10萬打リク作品

□最悪×3
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(最悪や…)


満員電車の中、財前光はうんざりとした内心に比例した不機嫌顏で舌打ちした。

騒がしさにいまいちノレないとはいえ関西人には違いない彼にとって、関東というのは妙に気忙しくて居心地の悪い土地である。
秒刻みで生きているのかと思うようなせからしさや、堅苦しく冷たくさえ感じる標準語。
それが偏見に過ぎないと分かっていても、慣れた水を美味しく感じるのは自然なことだ。
自分には合わない土地だと分かっているので、財前は試合の時くらいしか関東には出てこない。

そんな彼であるが、現在地は神奈川と東京を走る電車の中である。
どれほど生意気な言動を部活で繰り広げようと、しょせん、高校生にとって親とお小遣いのコンボは回避不能、大人しく従ったほうが利口な絶対命令なのだ。

最近ぎっくり腰をやらかした親戚におはぎを届けるという、それは安くない交通費を払う用事かと聞きたくなるようなお使いの帰り。
人混みに押し潰されかけた財前は、どうにかこうにか入り口近くの角に逃げ込んだ。
手摺と座席のおかげで空間があいていて、ようやっとまともに呼吸ができる。

(ったく、かなわんわ…なんでこない、東京は人が多いん…)

人の多さは関西、特に本拠地の大阪も負けてはいないがいわゆるフィーリングの問題だった。
目的地まではそれなりにある、暇潰しにイヤホンを取り出そうとしたときに、偶然その手が目に入った。

ごつく、むさくるしい手である。
かといって節くれだっているでもなく、水に触れたら膜でもできそうな手だ。

それがなんとも不審な動きを、どうみても他人の尻の上でしていた。

ありていにいえば、揉んでいた。

「…………」

えー、というのが正直な感想である。
コミュ障に見せかけて案外に顔の広いものだから、いわゆる“腐った”お嬢さんの世界も知っている。
故に、もしや、という疑いを裏切って痴漢の被害にあっているのが同性らしいと分かってもまさか、とはならなかった。
世界は広く、奥深いのである。
しかしフィクション、もっといえばファンタジーのはずの世界がリアルにやってきてしまうとまじか、と思ってしまうのは仕方ないことだった。

(助けな)

そう思ったのは反射に近い。

自分が尻を揉まれていたらどうか。
不快である。
部活仲間が揉まれていたら?
殺したろかと思う。
ならば他人なら?
…ここで身内と他人を分けて考えられるほど器用な人間は、多分今の高校テニス界にはいないと思う、不本意なことに。

しかし如何せん、立ち位置が問題である。
現場はしっかり見えるけれど、そこまでの間に絶妙に立ち塞がる壁が三枚ほど。
確実に痴漢の常習犯とわかる、逃げるにしてもエスカレートするにしても特定されにくいところに、手の主は隠れていた。
恐らく、財前の位置からでなければ被害者の尻は見えないのだ。

被害者は顔を強張らせて、大きく目を見開いていた。
断定はできないが、恐らく同年代か、少し年上。
なるほど、そういう趣味の人間に狙われそうな美形である。

普通に考えて男が痴漢にあうなんて想像するはずもない。
ありえない事態に硬直するほかなくなってしまっているようだ。

(いっそ叫んだろか、あの脂親父)

気の長い方ではない財前が、逃げられるより行為を止めさせるほうがいいだろうと口を開きかけたとき、不意に脂ぎった(ようにみえる)手ががしり、と第三者の手に掴まれた。

視線をスライドさせれば、被害者を庇うように引き寄せる男の姿。
これまた人の影に隠れてしまって全身ははっきりと見えないが、痴漢の手を掴んでいるところからぎりぎり、あるいはみしみしという音がしそうなくらい力が込められているのは分かる。
これは正義感ある第三者ではなく、被害者の連れだろう。

これまた美形である。
ただし、威圧感のある美形とでも言おうか、雰囲気が物騒極まりない。
人でも殺してきたんかと思いたくなる底冷えする視線を痴漢に投げる超絶美形は、そのまま被害者と一緒に次の駅で降りて行く。

捕らえたにも拘らず痴漢を威嚇するだけで解放するとは。
不可解な行動をとる美形を疑問に思いながら財前はなんとなく彼らを窓越しに見送る。

と、その時被害者の肩を支えている超絶美形とうっかり目があった。

彼はなにやら長方形のものをぴらりとこちらに見せるとそのまま顔を背けて去って行き、電車もそのまま動き出したため見る間に彼らの姿は見えなくなる…

…あたりで察した。

「あれ、パスケースか」

声に出したのは無意識だったが、しばらくして痴漢の潜んでいたあたりからひぃっ、という情けない悲鳴があがったことで口にして正解だったと悟る。

いつのまにスッたのか…痴漢を捕まえておきながら引き摺り下ろさなかったのは確実に社会的に潰すためだったらしい。

あわあわと次の駅で転がるように降りていく小太りの男を冷めた目で見送って、ようやく財前はイヤホンを取り出し気に入りの曲を流すことができた。

周りの雑音が消える。
耳に直接飛び込む聞き慣れた曲。
落ち着ける空気に思わずはいたため息と、転がり落ちる本音。

「東京、怖いわー…」




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