Pandora Box

□Little
1ページ/20ページ

 リヴァイはゆるゆると目を開けた。喉は乾いてひりつき、頭は覚醒しきらない。酷い倦怠感だ。

 部屋には誰もいなかった。キングサイズのベッドの真ん中に、自分が沈んでいるだけである。

 ぼんやりと窓を見る。カーテンから漏れる光からして、午後はゆうに回っているだろう。

(アテナめ、起こせばいいものを……)

 どうやら自分は相当な惰眠を貪っていたらしい。

 リヴァイはアテナが繋いでいた手を見た。あたたかく小さな手の感触が、まだ残っているような気がする。
 ゆるく手を握ったが、己の皮膚の感触が伝わってくるだけだった。

『いつか、母に会いたい……』

 暗闇の中で確かに聞いた、切実な夢。それはリヴァイのぼんやりする頭の中で、数回反復される。

 ふいに、遠くでドアの開閉音が聞こえた。アテナだろう。

(どこかへ出かけていたのか……。あまり人に会いたくねぇとか言ってたくせに)

 足音が近づき、リヴァイの部屋の前で止む。続いて聞こえたのは、こんこんと控えめなノック音だった。

「入れ」

 リヴァイが掠れた声で言うと、ややあってドアが開いた。

 リヴァイは顔をしかめ、この家の主、アテナを見る。やはり外に出ていたようだ。それなりに高級感がある紅色のコートを着たアテナは、ファー付フードを目深に被っていた。首には白いマフラーが巻かれている。

 いくら寒いからとはいえ、そこまでしなくとも、とリヴァイは思う。

 アテナは片手でフードを脱いだ。ふわり、と羊皮紙色の髪があらわになる。

(やはり、不思議な色だ)

 リヴァイが昨日と同じ感想を持つと、翡翠の瞳が少し戸惑うように向けられた。
 アテナはドアを閉めるが、それ以上こちらに近寄ってくる気配がない。リヴァイは目を冷たく細めた。

「何だ、それは」

 リヴァイが言う『それ』とは、アテナが両手に抱えている荷物である。黒い布で覆われたそれは不定形だ。

 リヴァイの問いかけに、アテナの戸惑いがより明確なものとなって瞳に反映される。

 リヴァイが怪訝な顔で、答えを催促しようとしたときだった。

 もぞり、と荷物が動いた。それにより、黒い布がずり落ちる。

「りばいおにぃちゃん……?」

 舌足らずにぼんやりと呟かれた自分の名に、リヴァイは目を見開く。荷物ではない。人間だ。
 アテナの腕の中にいるのは、小さな女の子である。

 くしゅくしゅと癖のある焦茶色の髪と、大きな空色の瞳。

 見覚えがあった。少年の、妹だ。

(そうか、熱であの場にいなかったから……)

 少年の妹が無事であったことにホッとしたのも束の間で、リヴァイの顔はみるみる険しくなる。

「オイ……アテナ…………」


 地獄から響いてきたような声色と睨み殺さんばかりの視線に、アテナは苦笑で誤摩化そうとした。
 しかし、そんなことで許すリヴァイではない。アテナの腕に、少年の妹が抱かれているということは、言い訳しようがない事実があった。

「1人で地下街に行ったのかッ!」

 リヴァイの怒鳴り声に、2人の少女は反射的にぎゅっと目をつむり、ビクッと肩を跳ね上げた。
 その後の説教も覚悟していたアテナだが、意外にも何もない。そぉっと目を開けると、怒鳴って肋に響いたのか、リヴァイは苦痛そうにそこへ手を当てていた。
 アテナは慌てて彼に駆け寄る。

「ほら、叫ぶから……」

「てめぇ……反省しろ……」

 リヴァイが痛みに低く呻くと、アテナは片手で彼の背を擦る。リヴァイの呼吸が落ち着くと、アテナは機嫌をうかがいながらそっと口を開いた。

「リヴァイさん、この子もここに寝かせてあげたいのですが……」

 リヴァイはこくりと頷く。彼女1人で2人の面倒を見るには、一緒の部屋にいる方が都合いいだろう。

「ありがとうございます」

 アテナはぺこりと頭を下げて、少年の妹をリヴァイの隣に寝かせようとした。

「オイ、待て。泥だらけのまま寝かせるつもりか?」

「熱が酷いので、先にご飯にして薬を飲ませようかと……」

「そんな汚ねぇ状態で食わせたら余計に悪化するだろ。先に風呂に入れてこい」

 アテナはしばらく悩んだが、地下街の汚さを目の当たりにしたばかりだ。ここは大人しく、リヴァイの指示に従うことにした。

「わかりました」

 彼女は少年の妹を抱き上げなおし、ドアへ向かった。カチャリとドアを開け、浴場へ向かおうとする。
 そこでアテナは、リヴァイに訊きたかったことがあったのを思い出し、あ、と声を漏らして振り返る。

「リヴァイさん、この子の名前はご存知ですか?」

「ああ、確か……」

 1度だけだが、確かに聞いたことがあった。リヴァイは記憶を辿る。



『おにぃちゃーん。まってよぉー』

『あはは、早く来いよぉー!』

『まってってばぁー』

『早くしないとお前のパンも俺がもらっちゃうからなぁー』



 その後、少年は妹の名を呼んでいた。

「『ペトラ』だ」
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ