合縁奇縁
□その8
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今までいろいろと修羅場を潜り抜けてきたけれど、刃物で切られた経験はなかったな、と柊一は思った。
案外人間、本当に命の危機に瀕した際にはどうでもいいことを考えるものなのだ。
勿論柊一は埒もないことを考えて呆ける間抜けではなかったので、そんな呑気な回想をしつつもいきなり現れた男に反撃していたのだが。
「っの野郎っ!!」
血相を変えて駆け寄ってこようとしたレギュラーたちを制して、肩の痛みに歯を食いしばりながら回し蹴りの要領で男の鉈を握る手の内側を弾く。
同時に組紐を強く引けば、思わぬ方向からの力にバランスを崩した男が僅かに鉈を持ち上げたので、すかさず距離をとる。
その際思いっきり肩口から血が溢れ、背後のレギュラーたちの悲鳴があがるが無視。
ものすごく痛いが、とりあえずこの男を退けねばならないので気にしていられない。
「去れ!お前にこいつらは殺らせない!!」
痛みで飛びそうな意識を繋ぎとめるように声を張り上げながら、負傷したのとは逆側の手で鈴を鳴らす。
幾重にも重なり合って響く鎮魂のそれは、持ち主の意図を反映して魂を慰撫するというよりは殴って怯ませるといった方がよい攻撃的な音色を奏でた。
本来荒ぶる御霊を鎮めるための呪具であるものの、頼もしい相棒の力は都市伝説だかゾンビだかにも有効なようで、本気で消すぞといわんばかりに刺々しい音色に慄いて、男はけたたましく喚きながらもずりずりと何処かへと退いた。
それを最後まで確認してから、ずるりと柊一はくずおれる。
切るというより叩き潰されたような肩口がずこんずこんと痛み、ついでに血がだらだらと流れているせいで気が遠のいた。
駆け寄ってきた幸村たちを安心させて、一刻も早く安全な場所へと連れて行かなくてはいけないのに、焼かれたように熱い傷口とは裏腹にぞくぞくとした寒気で体が震える。
これはいよいよまずいかもしれない。
妙に冷静な頭の片隅はそう判断したが、幸いというか、流石というか、こんな異常事態にあっても取り乱さずにいつもの自分を保つことのできる肝の据わったレギュラーたちは一味違った。
これまで出くわしたこともないだろうレベルでの流血の惨事であったのに(最近のテニス界では流血沙汰にならない試合がむしろ珍しかったりすることを柊一が知るのはもう少し先なのだが)、医者の息子であるという柳生は蒼白になりつつもてきぱきと止血をしてくれたので、柊一は失血死を免れることができたのである。
包帯なんてものがあるわけがないので、止血に使われたのはレギュラーたちが躊躇いなくさしだしてくれたハンカチをつなぎあわせて作られた包帯もどきで、それにきつく傷口より上を縛ってもらってやっと、柊一はその間自分を支えてくれていた切原に礼を言った。
本人は激痛のあまり涙も出なかったのだが、その代わりのようにぼろぼろと涙を流していた切原の目は真っ赤に充血してしまっていて、なんだか申し訳なくなる。
「飛鳥井・・・大丈夫、なわけないよね」
「いや、柳生がしっかり止血してくれたから、そんなに痛くないよ」
「でも!せんぱい・・・っ血が・・・・!」
「大丈夫だって。でも、アイツはなんかやばそうだ」
その言葉に真田が頷く。
「先ほどまで遭遇していたのとは、雰囲気が違ったな」
「そうだな。これまで怪談系の化け物は俺たちを追ってきたがそれは害するというよりも驚かす方に重点が置かれていたように思う。こちらを害そうとしていたのはゾンビ系だったが、あの男はゾンビたちよりも人間に近かったし、理性があったようにも見えた」
「そうだね・・・でも、詳しく考察するのは図書室に行ってからにしよう。飛鳥井を安全な処へ連れて行かなくちゃ。ジャッカル、飛鳥井背負ったげて」
巻き込まれたにしてはえらくしっかり観察していた柳に流石だと感心していた柊一は、思わぬ幸村の言葉に慌てて首を振った。
「それじゃあ山下が自分で走らなきゃいけなくなるじゃないか!」
名前を出された山下がびくりと肩を跳ね上げる。
化け物に襲いかかられ、流血沙汰を目の当たりにしてしまった彼女は血の気がひいていて、親しくもないし好ましいとも思っていないとはいえ、そんな状態の女の子を差し置いて楽をさせてもらう訳にはいかない。
(もしもバレたら放火魔たちになんていわれるか!)
“ほー、まんまと負傷した挙句に一般人差し置いて、一人悠々自適に運んでもらっていた訳か”
“お前ひょっとして例の安内の高校生たちよりもかよわいんじゃないか”
むかつくほどの美声を無駄遣いしながらここぞとばかりにいびってくる克也を脳内に想い浮かべてしまったのを、ぶんぶんと頭を振ることで追い払いつつ改めて柊一はレギュラー達に笑いかけた。
「本当に無理そうだったら頼むけど、今はいいよ。それより、柳、図書室の場所割り出せそうか?」
後半思いっきり悔しそうな声が出る。
なんでもかんでも一人でできると思うほど自惚れてなどいないが、曲がりなりにもプロであるのに役に立てない無力感がそうさせたのだ。