Pandora Box

□Corolla
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 昼食の香がする部屋で、アテナは眉尻を下げながらリヴァイを見た。

「リヴァイさん、ゆっくりですよ?」

 アテナはベッドに腰掛けているリヴァイの前で、両手を軽く広げている。隣にはペトラが不思議そうに彼らを見上げていた。
 アテナの顔は酷く心配そうである。そんな彼女を見ながら、リヴァイは呆れたように眉間にシワを作った。

「お前は心配しすぎだ……アテナよ」

 大丈夫だ、と付け足しても、アテナはやっぱり、でも、と言い淀む。
 そして、普段は優しい翡翠の瞳を、凛としたものに変える。使命感を持った瞳だ。

「倒れても受け止めますから、大丈夫ですよ」

「倒れるわけねぇだろ」

 彼らが何をしようとしているかというと、リヴァイが杖をつかずに歩く練習である。練習というのは大袈裟で、リヴァイ自身、1週間ほど前から既に、杖は必要ないと思っていた。
 それでも3ヶ月近くも杖をついた生活を送っていたためか、なかなか手放すことが出来なかったのである。

 骨折が完治したわけではないが、ペトラが乗っかって起こしにきても痛みはほとんど感じなくなっていた。

 リヴァイはすっと立ち上がって見せると、隣にいたペトラを抱き上げた。そして、昼食の並んだテーブルへ移動し、いつもの席にペトラを座らせてから自分も席に着く。

 その自然さに、アテナはあっと声を漏らす。本当に大丈夫なのだ。
 アテナが広げていた腕を安心したように下ろすのを見て、リヴァイはハンと鼻を鳴らした。

「ほらみろ。お前……アテナは大袈裟過ぎる」

「すみません……」

 アテナは苦笑するほかない。自分でも心配し過ぎは良くないと思っているのだが、してしまうものはしてしまうのだ。

「ねぇー、たべてもいーい?」

「あ、待って」

 ペトラに早くと催促され、アテナは慌てて席に着く。

 3人は、いただきます、と声を揃えてから食事に手を伸ばした。





 昼食を食べ終えたリヴァイにとって、1日で最も暇な時間がやってきた。
 ペトラは昼寝で、アテナは所在不明である。

 リヴァイは壁にもたれてベッドの上に座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。外とは言っても、見えるのは洗濯物と煉瓦で出来た塀だけだ。入ってくる陽射しは柔らかく、そして暖かい。寒さは少しずつ和らぎ、春はすぐそこまできていた。
 それらがますます彼をぼんやりとさせるのだった。

 今手にしている本は読み飽きて、栞代わりに指を挟んで膝の上に置いている。

(暇だ……)

 リヴァイはゆっくりと瞬きをし、それから壁にかけられている杖を見た。

(……杖も必要なくなった)

 リヴァイは視線を外へ戻した。風が吹いたのか、洗濯物がふわりと膨らんで揺れる。

(久しぶりに地下街にでも行くか……1時間くらいなら、問題ないだろう……)

 リヴァイは、はたと目を見開く。

(……いや、そもそも地下街がいるべき場所だ)

 何故、さもこの家に帰るようなことを思ったのか。

(ぬるま湯に浸かり過ぎたか……)

 リヴァイは隣を見下ろした。彼の膝に寄り添うように寝ているペトラのくせ毛を、くしゅくしゅと指先で混ぜる。
 ペトラは穏やかな寝息を立てている。

(……アイツには、随分と世話になったな。金も使わせてばかりだった。いつか返さねぇと……ポストにでも入れておくか。アテナがポストを開けたことなんざ見たことねぇが……)

 リヴァイはペトラの髪から指を離した。

(……もう、関わらない方がいいだろう)

 自分はすっかり地下街の住人だが、アテナは違う。ペトラも、地下街で手を汚したわけではない。綺麗な彼女らと違い、自分のなんと汚れたことか。

(アテナのことだ。きっとペトラを育て上げるだろう……)

 その隣に、自分はいない。いるべきではないのだ。

(いられるはず、ねぇだろ……)

 元々、住む世界が違うのだから。

 リヴァイは目を伏せる。アテナの泣き顔が浮かんできた。それは、自分の願望だろうか。自分がいなくなって、少しでも寂しさを感じてくれたなら。

 リヴァイは苦しそうに目を細めた。息が詰まりそうだ。

(……泣くな)

 もう、拭ってはやれないのだから。
 どうか、どうか。

(笑え……)

 切実な、想いだった。

 泣いていたアテナの傍に、にこにことしたペトラがやってくる。泣いていたアテナは、ペトラにつられるように笑った。
 美しく優しい、笑みだった。

「お前が……アイツを笑わせてやれ……」

 リヴァイは身をかがめ、ペトラの額にキスをする。

 男1人分欠けた部屋には、ペトラの寝息だけが静かに残されていた。
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