×魔法

□第1章 3話
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朝である。
清々しいかは別として、目覚めは悪くなかった。
ただいつも自分を起こしてくれる愛鳥の存在がないのが少なからぬ違和感を抱かせたが、湖の底に潜る訳にもいくまい、仕方ないことだ。


「時間割が朝に配られる…って、それから教科書を取りに戻って移動となると随分忙しなくなるな」


ほぼ一人暮らし状態の生活で、独り言の癖がついてしまったルルーシュだが意味なく消えるはずのその言葉には、たまたま返事が返される。
置いた覚えのないサイドボードの羊皮紙は、お馴染みのメモ書き以下の短文が走り書きされている。寝巻のままでそれを手に取りながら、堪え切れない笑みが口元を緩ませた。


「“今日は基礎科目のガイダンスのため教科書は不要”か。これ、贔屓にならないのか?」


養父がむしろ公然と自寮を贔屓するという事実を知らぬルルーシュはそう呟きつつ、羊皮紙がどこかに紛れてしまわぬよう引き出しにしまって、ようやくベッドから抜け出した。

恐らく自分以外には同級生達は起きていないのではないか。
そう思われる程周囲の気配は静かだった。
なんせ時計を確認してみれば5時である。後一時間遅くたって朝食には間に合うような時刻だ。うっかり大きな物音でも出して同級生を起こすのは忍びないと、もともと静かな動作をさらにひっそり心がけて制服に着替えてしまったルルーシュは、念のためにもう一度鏡を覗き込んで身だしなみを確認する。

プリーツに乱れはなく、ローブにも埃1つ見当たらない。
きちんと結ばれた新緑のネクタイには違和感があったが、いずれ慣れるだろう。
ありがたいことに今まで派手に寝癖で困らされた覚えのない髪の毛を一回手櫛ですいてみて、今度こそ部屋をあとにする。

そろそろと足音を消しながら階段を上り、ひょっこりと覗きこんだ談話室に人の気配はなかったが、暖炉には火が入れられている。
そういう魔法なのか、それともしもべ妖精か。

いずれにしろ、仄かに暖かい室温をありがたく思いながら昨夜はじっくり見ることもできなかった談話室を見聞して回った結果は、スリザリン寮は代々貴族がやたらめったら多く配属されたようだ、ということだ。
いちいち家具が良質で、適当な量販店の品と思えるものが一切ない。
揚げ足取りが大好きな伏魔殿たる皇宮を生き、仮にも皇帝まで務めたルルーシュの審美眼は下手な鑑定士よりも正確だった。

それぞれ年代は微妙にずれているから創設当初からここにあったという訳ではないだろう。
壊れたか、それとも不足を補ったか。
どちらにせよ、元来の空間を壊さないようにかつての寮生が置いていった調度品達は、さも最初からこの部屋の一部であったというように胸を張って存在している。
このような芸当は、生まれながらに徹底的に教養を叩きこまれその意味を理解した上で誇っているような者でないと、なかなかできない。
稀有な場合でない限りは、格とセンスは環境が育むものだからだ。
何の役にも立たない虚栄心の塊でできた貴族というのはルルーシュが心底軽蔑する類の生き物だが、ここにこれらを置いていった諸先輩方は、自分の背負う家と名前の意味を十分に理解した真の貴族という奴だったのだろう。
そういう輩は、嫌いではなかった。


(しかし、貴族が多いということはブリタニア家を知る者もきっといるだろう。
別にもうランペルージにこだわる気持ちはないが、妙なバレ方をするのは得策ではないだろうな)


言動には十分注意しなければと改めて思っていれば、壁時計がぼーんと鳴る。6時だ。


「…ガウェインの様子を見に行ってから大広間に行くか」


やはり朝に愛鳥の声が聞けないのは寂しかったルルーシュだった。


§  §  §


全生徒のフクロウが集められるフクロウ小屋(もはやこれは塔だと思う)は、考えてみるとガウェインの古巣になるのだった。
すっかり上下関係を確立して1番高いところに広々としたスペースを獲得している姿は勇ましい。
ただし、ルルーシュの姿を見とめた途端に一目散に飼い主めがけて降りてくる様子は可愛らしい。


「友達とは会えたか?」


愛鳥の元気な姿を喜ぶルルーシュの言葉にくるりと首を回してみせる仕草に、主に学校の所有するフクロウが動揺しているようだったが、勿論ルルーシュは気づいていなかった。
盲目フィルターが健在のようでなによりである。


いつもの調子を取り戻したところで大広間に向かおうと思ったが、やはり時間が早すぎて変に目立ってしまうのではないかと思い当たった。

もはやスリザリンの有力者と思しきシュナイゼルに立ち上がって出迎えられた時点で平凡かつ目立たない学生ライフは無縁と知ってはいるが、だからといって無駄な雑音は好むところではない。


(他に時間が潰せるとしたら…あぁ、湖があったか。
水中人の鱗は無理でも、なにか魔法薬学に使える植物とか生えてないだろうか、水際の苔とか)


育て親の影響をどっぷり受けた薬学オタクらしい発想で、足は広大な面積を占める湖に向いた。城に向かう時に越えてきた、その水底に自分たちの寮があるのかと思うと、なんだか面白い気分である。
遥か先で何者かが跳ねたように見えたが、あれは水中人だろうか。それともオオイカの足が暴れたか。

キャンバスやフレームには収まりきらないくらいに雄大な光景に圧倒されて、水際を俯いて歩くのは勿体なく感じられる。
事実、ルルーシュは目を細めて静謐な自然の美に魅入っていた。

眼に映る範囲に切れ目はなく、横に奥にとこれでもかとその翠を広げている。
いかな絵の具を重ねても生み出せそうもない水面の深まりは、中に抱く生き物によってゆらゆらと更に彩りを変えていた。
朝霧を天然のスクリーンにして輝く陽の光は、その濃淡でかろうじて遠くの山並みをこちらに垣間見せる。


霧が晴れていくまでのひと時の絵画。


卒業までの間ほぼ毎日、自分がそれを眺めるために通うようになるなど思いもせず、朝食の時間を知らせる鐘が鳴るまでルルーシュは湖畔に佇んでいた。




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