短編

□黄昏の約束
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お前など大嫌いだから、呪いをかけよう

もう一度、お前が私に会った時

その時は


§ § §


「……会えないなぁ」

彼はため息と共にそう言った。
先日、うつくしい花嫁を迎えた男にしては随分とスキャンダラスな言葉である。
彼の友人は塵を見る目で男を睥睨した。

「あんな綺麗で聡明な妻を得て、まだなお女を欲するのか貴様」

やはりゴミか。
容赦のない言葉に男は怒るでもなく、ふにゃんと情けなく眉を寄せてみせる。
顔を顰めたのは友人の方だった。
この男がこんな顔をするのは、大抵大きな隠し事をしているときだと、長い付き合いで知っている。

「……お前、なにをまた隠している」
「隠してなんかないさ」
「じゃあ、」
「会いたくないから、探さないけど。
探さないと、いつ会ってしまうのか分からないんだよね」

それが明日なのか、もっと先のことなのか。
わからないというのは、怖いものだ。

「いつ会えるか分からないなら、待っているしかないだろう」
「待っていたら必ず会うのに?会いたくないくても?」

友人は、顰め面で頷く。

「避けられないなら、待ち構えているしかあるまい。
その後どうなるかは、その時にならなければわからん。
そういうものだろう」
「……それが死神でも?」

黒い髪に、白い肌。
嘘つきの証の紫の瞳が、魔物の赤と交互に揺れる女。
彼女は少年の日の男の前に突然現れ、そして言葉を遺したのだ。


『お前など大嫌いだから、呪いをかけよう。
もう一度、お前が私に会ったとき。
その時は』

『お前は死ぬことになる』


「……これでも、待ち構えてろっていう?」
「余計にな」
「えー」
「死からは誰も逃げられない。
見苦しく情けを乞うものでもあるまい。
それならお前は、いつその女が現れようともいいほど、一瞬一瞬を生きることだ。」

遅かったな、と笑いかけるくらいで丁度いい意趣返しではないのか。

大真面目に言うものだから、男は笑いを押し殺さずに腹を抱えた。
普通、死に怯える相手にこの言いようはあんまりだ。武人の友人らしい、明快な答えに笑いが止まらない。

「しかし、そうか。
どんな絶望的なところでも、彼女が現れないのなら生き残れるということでもあるのか」
「いつ来るともしらんものが、予告して現れるのだから親切だな」
「……大真面目に言ってるのがなぁ。ズレてるんだけどなぁ」


§ § §


それからも時々、男は災難に見舞われた。
災難で済ませていいのか迷うほどの大惨事のときもあった。
しかし決まって、彼の周辺はどうにか窮地を切り抜け生還するものだから、いつしか男には神の加護があるのだという噂が出回ったりもした。

「神は神でも死神なのになぁ」

ボヤいても、相変わらず男の目の前にあの女神は現れず、そうして男は歳をとった。
迎えた妻も、女神のことを話した友人も世を去って、子供が孫を連れてくるほどの時間が経った。

「会えないなぁ」

立ち上がるのも歩くのも少し気合が必要なくらいガタのきた身体は、あの時女神の予言に想像したような形で死に誘われはしないのかもしれない。
あんまりにも優しいもので溢れた自分の人生を振り返って、男はようやくそう思った。


男は、死にたがりだった。
死にたがりのくせに、死ぬのが一等怖かった。何の役にも立たない犬死というやつが心底恐ろしかったのだ。

けれど死神があんなことを言うものだから、自分から命を捨てるようなことができなかった。
だって、あの女神は現れていないのだから。それなのに無茶をしたところで、死ねないどころか巻き込まれた周りが死にかねない。男は自分勝手ではあったけれど、仲間を愛する善良な人間だった。

女神のいない窮地を乗り越え切り抜け、気がつけばこの歳まで生きてしまった。
置いていかれることが増えてきて、若い頃の自分がどれだけ独りよがりだったのかを思い知る。

「ねぇ死神。
僕は、俺は、寂しいよ」

知っている人も遠くに去った今は、まるで夕闇の中にいるようだった。
薄闇に家の明かりが灯り出せば、仲の良かった友達も帰ってしまって途方に暮れた子供の頃のよう。

泣き出すほど素直になれず、平気でいるほど大人じゃなかったあの頃、死神は現れたのではなかったか。

「ねぇ、逢いたいよ、死神」

初めてそう言って、男はそっと乾いてひび割れの目立つ唇にその名をのせた。
幾つか歯の欠けた口からは息が漏れてしまったけれど、うつくしいその名前は驚くほど明瞭に響く。

その途端、夕闇が迫って、街の明かりが灯り出す刹那を切り取るように、ふわりと夜の香りが男の身体を包んでしまった。

『……悪運の強い奴だよ、お前は』

じわりと身体が暖まる。
老いさばらえた骨しかないような身体を、後ろから抱きしめられているようだった。
柔らかな感覚にはねるような可愛いらしい心はとうにないから、ただただ男はその暖かさだけを甘受する。

「もうだめだと思っても、君はちっとも現れないんだもの。
僕ひとりだけ生き残るなんてまっぴらだったからね」
『それが狙いさ、この死にたがり』

悪戯が成功したのを喜ぶ子どもの声で、死神は嬉しそうに笑う。

『お前ってやつは単純だから。
私を待たなくたって死ねるのに、律儀に私を待っただろう』
「おかげでこんなお爺ちゃんだよ」
『子どもと孫は可愛かっただろう?』
「あぁ……、すごくね」

もみじのような手が指を握ったとき、ふわふわと漂う心が万力で締め付けられたのだ。
目が離せない、何をしでかすか分からない、けれど全力で愛してくれる愛しい子ども。
この世にひとりだけ、自分の血をもつ家族。

『お前が若さゆえの痛いノリで命を投げ出していたら、この世にあの子どもは生まれなかった。
そんな当たり前のこと、今度は魂に書き込み忘れずにいろよ』

生存本能が欠けた人間なんて、こっちからしたら不愉快以外何者でもない!

怒りを含んだ声で呟いた背中の温もりが離れて、そこでようやく男は死神の姿をみた。

真っ黒な闇に溶ける長い髪と、浮き上がるように白い肌。
闇色のローブにほとんど身を隠しながらも、うつくしい顔は曝け出されていた。
嘘つきの証の紫の瞳と、妖の象徴である紅の瞳。
爛々とそれらを輝かせながら、けれど死神はやはりうつくしかった。

『さぁ、予言を成就させよう。
お前は死ぬ』

問答を赦さぬ絶対遵守の声に、男は笑った。
あぁ、友よ。
君の言った通りにしてやろう。



「遅いよ、ルルーシュ」



きょとんと驚いた顔をした死神の姿は、なるほど十分な意趣返しになったと。

きっと次に会ったときには伝えよう。




 

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