novel3
□おまえの何か
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「『人を裁くな』」
傍らを歩いていた男の口から唐突に出た言葉に、ウォルターを歩みを止めて眉をひそめて隣を窺い見た。一言はっきりと言った男は、続けてなんの抑揚もなくただ言った。
「『汝が裁かれぬようにするためである』」
ウォルターの眉が跳ね上がり、目が見開かれたが、すぐにそれは元に戻った。
フイとそっぽを向く。止めていた足を動かして。
がしがしと後ろ頭をかいて、改めて相手を振り向いて、いまいましげに吐く。
「……ああ。だから俺はいつか裁かれるのさ」
聖書の言葉だ。
この目に火傷跡のある、今はそれだけではなく顔中に殴られた跡のある、大柄な男……リカルド・カッチーニ……の言ったことは。
ふたりで教会で戦って……周囲に言わせれば大ゲンカ、本人たちに言わせれば死闘を繰り広げて……きたばかりだ。
その名残りなのか、たんにさらにまた争おうというのか、嫌なことを言う。そんなことは、『背信者』である自分が一番よくわかっている。
リカルドは神妙な顔つきで言った。
「まぁな。俺も守れちゃいねぇ。『人を殺すなかれ』なんてな。懺悔でも聞くか?」
「嫌なこった。ヤギじぃんとこでも行けよ。ってか、専門の人間がいるだろ。俺は別にアンタを……いや、なんでもねぇ。とにかくごめんだ」
うんざりだ。今から仕事だってのに……いや、今もだが……こんなマフィアの湿った話を聞くなんざ。もしかしたらそれは水かもしれないし、油かもしれないが、胸の炎にとにかく良くなさそうだ。冷静でいなければならないのに、少なくとも、今は。
仕事なのだから。
……と、いうのに、相手はこちらに構わず話し出す。
おい、気にしろ。
「大事な者を守るために、そうじゃない者を殺すことがある。……言っとくが、マフィアだからじゃねぇぞ。普通の人間でもだ。この街はまだいい。旧市街の方では、生きるために必死だ。殺すの殺されるのは日常茶飯事だ。殺すなかれ、盗むなかれ、か。……何も悪いことなんてしてなくても少しの金のために殺される赤ん坊と母親、食いぶちを減らすために親に殺されるこども、飢えて飢えて売り物に手を出して雇い主に殺されるガキ、生きていくために盗みを働こうとして殺されるガキ……、俺の知ってるヤツもそういう危険に何度も遭ったことがある。……なぁ、それでも黙って死ねば天国に行けるってか。……殺さず、盗まず、素直に殺されてやれば、神の国とやらで幸せに暮らしていけるそうだな。……死んじゃあいるが。……おまえはどう思う?」
「……」
うるさい。無言でツンとそっぽを向く。そしてうつむく。
バイクが重たい。その横には棺が。棺が重たい。
磔刑のための十字架の形をした釘の入った棺が。己の武器が。己の名前が。
部下の視線を受けながら、まるで今日の天気のことでも話すかのように軽く、どこか明るく、リカルドは言う。
「だからって、俺はソイツに死を選んでほしくなかった。アイツが生き抜くのなら、どんな罪を抱えていてもいいさ。俺にとってそれは『悪』じゃねぇんだ。……わかるか?」
「……」
いいや。……と、言ってやりたい。言ってやりたいだけだ。本心は違う。目をスゥッと細くして地面をにらむ。
俺にだって、それは悪じゃない。悪とはそういう単純なものじゃない。……でも、自分は、神を信じている。
それでも自分は、神様はいると思うし、天国はあると思っている。
……だって、だってエミリーが、エミリーの居場所はもうそこにしか……。
チラと横を歩きながら何か物言いたげに自分を見ているリカルドを見る。
……コイツ、嫌なこと言いやがって。
あの時、エミリーが助かるのならば、マフィアなんて何人でも殺してた。
赤い前髪の間から鋭く光る目でキッとにらみ据え、鼻の頭に皺を寄せ、奥歯を噛み締めてそれを剥き出しにして、険しい表情で相手を威嚇する。
……くだらないことを言うな。
駄目だ、駄目だ。自分は意志を持たない処刑器具なのだから。余計な感情を持って事に当たってはいけない。天国にいるあの子を引きずりおろすような真似はできない。
自分に強く言い聞かせ、顔から力を抜き、フッと小さく息を吐いて、それから口元にわざと緩い笑みを作った。
「『犬に聖なる物を与えるな』ってのは本当だな。踏みにじって噛みついてきやがる。マフィアと神様の話をする気は起きねぇよ。どうあれアンタらは金を奪うし、命を奪うんだ! だからっ……」
いけない。カッとなってしまった。赤い前髪を握りしめて気を落ち着ける。視界の隅に銃を構えるヤツの部下が見える。そしてそれを手で制するアイツ。
「……わかった」
自分を見下ろし、ふーんと鼻で息を吐いて、リカルドはしばらくしてからそう言った。
何が? と視線を向ける。
「人を知るには、相手が何で怒るのか知れってさ。……てめぇはたんに神をけなされたってだけで怒ったわけじゃねぇな。まあ、人は複雑なもんだ。全部わかったなんて言うつもりはねえ。ただ……悪かったよ」
「……んだよ」
「いや、なんでもない。もういい。行くぞ。ほら、おまえらも、いいから行くぞ。話すことは他にもあるだろ」
まだ懐のポケット……銃が入っている……を触ったままオロオロとしている部下を叱りつけるようにしてリカルドは歩き出す。
俺に命令すんな、……そうは思ったが、今はこんなことをしている場合じゃない。
こんな……。
顔を上げて空を見ようとして途中でやめたウォルターを、リカルドがじっと見ている。
「……さっきからなんだよ」
不審げに目をやると、リカルドはゆっくりと首を横に振り、肩をすくめて見せた。少しだけ笑って。
「……いや。俺はリカルド・カッチーニだ。ヘルハウンドだ。犬に聖なる物が与えられないならちょうどいい。ちょうど……なんていうか、まぁ、アレだ。スッキリしていい。そう思ってな」
「アンタ、バカじゃないのか?」
「ああ?」
振り向いて相手がにらみつけてくる。
ウォルターもそれに乗ってせせら笑った。
「ホント、神様の教えがもったいねぇわ、犬っころにゃ」
「てめぇ、犬っころとはなんだ! バカにしてんのかっ……!?」
「だから確認してんだよ!! バカだった!! バーカッ!!」
つかみ合いのケンカになりそうなところを周囲の男たちがあたふたとして止めようとする。
この男は、じゃあ何で怒るかといえば、馬鹿にされて怒っている。
……まぁ、自分もだけど。
ウォルターはこっそりと思う。
コイツは、だからこそ、本当に悪いことってのはしないのかもしれない。
……たぶん。
(おしまい)
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*聖書の言葉が出てきますが、いかんせん数が多いのと、バラバラなのとで。
『人を裁くな〜』は、自分がされたいように人を扱えって話で、『犬に〜』は『豚に真珠』が有名なアレです。
リカルドはそういう立場なので気にしなくていいならスッキリかなと。