Pandora Box
□Little
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リヴァイはゆるゆると目を開けた。喉は乾いてひりつき、頭は覚醒しきらない。酷い倦怠感だ。
部屋には誰もいなかった。キングサイズのベッドの真ん中に、自分が沈んでいるだけである。
ぼんやりと窓を見る。カーテンから漏れる光からして、午後はゆうに回っているだろう。
(アテナめ、起こせばいいものを……)
どうやら自分は相当な惰眠を貪っていたらしい。
リヴァイはアテナが繋いでいた手を見た。あたたかく小さな手の感触が、まだ残っているような気がする。
ゆるく手を握ったが、己の皮膚の感触が伝わってくるだけだった。
『いつか、母に会いたい……』
暗闇の中で確かに聞いた、切実な夢。それはリヴァイのぼんやりする頭の中で、数回反復される。
ふいに、遠くでドアの開閉音が聞こえた。アテナだろう。
(どこかへ出かけていたのか……。あまり人に会いたくねぇとか言ってたくせに)
足音が近づき、リヴァイの部屋の前で止む。続いて聞こえたのは、こんこんと控えめなノック音だった。
「入れ」
リヴァイが掠れた声で言うと、ややあってドアが開いた。
リヴァイは顔をしかめ、この家の主、アテナを見る。やはり外に出ていたようだ。それなりに高級感がある紅色のコートを着たアテナは、ファー付フードを目深に被っていた。首には白いマフラーが巻かれている。
いくら寒いからとはいえ、そこまでしなくとも、とリヴァイは思う。
アテナは片手でフードを脱いだ。ふわり、と羊皮紙色の髪があらわになる。
(やはり、不思議な色だ)
リヴァイが昨日と同じ感想を持つと、翡翠の瞳が少し戸惑うように向けられた。
アテナはドアを閉めるが、それ以上こちらに近寄ってくる気配がない。リヴァイは目を冷たく細めた。
「何だ、それは」
リヴァイが言う『それ』とは、アテナが両手に抱えている荷物である。黒い布で覆われたそれは不定形だ。
リヴァイの問いかけに、アテナの戸惑いがより明確なものとなって瞳に反映される。
リヴァイが怪訝な顔で、答えを催促しようとしたときだった。
もぞり、と荷物が動いた。それにより、黒い布がずり落ちる。
「りばいおにぃちゃん……?」
舌足らずにぼんやりと呟かれた自分の名に、リヴァイは目を見開く。荷物ではない。人間だ。
アテナの腕の中にいるのは、小さな女の子である。
くしゅくしゅと癖のある焦茶色の髪と、大きな空色の瞳。
見覚えがあった。少年の、妹だ。
(そうか、熱であの場にいなかったから……)
少年の妹が無事であったことにホッとしたのも束の間で、リヴァイの顔はみるみる険しくなる。
「オイ……アテナ…………」
地獄から響いてきたような声色と睨み殺さんばかりの視線に、アテナは苦笑で誤摩化そうとした。
しかし、そんなことで許すリヴァイではない。アテナの腕に、少年の妹が抱かれているということは、言い訳しようがない事実があった。
「1人で地下街に行ったのかッ!」
リヴァイの怒鳴り声に、2人の少女は反射的にぎゅっと目をつむり、ビクッと肩を跳ね上げた。
その後の説教も覚悟していたアテナだが、意外にも何もない。そぉっと目を開けると、怒鳴って肋に響いたのか、リヴァイは苦痛そうにそこへ手を当てていた。
アテナは慌てて彼に駆け寄る。
「ほら、叫ぶから……」
「てめぇ……反省しろ……」
リヴァイが痛みに低く呻くと、アテナは片手で彼の背を擦る。リヴァイの呼吸が落ち着くと、アテナは機嫌をうかがいながらそっと口を開いた。
「リヴァイさん、この子もここに寝かせてあげたいのですが……」
リヴァイはこくりと頷く。彼女1人で2人の面倒を見るには、一緒の部屋にいる方が都合いいだろう。
「ありがとうございます」
アテナはぺこりと頭を下げて、少年の妹をリヴァイの隣に寝かせようとした。
「オイ、待て。泥だらけのまま寝かせるつもりか?」
「熱が酷いので、先にご飯にして薬を飲ませようかと……」
「そんな汚ねぇ状態で食わせたら余計に悪化するだろ。先に風呂に入れてこい」
アテナはしばらく悩んだが、地下街の汚さを目の当たりにしたばかりだ。ここは大人しく、リヴァイの指示に従うことにした。
「わかりました」
彼女は少年の妹を抱き上げなおし、ドアへ向かった。カチャリとドアを開け、浴場へ向かおうとする。
そこでアテナは、リヴァイに訊きたかったことがあったのを思い出し、あ、と声を漏らして振り返る。
「リヴァイさん、この子の名前はご存知ですか?」
「ああ、確か……」
1度だけだが、確かに聞いたことがあった。リヴァイは記憶を辿る。
『おにぃちゃーん。まってよぉー』
『あはは、早く来いよぉー!』
『まってってばぁー』
『早くしないとお前のパンも俺がもらっちゃうからなぁー』
その後、少年は妹の名を呼んでいた。
「『ペトラ』だ」