Pandora Box
□Prologue
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約100年前。それは神の悪戯か。人類は突如現れた巨人の侵略を受けた。その侵略方法は極めて単純かつ、絶望的である。
捕食だ。
弱肉強食の世界で頂点に立っていた人類が、いとも簡単に引きずり下ろされたのだ。
なにも人類とて、無抵抗に引きずり下ろされのではない。抵抗した。戦った。
皮肉なことだが、戦争で使用していた武器を寄せ集め、巨人に挑んだ。
しかし、頭を砕いても、心臓を打ち抜いても、巨人はあっという間に再生し捕食を続けた。
誰しもが巨人を不死身として疑わなかった。
のちにそうではないと立証されるが、当時はそう信じられていたのだ。
死なぬ――とされている――巨人たちに人類はついに恐慌状態に陥り、滅亡の危機に晒された。
なんとか生き残った人類は、巨人に捕食されぬ場所へ逃げることに成功し、100年の安寧を得ることとなる。
その場所とは、3層構造で築かれた巨大な城壁内である。
外の壁から【ウォール・マリア】、【ウォール・ローゼ】、【ウォール・シーナ】と呼ばれ、人類存続のために編成された兵団の1つ、駐屯兵団により補修と強化が行われていた。
1番内側の壁である【ウォール・シーナ】は、その安全性と資源の豊富さから王都として栄えた。巨人を恐れて地下に作った避難所は、安寧と繁栄により娯楽溢れる地下街――ありていに言えば娯楽街――となった。
しかし、光が強くなればなるほど影は濃くなるものだ。
王都がさらなる繁栄を見せると、地下街は娯楽街としては衰退し、やがて無法地帯へと化した。現在では自分の出生や名について知らぬ者も、少なくはない。むしろ少し多いくらいだろう。
暴力沙汰に始まり、窃盗に強姦、殺人、人身売買は日常茶飯事。貴族や政府関係者から、薄暗い仕事を引き受けている者もいた。
そうでもしなければ、野良犬のように死んでいくだけだった。
見たこともない巨人に恐怖する者など皆無に近い。100年近く巨人とは無縁なのだ。
地下街の人間にとって、そんなお伽話のような巨人よりも、人間の方がよっぽど恐ろしい。
「人間の方がよっぽど性質悪い……」
地上と地下街を繋ぐ階段のすぐ隣にあるゴミ山の上で、男としては随分小柄な青年――恐らく青年だ――が、空に向かって悪態を吐いた。
冬の冷えた空気に、青年の吐息が白く濁り拡散する。
青年の名はリヴァイ。
リヴァイの口端は切れて血の痕が残り、青い痣が痛々しかった。服は破れ、身体は血や砂埃まみれ。ゴミ山の上に倒れる彼は、さながらボロ雑巾のようだ。
しかし、特徴的な切れ長の三白眼は冬空のように冷たく、凛とした気高さがある。とはいえ、彼はこの地下街でも名の知れたゴロツキだ。
粗方の犯罪には手を出した。生き延びるには、それしかなかった。
リヴァイは小柄だったが腕っぷしがあり、頭も切れた。地下街で生きる力は十二分である。
その粗暴さから恐れられる半面、実は面倒見が良く、年寄りや子どもたちには人気があった。
リヴァイは決して、正義を振りかざしたいわけではない。見返りを求めているのでもない。ただどうしても、彼らを放っておくことが出来なかったのだ。
地下街ではとうてい生きられぬ者のためになら、彼は何だってやった。
しかし、それを良く思わない――縄張り意識の強い、もしくは、リヴァイに恨みのある――人間が、ここ最近やたらとリヴァイにつっかかってくる。
出る杭は打たれる。リヴァイも例外ではない。彼を疎ましく思ったゴロツキたちが、こぞって彼を襲撃した。子どもの喧嘩でないだけに、リヴァイが言うように『性質が悪い』。
いつもなら、10人以上ゴロツキが群がっても彼の敵ではない。それが例え、相手が武器を持ち、リヴァイが丸腰だったとしてもだ。
しかし、今日は違う。ボロ雑巾状態、しかもゴミ山の上だ。
(止めを刺されなかっただけマシか……)
リヴァイは溜息を吐く。目の前に浮かぶ白いそれが、冬空に溶け込んだ。