Pandora Box
□Lie
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アテナは呼吸も忘れて自室へ逃げ込み、涙とともに息を吐き出した。急激に肺を満たした酸素が、逆に苦しい。
真っ暗な部屋は、やけに広く見え、寒かった。
ふらつく足で、勘だけを頼り歩く。ベッドの前まで歩くと、アテナは落ちるように床へ両膝をついた。ベッドに顔をうずめ、両手でシーツを握る。震える唇を噛み締め、苦しみに耐えようと瞼を強く瞑った。
しかし、瞑った瞼の裏側にリヴァイの冷たい表情が浮かんで、胸が凍りつく。
抑えきれぬ涙がいくつも溢れ、アテナの苦しげな呼吸と一緒に、シーツへ吸い取られていった。
(私は、何を……)
こんなことをしたら。今、彼と離れたら。
これから自分は、どうやって彼と接すれば良いのだろうか。
(独りは嫌……もう、嫌なの……)
それなのに、自ら独りになったりして、何をしたいのだろう。
自分の行動にここまで矛盾が生じるのは、初めてのことだった。
アテナは、ベッドにうずめていた顔を横に向ける。濡れたシーツが、頬に張り付いた。ぐずりと鼻をすすり、目を開ける。何も見えない。カーテンを閉めているせいで、月明かりもなかった。
アテナはベッドに手をついて立ち上がると、身体を横たえた。泣いたせいで、身体は疲労感を訴えている。
アテナは緩く目を閉じた。今日はもう寝てしまおう。
早く夢を見たいのに、胸がざわめく。だんだん心細くなってきて、アテナは誤魔化すように何度も寝返りを打った。身体が動いては眠気が遠のき、アテナは目を開けた。視界はやはり真っ暗だった。
(……眠れない)
ペトラはどうしているだろうか。彼はどうしているだろうか。
「私なんか、どうせ」
自分で言いかけたその言葉が、酷く醜かった。アテナは口を噤んで踏み止まると、ベッドから降りた。
(お水、飲もう)
アテナは真っ直ぐ歩き、ドアを開ける。燭台の灯りが、廊下をうっすらと照らしていた。
アテナは階段の手摺をそっと掴み、静かに下りていく。階段を下りると、リヴァイ達が眠る部屋のドアへ視線をやった。
行きたいような、行きたくないような。どっちつかずの感情が胸で渦巻く。
アテナは後ろ髪を引かれながらも、キッチンへ向かった。キッチンの燭台をつけると、リヴァイが買ってきてくれた食材の入った袋を見つめる。袋から真っ赤なトマトを一つ取り出した。
「リヴァイさん……」
「……俺はいつからトマトになった」
突然聞こえた声に、きゃあ、と悲鳴を上げる。驚きのあまり身体が跳ね上がって、手にしていたトマトをテーブルの上に落としてしまう。ゴロゴロゴロ、と転がっているトマトを、骨ばった手が掴んだ。
アテナは、骨ばった手から腕、顔へと視線を移動させる。
「……リヴァイさん」
リヴァイはトマトを手の中で回して、潰れていないか確認していた。
大丈夫だ、とリヴァイはアテナにトマトを差し出した。アテナは慌ててトマトを受け取り、袋に仕舞うとリヴァイに背を向けた。
リヴァイの視線が突き刺さり、自然と背を丸めてしまう。随分と重い沈黙が続き、アテナはシンクの中を見つめる。
喉の乾きが増して、すぐに水を飲みたい。けど、リヴァイの視線が気になって動けずにいた。
リヴァイはリヴァイで、怯えたように丸まっているアテナの背に、何と声をかければいいのか迷っていた。
(……来ないほうがよかったか)
彼もまた彼女同様に寝付けず、ペトラの寝顔を眺めていた。すると小さな足音が聞こえたため、気になって追ってきたのである。
「眠れないのか?」
重い沈黙に落とされたリヴァイの声が、柔らかい波紋を作りながらアテナの耳に届いた。
それだけで、目の縁に涙が滲んでしまう。アテナは目を伏せて俯き、ぎゅっと両手を胸の前で組む。
リヴァイにはその後ろ姿が、頷いたように見えた。
「アテナ……」
「地下街に帰りたいと、思っていますか?」
アテナはゆっくりと深呼吸をする。意識しないと、あっというまに乱れてしまいそうだ。
「何故、そう思う」
リヴァイの表情は見えないが、眉間にシワを寄せているのが容易に想像できた。
「質問に……答えてください」
リヴァイの空気が、一瞬逆立ったように思う。どくどくとアテナの米神が脈打ち、冷たい汗が肌を覆った。