Pandora Box

□Name
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 リヴァイは自分の指先に口付けるアテナへ、波紋なき水のような眼差しを向ける。
 
 アテナの手がそっと、リヴァイの手を離した。リヴァイは惜しむように椅子へ座り、背もたれに腕を引っ掛ける。反対に、アテナはカタリと椅子を引いて立ち上がると、リヴァイの灰色の瞳に微笑んだ。

「では、そろそろ朝食を用意しますね」

「……あぁ」

 アテナは微笑みを深めると、ドアへ向かった。

 もう少し彼女を引き止めたがる自身の手を、リヴァイは握ってやり過ごす。アテナの唇が触れた指先が、痺れるように熱い。リヴァイはその熱がこれ以上広がってしまわぬように、ますます手を握った。

 ドアを少し開けたところで、アテナが振り返った。

「そう言えば、お昼はどうされますか?」

 リヴァイはふいと視線を斜め上にやって考える。

(昼か。考えていなかったな)

 リヴァイは視線を戻すと、答えを待つアテナに薄い唇を動かした。

「向こうで適当に買う」

「お弁当に、サンドを作りましょうか?」

 アテナが首を傾げてそう提案すると、リヴァイは僅かに俯き、顎に手を当てて再び考える。

 弁当。自分には一生、縁がないものだと思っていた。

(そうか、そういう手もあるのか……)

 家族とは妙なものだな、と思いつつ顔を上げ、まだ首を傾げているアテナを見た。

「お前……アテナの母親はどうしていた?」

「母は毎朝、朝食と一緒に作っていました」

「そうか……なら、水も頼む」

 アテナはどこか嬉しそうに頬を緩めると、こくりと小さく頷いた。

「わかりました。では、作ってきますね」

 リヴァイはアテナが出て行ったドアを見つめ、指先で頬を掻いた。どこかしこも、むず痒くて堪らない。

(まぁ、こんなのも悪くないか)

 リヴァイは目を細めると、もう少し寝かせてもらおう、とペトラが眠るベッドにのそのそと戻るのだった。





 朝食ができたとアテナに起こされ、ペトラとリヴァイは同時に目をこすって欠伸をした。それを見てくすくすと笑うアテナを、リヴァイは穏やかな気持ちで見つめる。

「りばいおにぃちゃん、おはよぉ!」

 すっかり機嫌の戻ったペトラと挨拶のキスを済ませれば、アテナもペトラとキスをする。

 リヴァイがアテナの腰を抱き寄せると、彼女はほんのりと頬を染めて身体を強張らせた。

「……改めまして、おはようございます」

 リヴァイは短い返事をし、アテナの唇の端へ口付ける。少し肌を食みながら唇を離すと、ちゅ、と小さな音が鳴った。
 アテナの頬はますます赤らんで、リヴァイは濃い溜息を漏らす。

 アテナの手が、おずおずとリヴァイの胸に添えられた。リヴァイが瞳を閉ざすと、唇の端にアテナの唇が触れる。

 その柔らかさを、リヴァイはじりじりとした熱とともに感じていた。

 アテナにしては珍しく、キスの時間が少し長い気がする。

 ああ、このまま唇の位置をずらしてみたい。自分の唇で、彼女の唇の柔らかさを確かめてみたい。

 欲深くなっていく自身に、リヴァイは軽蔑の眼差しを向ける。

(頼むから、変なことはしてくれるなよ)

 彼女の美しさや純粋さを、裏切らぬようにしたかった。

 アテナの唇がそっと離れ、リヴァイは目を開ける。目が合うと、アテナは恥ずかしそうに笑った。

「ねぇー、おなかへったぁ」

 ぐいぐい、とアテナのスカートをペトラが引っ張る。

「えぇ、ご飯にしましょう」

 リヴァイの腕から抜け出した彼女の背は、とても優しかった。





 アテナが用意した服に身を包んだリヴァイは、些か不機嫌そうな面持ちで彼女を見る。アテナは反対に、えらくご機嫌さんだ。ペトラと一緒に童謡まで歌っている。

「……オイ、俺は貴族じゃねぇ」

 リヴァイの着ている服は、花畑を見に行くために買ったときの上等な服だ。それ以来全く着ておらず、どこに仕舞われていたかも不明だったのだが、歯を磨き終わって身支度を整えようとしたリヴァイに手渡されたのがこれだった。

 アテナはひらりとアスコットタイを手にすると、にこりと頬笑みを浮かべた。

「母はこうしていました」

 リヴァイは、好きにしろ、と諦めたように溜息をつく。

「ふふ、少し上を向いてください」

 リヴァイは言われるがままに上を向いた。しゅるり、とアスコットタイが通される。少しくすぐったいと思うのは、きっとそれのせいだ。

 見覚えのある格好に、ペトラがふと歌を止めて声を上げる。

「えーっ! りばいおにぃちゃん、どこいくのぉー! おはなばたけー!?」

「うるせぇ、アテナに訊け」

「アテナおねぇちゃぁん!」

「リヴァイお兄ちゃんはね、お仕事なの」

「おしごとってー?」

 結び終わったアテナが、出来ました、とリヴァイから離れる。

 リヴァイは丁度良く結ばれたそれに、やはりくすぐったいな、と耳の裏を指で掻いた。時計を見る。そろそろ出る時間だ。

 アテナはペトラを抱き上げて微笑んだ。

「ふふ。お仕事はね、ペトラをお姫様にする準備よ」

「オイ、アテナ……」

「ほんとぉーっ!?」

 くりくりとした空色の瞳が、ぱぁ、と輝く。それを見たリヴァイは仕方なく口を閉ざして、アテナをじっとりと睨んだ。効果はなく、彼女はにこにことしたままだ。

「りばいおにぃちゃん、だいすきーっ!」

 リヴァイに向かって両手を伸ばすペトラに、リヴァイも軽く両手を伸ばす。ペトラはアテナの腕からリヴァイの腕へ移動し、ぎゅーっとリヴァイの首に抱きついた。
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