PSYCHO-PASS部屋

□美しい獣
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酷い雪の日だった。

寒いし視界は遮られるし、おまけに廃棄区画に逃げ込んだ潜在犯は廃ビルなんて足場の悪いところに入り込む始末。
非番の先輩を呼びだすまでもなく自分で片付けられる。
そう思ったのは過信でもなんでもなかったけれど、多分少しだけ今日はツイてなかったのだ。


六合塚さんと宜野座執行官に対象を追い立てさせて、彼女に挟み撃ちを命じたのは宜野座執行官を野放しにするよりは信用できたから。
逃亡することなく錯乱して喚き立てる対象をこちら側に追い立ててきた彼女が、私ではなく宜野座執行官の名前を叫ぶ。


緊張と殺気。


対象が破れかぶれに叩きつけたものが爆弾であることに気がついたときには既にそれは威力を発揮していた。
ぐらりと歪む平衡感覚、胃が浮かび上がるような浮遊感。対象が全身を沸騰させて弾け飛ぶ様子と険しい顔の宜野座執行官が視界に写って……ブラックアウト。


* * *


ギィ…ギィ

(嫌な音……)

錆びた扉を無理やり開けるときみたいな軋む音が耳障りで、目覚めて感じたのは強烈な不快感。
それも当たり前だ、視界いっぱいに廃棄区画のゴミ溜めのような光景が広がって、自分の足先が宙ぶらりんになってる様子なんて最悪の一言に尽きる。

次に、どこかに掴まってる訳でも引っかかってる訳でもないのにどうして自分は宙ぶらりんなのかと考えて、しっかり身体を拘束するスーツの腕が目に入った。
年の割に老けた印象にさせるこれは、記憶の最後で一番近くにいた男のもの。


「霜月監視官、気付いたか」


僅かな身動ぎでもこの距離ならはっきり分かる。
私が意識を取り戻したと察して彼はいつも通りの声でそう尋ねてきた。
いつも通り、冷静で小憎たらしい、潜在犯らしく振舞わない元監視官の口調。


「何がどうなったのよ、これ」


身体を固定するからには密着せざるを得ない訳で、非常に不本意な距離にある男を見上げる。
あぁ、もう。
潜在犯のくせして、どうしてこの男は無駄に美しく見えてしまうのか。


「対象が爆弾を所持していて、執行前にこれを投擲。
もともと崩れかけていたビルがその衝撃に保たずに一部崩落し、対象より前方にいた我々も落下。
途中でせりだしていた鉄骨を掴んで現状に至っている」


ただ、と僅かに顔を顰めて彼は続けた。


「六合塚が無事ならすぐ応援を呼んでくれるだろうが、俺は両手が塞がって自力でデバイスを起動できない状態なので、監視官が目覚めたのなら至急唐之杜に連絡してもらいたい。
この柱、そう長くは保たない」


そりゃあ片手で掴まって片手で自分を抱えていればどうにもできなかっただろう。
そのことで文句を言うつもりはないが、言葉につられて更に上を見上げた途端に口元が引きつるのは仕方ないと思いたい。

柱なんて言うから頑丈なものを想像していたというのに、良くて鉄棒みたいに細いものがギィギィ音を立てて壁から突き出ていたのだ。
明らかに折れるのは時間の問題にみえた。


「あんた、掴まるならもっとましなところにしなさいよ!」

「…すまん」


絶叫しながら罵って、反論もせず詫びた男に違和感を覚えて口を閉じる。なんだろう、なにかがいつもと違う。

じっと見つめていれば、彼の米神を伝う赤いもの。
そしてはっとして見下ろせば、私の隣にある男の足は黒い染みができていて、それは決して雪にスーツが濡れたからではあるまい。


「あんた、怪我…してるの?」

「爆発で飛んできた破片でも当たったらしい。
監視官は平気か?」


痛いところは今の所感じない。
というか、指摘した途端に気まずそうに眉を寄せたこの男、言わなければ隠し通すつもりだったのか。
そりゃあ執行官の負傷だなんて、どうでもいいことだけど。


(今あんたが力尽きたら、私ごとお陀仏じゃない!)


だから、思わず大丈夫なのかと問い返したのは自分のためだ。
まさか、潜在犯のことなんか自分が気にかけたりするものか。

だというのに、見上げる男は意外そうに目を見開いた後にふんわりと顔を緩めてみせた。
それは先輩や彼に懐いているらしい須郷などにはよく見せているようだけど、自分には決して向くはずもないと思っていた表情だった。


「問題ないさ、霜月監視官。
あなたが安全な状態になるまでは絶対に落ちない。
この柱が保たずに落ちても、あなたは死なせない」

「……っ、あ、そっ!当然じゃない」

「あぁ、それが執行官の存在意義だからな」


キツイ言葉を投げても笑顔は消えなくて、いよいよ色相が濁りそうな気さえしたので慌てて唐之杜分析官をコールする。
気怠げな様子が似合う彼女は既に連絡を受けていたのか、てきぱきとあと数分でドローンが到着すると言い、宙釣り状態からの離脱手順を説明した。


「ロープを降ろすから、美佳ちゃんがまず輪っかになったところに身体を通してちょうだい。すぐにドローンが巻き上げるから。
宜野座くんはその後同じ要領で。
上には弥生と須郷くんが待機しているわ」


六合塚は無事だったんだな、頭の上でほっとしたような声がする。
きっとさっきと同じ笑顔のまま、少しだけ安心が混じった顔をしているに違いない。
それを見たら、色相ではない何かが揺らぎそうな気がしたから決して顔を上げなかった。
上げたのは、呑気に感じる声で宜野座執行官がロープがきたぞと言ってから。

宙釣りのままでどうにかこうにか身体をロープに移し替えて、そこでようやくずっと身体を支えていた手が離れた。
ひどく寒く感じてしまうのは、回されていたのが生身の方の腕だったからだと言い聞かせる。


「六合塚!上げろ!」

「了解!」


勝手に指示を出しながら、ゆっくり巻き上げられていく私をあの柔らかい表情が再び見上げてきて、私は何か口走りかけるのを堪えてそれを見下ろす。
翠の瞳はまるでドミネーターの輝きのようだと、どうでもいいことを思った。


* * *


救助された私を気遣ってくれる六合塚さんに彼が怪我をしていると告げて、そのまま彼女たちが彼を助けるのを最後まで見ずにその場を離れる。
かつて東金に感じたのとは別種の直感が訴えかけた。

”あの男は美しい獣と考えろ”と。

執行官に堕ちながら、あの男はシビュラを裏切ることもないし、自分たちを裏切ることもない。
けれど深入りしてしまえば、何故と問わずにいられなくなるから。

何故、あの人は執行官なのかとシビュラに疑念を抱いてしまうから、だから、決して美しい人間だとは思ってはならないと。

鳴り響く警報が手遅れかもしれないことを怖れているとは考えたくなくて、大げさに身震いする。


「今日は、寒いわね…」



全てはそう、雪が降るほどの寒さのせいなのだ…そうでなくては、いけないのだ。





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