Pandora Box
□Under
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2ヶ月も経てば季節は秋に変わり、同じくリヴァイの環境も変わる。それは彼自身も気づかないような些細な変化であったり、戸惑うほどに大きな変化であったり、様々だ。
「リヴァイーっ、靴磨きしてくれ! 急ぎでッ!!」
そこでガキに足踏まれてよぉ、と泣きそうな顔で身形の良い青年が店に入ってきた。勢いよく開けられたドアの音と、大きな声が心臓に悪い。
青年はリヴァイと同じく20歳らしく、この店では最も若い客の一人である。ここ2ヶ月よく来る客だ。短く切った赤毛とそばかすが特徴で、主に新聞配達をしているらしい。
靴屋モーリスは老舗なためか、彼のように若い客は珍しい。また、自分を怖がらずに喋りかけてくるので、リヴァイにはいい息抜きになった。なんて言ったって、彼には気を遣わなくていい。
「店ででけぇ声を出すな、デュオ」
リヴァイがカウンターから出てくると、デュオと呼ばれた青年がおいおいと抱きついてくる。
「これからデートなんだよ! 頼むよ!」
デュオはとても背が高く、リヴァイは女のように抱き込まれる。上半身を預けてくるものだから、リヴァイの背骨は反り返り、ぽっきりと折れてしまいそうだ。
「わかったわかった。とりあえず離れろ、気持悪ィ」
デュオの顎を、手で押し退ける。
ひでぇな、とデュオは捨てられた子犬のような顔で、リヴァイから離れた。
「ま、よろしく頼むよ」
ニカッと歯を見せたあと、デュオは客用の椅子に座った。靴を脱ぎ捨て、客用の椅子に胡座をかき、交差した足首を両手で抑える。これが彼の靴磨き待ちのスタイルだ。
リヴァイはデュオと触れ合っていた部分を手で払い、ずれたエプロンの肩紐をなおした。モーリスから与えられたこのエプロンはややサイズが大きく、ひょんなことですぐに肩紐がずれ落ちてくる。
エプロンを整えて、リヴァイは呆れた顔で彼を見下ろす。
「お前は変わった客だな」
軽く溜息をつきながら、人差し指と中指を靴に引っ掛けて持ち上げた。褒めたわけでもないのに、デュオはニコニコとしている。
何が面白いんだかと半ば呆れつつ、リヴァイはデュオの靴をまじまじと見た。確か彼は、そこで子供に足を踏まれたと言っていたはずだ。
リヴァイは靴のあちらこちらを見回すが、子供の靴跡はついていない。不幸中の幸いだろう。
「……別に汚れちゃいねぇが? つーかデュオ、お前2日前も来たじゃねぇか」
「まあ細かいことは気にすんなよ」
「靴底の泥を落としてちょっと磨きゃ終わりだぞ」
それでいいよ、とデュオは頷いた。そりゃリヴァイはちょっとの汚れも許せはしないが、金を払うのは客だ。
まあ、モーリスの店には決まった値段がなく、仕事の出来に応じて客が支払ってくれるので、デュオも少なめに払うだろう。
リヴァイは道具を並べ、低い椅子に座って靴の泥を落とし始める。
「……モーリスさんは?」
リヴァイはくいと、作業部屋に続くドアを顎で指した。デュオはふぅん、とそのドアを無表情に見つめる。無邪気な彼が見せるその顔は、彼の本質を見たようでどきりとする。
馬鹿なようでいて、彼はどこか諦めがいいというか、達観した部分がある。
「本当に、もうここに靴は並ばないのかぁ」
ぽつり、と寂しげにデュオが言う。
その言葉につられて、リヴァイは広くなったモーリスの店を見回した。
結局モーリスは、客の注文のみで靴を作ることにした。
そのことを告げられた日。
リヴァイはモーリスの決断を受け入れることも拒絶することも出来ずに、ただ彼の疲れ切った瞳を見ていた。
モーリスはその瞳をゆっくりとリヴァイへ向けると、少しだけ微笑んだ。随分と老けたように思えた。少しばかり痩せたせいもあるのかもしれない。
「安心せい。お前をクビにしたりはせんよ」
「んなこと心配してんじゃねぇよ」
返した言葉は、わずかに震えていたように思う。額の奥が熱くなって、手が震えそうになる。
リヴァイはなんとなく、モーリスはまた棚いっぱいに靴を並べるだろうと期待していたのだ。
ひどい裏切りを受けたようで、悔しかった。
「店はどうする」
リヴァイが尋ねると、モーリスはうむ、とご自慢の髭を撫でた。
「お前に任せようと思う」
リヴァイはしばらくモーリスの顔を眺めたあと、恐る恐るモーリスに近寄った。
「……ついにボケたか?」
「ボケとらんわ。失礼な奴じゃな」
コホン、とモーリスは一つ咳払いをすると、リヴァイの目をしっかりと見た。