たのだけれど……。」
早くイアンに会いたい、とミカサに訴えると、ミカサは瞳を伏せた。
ゴソリ、と彼女は胸のポケットから何かを取り出した。
それは、所々傷の付いた、見覚えのある紫黒色の万年筆だった。
ミカサが何か言っているが、何を言っているかよく分からない。
カレガ キョジンニ オソワレタ バショニ コレガ オチテイマシタ
カレハ サイゴマデ トテモユウカンナ ヘイシデシタ
カレノ ハンダンノオカゲデ ワタシノカゾクモ スクワレマシタ
だから、ミカサ。何を言っているのかが分からないよ……。
「ミカサ。イアンは?何処に?」
ミカサはグッと眉を顰めると、もう一度敬礼のポーズをした。
「駐屯兵団所属、精鋭部隊班長イアン・ディートリッヒは自分の使命を全うし、壮絶な戦死を遂げました。」
大量の蠅と蛆と饐える様な匂いの蔓延する中で、私はそれを聞かされた。
視界に広がる景色は確かに地獄だけど、それでも信じたくない。
何も貴方が残っていないのに、一体どうやって信じろというのだろうか。
信じたくない。
信じたくないのに……。
ミカサの手の中の万年筆をソッと受け取った。傷ついたキャップを開けると、ペン先がキラリと光っている。
一度も使われる事も無いままに、この持ち主は………。
瞬間ゾクリと全身に寒気が走った。
「い……いやっ!イアン!!!そんなの嘘よ!!」
ミカサの体を乱暴に突き飛ばして、私はその場から走って離れた。
走っても、走っても、イアンは見つからない。イアンと暮らした家の前まで来たけれど、家は全壊していて、家の中に入る事も無理だった。
イアンが……消えていく。
私とイアンが暮らしていた場所すらもまるで最初から無かったかの様に崩されて……。
何で、世界はこんなにも、残酷なんだろう。
何処に向かっているかも分からずトボトボと歩いていた。頭の中にはイアンの顔だけが浮かんでいて、他には何も考えられなかった。
ああ、私はこんなにもイアンを愛していた。
それならば、私は、今から、何をして生きれば良いのだろうか?
ふと見た視線の先に、兵士の遺体があった。その傍らに折れた刃が転がっている。その兵士の元へ近付くと、私は刃を手に取った。
それならば、私は、今から、貴方の元へ行けばいいんだ。
貴方がいない世界なんて、意味など持たないのだから……。
両手で包む様に刃を持つと、刃先を自分の方へと向けた。生きている事を主張する様にドクッドクッと全身が波打つ。
こんな感覚も、無くしてしまえば……。
目を閉じて、グッと喉元に刃を当てたら、ガシッと刃の先を誰かに掴まれた。
ゆっくり瞳を開けると、目の前にミカサがいた。私の首元に突き付けていた刃の先端を素手で掴んでいて、握っている彼女の手の中から絞り出される様に鮮血がポタリポタリと落ちていた。
「ミカサ、貴女、血が……。」
力の抜けた私の手から刃を取り上げると、ミカサはそれをポイッと放った。そして、私を睨むと手を振り上げた。
パシンッ
乾いた音と、頬に感じる熱い痛みに私は唇を噛み締めた。
「目が、覚めましたか?」
抑揚の無い声でミカサが言う。
「イアン班長は、貴女の命が助かる事を願ってた。貴女はそれを裏切るの?死んでは駄目。死んでしまったら、もう、愛する人を思い出す事すら出来ない……。」
「あっ……ミカサっ」
私より遥かに幼いその少女にしがみ付いて私は思い切り泣きじゃくった。
その後、夕暮れ前にイアンの実家に戻ったらめちゃくちゃ怒られた。
ごめんなさいと謝ってから、私はイアンの両親に彼の死を告げた。
それから三人で沢山、沢山、泣いて、沢山、沢山、イアンの事を話した。
あれから、半年が過ぎた。私は今もイアンの実家でイアンの両親と3人で暮らしている。未使用の万年筆は2本並んで、私の部屋に飾ってある。
イアンの死を知った直後は、夜中に何度も悪夢に魘されたり、耐え切れない悲しさに突然涙が止まらなくなったり、本当に何度イアンの元へ行きたいと思ったか分からない。
それでもこうして、生きているのは、あの時私を救ってくれたミカサの言葉と……
「マホ。またそんな重い物持って。私がするから座ってなさい。」
「お義母さん……。」
「全く……。貴女1人の体じゃないでしょ。」
お腹の中に宿っている、新しい命のおかげだ……。
すっかり大きくなったお腹を撫でると、存在を主張する様にお腹の中からピクンとノックが返ってきた。
この子が生まれたら、沢山話してあげよう。アナタの父親が、とても優しくて、とても素敵で、そしてとても勇敢な兵士であった事を……。
―END―