短編

□2013ハロウィン小説
2ページ/3ページ

§  §  §


終わらせるのがこの男でよかったと、吸血鬼は微笑んだ。


彼女は仲のいい両親と、少しばかり素行が悪かった昔に父がこしらえた多くの兄妹に囲まれ、明るく楽しい友人と日々を過ごしていた。
ある日町にやってきた翡翠の目をした少年と友情を育み、淡い恋心を募らせたりして、そのままずっと、あの陽だまりの中で生きていくのだと信じていた。


《やめて、スザク・・・!!》

《大丈夫だよ、君を僕の圏族にして、ずっとずっと一緒にいられるようにするだけだよ》

《や、いや・・・っお母様!お父様、助けてぇっ!!!》


・・・全てが壊れるのは一瞬だった。

ある夜真っ赤に輝く瞳をぎらつかせて襲ってきた親友は、抵抗する自分の言葉に耳を貸さずに鋭い乱杭歯を突きたて血を啜った。
想像を絶する程の激痛と、咬まれたところから自分が変質していく恐怖とに動揺し無我夢中で手に当たったものの引き金を引いて、それが護身用にと父に渡された銀の銃弾を一発だけ込めた拳銃であったことを思い出した時には遅くて。


《ど、して・・・る・・・しゅ》


信じられないという顔をしながら灰になって消えた、親友。


悲しいのは、どれほど時が経ってもあの時呆然として消えていった親友へ罪悪感よりもどうしてと詰る声しか向けられないことだった。
自分のあげた悲鳴と響いた銃声に駆けつけた両親と兄妹に、中途半端な変質によって理性を無くした自分が襲いかかり殺す様を、今でも鮮明に思い出せるからこそ、どうして私を殺してくれなかったと、理不尽な怒りしか抱けない。

混乱と恐怖に包まれた生まれ故郷を逃げる様に飛び出して、出くわす人間を手当たり次第に襲って、けれど成り代わりの力を求める純血の吸血鬼達に狙われるようになってからは本能的に彼らから逃げ隠れ。
どこともしれない森の奥深くまで逃げ切ってからようやく、我に返った。


人間でも魔物でもない、成り損ないの半端者。


自分がそんな存在に成り果ててしまったことに絶望しても、どうしても意のままに伸びる爪で喉を掻き切ることはできず、飢えを抑え込んで餓死することもできず。
途方に暮れた中でようやく思いついたのが、反射的に魅了してしまう自分の暗示すら打ち破れるほど意思の強い相手に殺してもらうこと。
土壇場でもしも浅ましい魔物の本能に負けて襲いかかっても躊躇いなく殺してくれる相手に向ける想いは、あるいはまだ人間だった頃に抱いていた淡いものとは段違いに深い恋情だったのかもしれない。

成りかけの桁違いに強い魅了の力に抵抗できる人間は少ないから、その可能性がありそうな相手を求めて更に長い間彷徨った。
その間に飢えは募ったけれど、喉を掻き毟りたくなるほどの飢餓感よりなにより、死への渇望が強かったから耐えて、耐えて。
そうしてようやく、何体もの魔物を倒した歴戦の兵がいるというこの地に辿りついた。


折しも自らがこの異形の姿に成り果てた時と同じく、馬鹿みたいに綺麗な満月の夜。
恋しい人を呼ぶように発した魅了の力に引き寄せられて現れた相手は、彼女が望んだとおりに暗示を破って正気に返り、彼女に刃を向けてくれた。

厳しい表情を浮かべ、油断なくこちらを見据えた紅瑪瑙の瞳に自然と彼女は笑顔を浮かべる。
それまで彼女にとって紅い瞳というものは、自分を襲った親友の飢餓とはまた違った欲望に濡れていた瞳か、あるいは獲物を嬲る様に見下してくる純血たちの瞳ぐらいしか思い浮かばなかったのに、この男の瞳はそのどれとも違う純粋に命そのものの色。
話すつもりのなかった成りかけであることや、自身の生い立ちを話してしまったのは、そんな美しく暖かい瞳を持つ彼と、あと少し、あとちょっとだけ、共にいたいと思ってしまったから。


理性を取り戻して、まともに話すことの出来た最期の人間が、この男でよかった。


そう彼女は微笑む。
自分を殺してくれるのなら誰でもよかったのだけれど、今となっては、この男でよかったと本心からそう思う。

彼からしてみれば成りかけだろうとなんだろうと魔物には違いないだろうに、手を握ってくれた、頭を撫でて髪を梳いてくれた。
そんな何気ない優しさをくれる男に終わらせてもらえるなんて、なんて幸せなんだろう。

男に目を閉じるように促されて、彼女は静かにそれに従う。


耳に届いた金属音に、あぁ、やっと終われると。
自然に浮かべた笑みは深くなるのに、でも、どうして・・・?


哀しい


どうして、この男に出会うのがこんな身体になってからだったんだろう。
もしも私が人間で、出会ったのがこんな鬱蒼とした森の中でない街中であれば、どんなにか素敵だったろう。
精悍なこの男にきっと自分は一目惚れして、恋に一途な友人に後押しされながらアタックして、上手くいったらお茶をしたり、デートしたり、最高のタイミングを狙って告白したり・・・・きっと、そんな素敵な出来事があっただろうに。


男には見えないだろうと言い訳して、吸血鬼は静かに涙を流した。

死への恐怖ではなく、生への執着ではなく。
ただ、目の前の男に当たり前に恋をする人間ではいられなかった運命への悲しみに。


さくりと草を踏みこむ音がする。


(あぁ、これで、終わりね・・・・)


次の瞬間に胸を貫くのだろう刃の衝撃を密かに覚悟した彼女の腰が、力強い腕に引き寄せられた。暖かく柔らかな感触が唇に触れ、僅かな接触の後深く重ねられる。
からん、と刀が打ち捨てられる音をどこか遠くに聞きながら、彼女は動揺に眼を見開いた。


「・・・ッん、ん――!!」


身動きできないように彼女を抱きすくめた男の口づけに堪らず口を開いた途端に吐息ごと奪うかのように舌が差し入れられ好き勝手に蹂躙される。
同時に、とろりと彼女の口の中に注ぎこまれた液体が彼女から抵抗する術を奪い、いつしか彼女は男を押し返すために胸元についていた手を男の首にまわして自ら縋りつく。


喉を焼いて流れ落ちていくのは、どんな芳醇な葡萄酒よりもこの身を酔わす命そのもの。


ずっとそれを欲する身体を抑えつけてきて我慢の限界に達していたところに与えられた甘露である、強靭な理性で飢えを凌いできた彼女であっても抗えるはずもない。
男の口に含まれていた血はさほどの量ではなかった為にそれはすぐさま彼女に嚥下されたが、求めるものがなくなったと知っていて、むしろなくなったからこそ彼女は男の首へと腕を回してより深い口づけを強請った。
それは僅かに残っていた理性がここで一度唇を離してしまえば男の首筋に牙を突きたてかねないと判断したからと言えるかもしれないが、例えば事情を知らぬ第三者が今の二人を見かけたなら別の答えを告げるだろう。


―月明かりの下でかわす熱い口づけに夢中になっていたのだろう、と



二人が腰を落ち着けて話を再開したのはそれから暫く経った後である。

血の興奮が収まると吸血鬼は男から身を離そうとしたのだが、逃げ出すと思ったのかなんなのか、男は彼女を離すどころか一度は止めた口づけを再開しだしたため、ようやく男が彼女を解放した頃にはすっかり腰は抜けてしまって一人では立てない状態になっていた。
かくりと崩折れた彼女をどこか上機嫌で抱き上げ近くの木の幹にもたれかかる形で座り込んだ男は、未だに荒い呼吸をなんとか整えようとしている彼女の髪を弄って遊んでいる。


「・・お、まえ・・・!私を殺す気か・・・!」

「殺せと言ったのは君だろう」

「ちがう!なんか違う!!そうじゃない!!」


刺殺と窒息死は大分違うと尤もなことを喚く彼女の目尻にそっと指を這わせて男は笑う。
そこに僅かに滲んでいた涙を掬いとられて、はっと彼女は黙り込んだ。


「死ぬための運命の男なんて願い下げだ、私がなりたいのは別の運命の相手だからな」

「別の・・・?」

「そう、例えば、運命の恋の相手とか」


悪戯っぽく言いながら、見下ろしてくる紅瑪瑙は真剣だった。
真剣だからこそ、冗談だろうと笑ってかわすことができない。





次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ