小説(弾丸)

□【長編】ふたりぐらし #1
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 狛枝は塀に取り付けられた手すりにもたれ、空を見上げている。その顔には、何処か憂いを帯びたような表情が浮かんでいた。正直、ちょっとだけ綺麗だな…、と思った。

「…眠れなかった。」

 ふと、狛枝が薄く口を開いた。

「僕はここに来てから、…死ぬまで、おそらく一睡もしていない。その理由は、…分からないけど。」

「…ほんの少しもか?」

「うん。何故か僕は、夜になると一晩中ここから星空を眺めていたんだ。…悲しかったのか、寂しかったのか。少なくとも、楽しみながらそうしていたのではないことは分かるよ。」

 独りで夜空を眺め続けていた理由。きっとそれは、狛枝がここに引っ越してくる前の出来事に関係しているに違いない。料理も靴ひもの結び方も知らないお坊ちゃまが、突然こんな小さなアパートで1人暮らしを始めなければいけなくなってしまうような出来事。
 なんとなく予想はついてしまうけど、今コイツに話すようなことではない。やめておこう。
 狛枝の方を見ると、あの表情のまま、まだ遠くを見つめていた。色素が薄く透けるような長い睫毛が、夕暮れ時の柔らかな日差しに照らされて淡く輝いているようにも見える。繊細なタッチで描かれた絵画を眺めているような感覚に陥った。
 その絵画の登場人物は、儚げな雰囲気を醸し出しながら、俺の目の前にちゃんと存在している。
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