novel3

□ほんの一時の・・・
2ページ/2ページ






 コンコンコンッ。

 礼儀正しいノックの音に、まだ寝てはいなかったもののすでにベッドに寝そべっていたウォルターは、訝しげに眉をひそめ、起き上がる。

 ……シルヴィオでも来たのだろうか?

 宿までは一緒だったが、部屋は別々だった。

 別れる時にも何か言いたいことがあるような様子ではなかったのに。

 シルヴィオなら話があるならその時すぐに言っただろう。

 しかも決して話の長いタイプではない。

 それが改めて訪ねてくるなんて。

 そう思って不審がる。

 しかしいつまでも待たせるわけにもいかない。

 ウォルターはのっそりとベッドから落ちるようにしておりて、ずるずると気怠い手足を動かして、ゆっくりと扉に近付いた。

「はーい?」

 気の抜けた声で応じる。

 鍵を開けて扉を開けると、そこに立っていたのは、リカルドだった。

 仕事の時に来ている黒い服ではなく、高そうだがラフなズボンにシャツにセーターで。

 細長い目でじっと部屋の主を見下ろしている。

 パッと顔を上げて相手を見て数秒間ウォルターは固まった。

 そして『えっ』と小さく驚きの声を上げて扉からじりじりと下がる。

「リッ……リカルド・カッチーニ!?」

「よう。邪魔するぜ」

 リカルドは相手が扉から退いたのを幸いにしてするりと部屋に入り込んだ。

「あっ、ちょっ、おいおい……!!」

 ズカズカと部屋の中央まで進む相手にウォルターは慌ててその背を追いかける。

「何やってんだ、アンタ、何勝手に人の部屋に入ってんの、っていうか……!」

 聞く者が聞けば『自分のことを棚に上げて』と怒られそうな文句を言いつつ、ウォルターはリカルドの前に出て、焦って必死に止めようとする。

「何しに来たんだ! 昼間のことの報復だったら……」

 リカルドは手に持っていたものを掲げて見せた。

「ワイン、飲みに来た」

「はあっ?」

 ウォルターの目がリカルドの持つワインの瓶に釘づけになる。

 ……本当にワインだ。

 赤ワイン。

「いやいやいや!」

 ウォルターはぶんぶんと首を横に振った。

「俺は政府の人間だ。アンタはマフィアだろ? 『ワイン飲みに来た』ってどういうこと?」

「ああ? いいじゃねぇか、ワインくらい。一緒に飲んだってよ。それとも、政府のお偉い鴉様はマフィアごときのワインは飲めないってのか?」

「いや、アンタ、ちょっと待て……!」

 見ればリカルドの頬はほんのり赤く、目はうっとりと細められていて、上機嫌の様子だった。

 明らかに飲んで来ている。

 悪い酒ではないようだが……。

 リカルドは宿屋の狭い部屋のベッド脇のテーブルにワインを置いてどさっとベッドに重たく腰を下ろした。

 そして傍に呆然として立つウォルターを見上げてニヤついて言う。

「ワイングラスはあるか?」

 ウォルターは『はぁ……』と苦いため息を吐いた。

「この通りの安宿だぜ? あるわけないじゃん、そんな気取ったもんなんて。ってか、アンタさ……よくこの宿がわかったな」

「この街が誰の縄張りだと思ってんだ。筒抜けだぜ、おまえらの行動全部な」

「いや、わかってるんだけど……。わかっての行動なんだけど。だが……ああ、まぁいいや、そういうことは。そうじゃなくてさ、アンタだってカッチーニの、その……」

「クレソンとは近くで別れた。問題ないぜ。ひとりで出かけられもしないほどお坊ちゃんじゃねぇよ」

「そういうことじゃなくて……」

 ウォルターは両手で顔を覆ってもう一度大きなため息を吐いて嘆いた。

 微妙に会話が噛み合っていない。

 酔っ払い相手じゃどうしようもない。

 カッチーニの直系の子孫であるリカルド・カッチーニが護衛もつけずにマフィアの敵とも言える政府の赤い鴉の元に単独で乗り込んできてワインを飲もうってどういうことだ。

 何かがおかしい。

 たっぷりと入っているがすでに抜いてあったらしいワイン瓶を取り上げてリカルドがそれを見つめて考え込む。

「そうか、グラス、ねぇのか……」

「なぁ、アンタ、帰ってくれよ。なんかいろいろとマズいって!!」

 ウォルターはそんなリカルドに懇願する。

 気にした様子もなくリカルドは瓶に口をつけてぐいっとあおった。

 そしてドンッと瓶をテーブルに置く。

 さっと立ち上がってぐいとウォルターの髪をつかんで引っ張った。

 そして口付ける。

「〜〜〜っ!!」

 ごっくんっ。

 流し込まれた液体を飲み込んで、ウォルターは目を白黒させて、リカルドを見つめる。

 その口の端から零れたワインをぐいと指で拭って、リカルドはうっすらと笑った。

 指についたワインを舐め取って。

 いまや真っ赤になっているウォルターに。

「あ? グラスないんだろ? 代わりだよ」

「バッ……」

 あたふたとして、ウォルターは我に返って自分の口を乱暴に腕で拭い、リカルドをギリッとにらみつける。

「バッカヤロッ……! てめぇ、何してくれやがる!? おちょくりやがって、許さねぇぞ!! 覚悟しろ、リカルド・カッチーニーッ!!」

「ははっ」

 とびかかるウォルターをひょいと避けて部屋の中をドタドタと逃げ回る。

 本当に楽しそうに。

 追いかけ回すウォルターを嬉しそうに眺めて。

「ほらな、俺はおまえのそういうとこがわりと好きだぜ」

「うるせぇ!! 人をバカにしやがって!! これ以上からかうんじゃねえ!!」

 すると、ガチャッと部屋の扉が開かれた。

「ウォルター、うるさいですよ。何をして……」

 中を覗き込んだシルヴィオが死んだ魚の目になる。

 ワインの瓶を傾けていたリカルドも、その胸倉つかんで今にも殴ろうとしていたウォルターも、ピタッと止まる。

 いまやふたりはベッドの上だった。

 ちなみにリカルドがウォルターを押し倒しているように見える状況だ。

 もつれて倒れ込んだのだ。

 そしてリカルドはもう一回ウォルターにワインを飲ませようとしていて、それでウォルターは殴りつけようとしていたわけだが。

 傍から見れば……そう違いはないが……ウォルターがリカルドの胸倉つかんでいるのが無理やり事に及ぼうとされて抵抗しているように見える。

 リカルドの持つワインの瓶が謎だが。

 シルヴィオの顔を見て、ハッとして、自分の置かれた状況を見たウォルターは大いに焦って言った。

「ち、ちがっ……違うんだって、シルヴィオ!! これはあのっ……っていうか、そのっ……」

 途中でいまだ自分の上に乗っかっているキリッとリカルドをにらみつける。

「いい加減退けよ、てめぇは!! いつまで図々しく人の上に乗ってやがる!!」

「このほうがワイン飲ませやすいんだがな……」

「いいから早く退け、酔っ払い!!」

 顔を近付けてくるリカルドはニヤニヤ笑っていて明らかにからかわれている。

 だが、ウォルターはわりと本気で嫌がっている。

 シルヴィオが大きくため息を吐いた。

「ウォルター……。遊ばれてないでください、そんな輩に。あなたは反応するから面白がられるんです」

 そこまで静かに言って、急に『ドン!』と壁を叩き、シルヴィオはリカルドをにらみつけて低い声で言った。

「ウォルターから離れなさい、リカルド・カッチーニ。あなたにも立場があるでしょう。みっともない」

「あ?」

 顔を上げて真っ直ぐにシルヴィオのほうを見たリカルドは、相手の顔の険しさに意外そうに目を見開く。

 リカルドはウォルターから離れて身を起こし、ベッドから降りようとした。

 ウォルターもその頃にはとうにつかんでいた襟首を放している。

「ちょっ……シルヴィオ……」

 さすがに険悪な空気に別の焦りを感じたウォルターがふたりの間に入ろうとする。

 それを必要とせず、シルヴィオはくるりと背を向けた。

 そしてチラと目だけ向けて吐き捨てる。

「今夜のことは見なかったことにしておきましょう」

 バタンと扉が閉められる。

 去っていくシルヴィオに『てめぇっ』と怒りのままに追おうとしたリカルドをウォルターが腕にしがみついて止めた。

 リカルドをなだめながら、ウォルターはぼんやりと思ったのだった。

 ……相変わらず怒らせちゃいけない人ナンバー1のシルヴィオ。

 では何故シルヴィオがそんなに怒ったのかということには一向に考えがいかないのだった。

 きっと、うるさかったからだろう、くらいで。

 結局ウォルターはしばらくの間リカルドに付き合うことになったのだった。

 酒の肴は最初シルヴィオの生真面目さについてだった。

 それからだんだんとリカルドの姉のラウラについての愚痴に移った。

 そうしてふたりは朝まで仲良く語り明かしたのだった。



 ……ちなみに宿屋のコップをワイングラス代わりに使って。





(おしまい)
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ