Pandora Box
□Lie
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リヴァイの溜息が聞こえたかと思うと、彼の気配が動いた。自分を怯えさせぬようにと、そっと近づいてくる。
「そんなわけねぇだろ……」
彼はアテナの後ろに立ち、声を絞った。
「……お前が出て行けというのなら、話は別だが」
リヴァイの声があまりに辛そうで、アテナは首を左右に振る。そんなこと、絶対にしない。彼にそう伝えたかった。
リヴァイがほっと息をつき、アテナを呼ぶ。
「アテナ」
誘われるように、アテナはそっと振り向いた。
アテナの美しい翡翠の瞳は、悲しみに濡れていた。リヴァイの胸に、つきり、と痛みが刺す。
リヴァイは彼女へ触れようと、手を伸ばした。しかし、その手は宙で止まってしまう。その一瞬の迷いが、アテナの胸に黒いシミを作った。
宙を彷徨っていた指先が、恐る恐るアテナの頬へ触れる。触れるか触れないかの距離を保ちながら、リヴァイの指は涙の跡をなぞった。
戸惑いがちに触れてくるリヴァイの指先に、アテナの気持ちが沈んでいく。
彼女の表情が曇ったのを見て、リヴァイは頬を撫でていた手を下ろした。
「……悪い」
彼は、何に謝っているのだろうか。アテナがいくら考えても、真実は見えてこない。
それもそのはず。リヴァイは今日見つけたばかりの感情を、胸の奥深くに鍵をかけて隠してしまったのだから。
アテナにわかるはずがない。
とはいえ、愛というものを隠そうなど、人間には無理な話だ。どれだけ奥深くにやろうと、鍵をかけて隠そうと、少なからず溢れてしまうものだ。
溢れたそれは随分と歪な形となり、時には鋭利なナイフへと形を変えて、アテナを傷つけるのである。
頬を撫でていたリヴァイの指が、申し訳なさそうに離れていく。
嫌。アテナがそう思ったときには、彼の手を両手で引き止めていた。
リヴァイの目が、少しだけ見開かれる。彼の手が少し固くなった気がしたが、アテナはそのまま自分の方へ引いた。
短くなっていた燭台の蝋燭が、1本消えた。ゆら、と細長い煙が立ち、静かに消えていく。
アテナは、リヴァイの指先に唇を触れさせる。翡翠の瞳の奥が、じわり、と熱を持った。胸に押し迫る、息の詰まりそうな感情。この感情を、アテナは何と呼べば良いのかわからない。
「リヴァイさん、私……」
アテナはリヴァイの指先に口付けたまま、ぽつりと呟く。彼女の吐息や唇が、リヴァイの指先をくすぐった。
アテナの呟きは、独り言で終わってしまう。
リヴァイは、鼻から小さく息を吐いた。思いつめた表情を浮かべるアテナを、静かに見つめる。
「お前……馬鹿なことを考えてるだろ」
「馬鹿って、そんな……」
アテナはリヴァイの指先から唇を離し、ひどいです、と悲しそうな顔を上げた。
リヴァイはアテナの手をそっと解き、羊皮紙色の髪を梳く。
「……約束する。きっとこの髪が白むのを見届ける」
羊皮紙色の髪を一束すくい、リヴァイは唇を寄せていく。しかし、はたと我に返った。
このまま、髪に口付けても良いのだろうか。
「リヴァイさん……?」
アテナが小首を傾げると、リヴァイの手から、羊皮紙色の髪が零れ落ちていった。
アテナは身体を強張らせ、瞳だけでリヴァイの手を見つめる。
(どうして……)
彼は触れてくれないのだろうか。やはり自分は嫌われてしまったのだろうか。
過った考えに、身体の芯から冷えていく。
(子供過ぎて、呆れられた……?)
どうしよう。
アテナは自身の髪を両手で掴み、右側にまとめた。白く細い首筋が露わになる。
視界の端に映ったリヴァイが、身体を石にさせるのが見えた。
「アテナ? お前、何を……」
アテナはネグリジェの襟を、手でぐいと左側に広げた。彼女は右斜め下へ顔を俯かせ、床を見つめる。
そうすると、左の首筋がピンと伸びて美しかった。
「消えて……しまいます…………」
何を、と問おうとしたリヴァイが、晒け出された首の左付け根を見て、息とともに唾液を飲み込む。
昨日つけた赤い痕がぽつん、とリヴァイを誘っていた。