novel3

□偽物の夜
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 ……嫌な笑い方をする男だと思った。

 笑い顔が気持ち悪いとか、笑い所がおかしいとか、そういうことではない。……いや、少しはそういうこともある。彼の笑顔は心の底からではない時があるし、いったい何か面白いのかというようなことで大笑いもするし。

 だが。

 ……何か堪えるような笑みを見せる彼が、妙に腹立たしいことがあって。

「何かあるなら言いなさい」

「? ……なんもねぇよ」

 浮かべていた笑みを消して、急にむすっとして不貞腐れたように口をへの字に曲げる彼に、真っ当に取り扱うのが面倒になって……これ以上立ち入らせないぞと固い甲羅を見せるのならば、最初からそんな隙のある笑顔を見せないでほしい……彼と同様、なんの意味もないような世間話に変えるのだ。

 彼が本当に笑っていられるような。

 ウォルターが痛みを堪えて笑いながら胸の内で苦しまないでいいようなどうでもいい話に。

 嵐の前の曇った夜空を眺めている男の横に立ち、ゆっくりと静かに口を開く。

「……今夜は本当なら満月だそうですよ」

「ほー」

「……軍警察の頃に聞いた話なんですが、そこの寮のひとつに、満月の晩に死者の霊が出るという話がありましてね……」

「それはそれは」

「満月の晩にだけ、壁に人の手らしき影が映るんだそうです。……何故かわかりますか?」

「えーっと、え、何が言いたいわけ? コレなんの話? 大丈夫か、シルヴィオ」

「……ただの雑談です。もういい。あなたとは付き合い切れない」

「ちょっと待てって。あっ、付き合ってくれてた? 悪りぃ! えっと、影だっけ? なんでだろうな。んー……、ん? あれ? 怪談話に謎々ってなくない? フツー、なんの恨みでとかさ、なんか未練があってとかさ、……それはちょっと違うんじゃねえ?」

 去ろうとした自分を焦って止めて、驚き慌てるやら済まながるやら不思議がるやら、何かと忙しい男に自分は冷静に真顔で返す。

「だから、怪談話なんかじゃないんです」

 ぽかんと口を開けて固まるウォルターに、わずかに苦笑する。

 ……これだから。これだからこの男は。

 眼鏡を直す動きで顔を隠してそれ以上の表情の変化を見られないようにする。

「たんに、普段は布がかけられていて、満月の晩にだけそれが外されて開け放たれる窓から、光とともに庭の植物の影が入り込んだだけらしいですよ」

「……なんだ。そんなオチかよ」

 ハッと笑って見せる。生意気な顔。でも許しましょう。

 今夜は。

 ウォルターがくるりと踵を返した。

「……なんか冷めちまった。部屋に戻るわ。じゃあな、シルヴィオ」

「ええ。風邪など引かぬようになさい。こんな晩にじっと立っているなんて、あなたは……」

「悪いな。小言聞く気分でもないんだわ。じゃっ」

 軽く片手を挙げて、振り向いてニッと笑みを見せて、背を向けて去っていく。

 その明るいやんちゃないたずらっ子のような笑顔。

 残されたシルヴィオは息を吐く。

「……あなたは気付かないんですね……」

 何故、満月の晩にだけ、窓が開け放たれたのか。

 満月の晩に失った恋人を想う男のしわざだ。

 その、まるで伸ばされた手のような形の木の枝の影を、代わりに……。

 そして、その後のことなどは。

「……まぁ……あまり、いい話ではありませんから」

 あそこで彼が去ったのはよかったのだろう。

 これで風邪を引くこともないだろうし、あれ以上に暗くなることもない。





 嵐が来る。



 まるで建物をひどく燃やすような音とともに、街中を激しく走り抜けていく。

 ゴォウッ……ゴォオッ……と。

 こんな夜は。

 ……こんな夜は早く過ぎ去ってしまえばいい。

 本当は、今夜は月が綺麗なはずだった。

 そうしたら、またもっと別のことも言えたかもしれない。

 満たされた月の光の中で。





(おしまい)

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