不満を言い続ける子分達をケニーが来るからとペティが押し止め、ジェネルは一人マーキスの街を歩いていた。
「路地裏で情報を貰って……遠ければ明日にして今日は……」
呟きながら辺りを見回す。刺すように視線を感じるのにその場所に気配はない。
「本当に何なのよ……」
背筋を走る戦慄に、少し泣きそうになる。気配がない以上、近づいて確かめる勇気もない。そんな自分が情けなくて大きく肩を落とした。ふと視線を上げると目の前に見知った姿。慌てて隠れるより先に相手がジェネルを捉えた。
「……淑女?」
驚いた表情でジェネルを捉えているのはロビンだった。
「……変態侯爵、あんた仕事もせずに、何やってるのよ……」
会いたくないタイミングで現れた相手に、物凄く嫌そうな棘を含んだ声をかける。
「ジェネルじゃないか。また路地裏に行くのか?」
嫌そうなジェネルに声をかけたのは、今し方ロビンと話をしていた片手に麺棒を持った恰幅の良い口髭の男。
「ええ。ところで小父さんこの男が何かやらかした?追い払うなら手伝うわよ?」
ジェネルの言葉にロビンは苦笑して男は驚いたように目を剥いた。
「何言ってるんだ、ジェネル。侯爵様は久しぶりの視察だよ」
「視察?」
「前の領主様の時から時々視察に回ってこられてたんだ。まぁ今は此処の領主様になっちまったがな」
「マーキス卿からは相談をよく受けていたからね。こうして色々な情報を貰って彼に伝えていたんだよ」
付け加えるように言うロビンにジェネルは興味がなくなったように返事を返す。
「あっ、興味がなくなったね」
「ええ。別に迷惑かけてないんだったら関わる必要もないからね」
「それは寂しいな」
完全に興味をなくしているジェネルに困ったように笑いながら髪を梳く。
「あっそ。じゃあ、あたし行くから」
「では店主、私も失礼します」
踵を返して歩いていくジェネルを見て、ロビンも優雅な動作で頭を下げる。
「麺棒は危ないので振り回さないでくださいね」
念を押すようにそう言ってロビンも踵を返した。
「ああ、じゃあな」
友好的に二人を見送りながら手に持った麺棒を大きく振れば、木と木がぶつかる音が響く。それと同時に女性の怒声が聞こえてきた。
「こらあんた!また看板壊したのかい!?客見送る度に壊すんじゃないわよ!!」
凄い剣幕で怒るエプロンをした恰幅の良い女性の前で土下座をしながら店主が謝る。もうこの街で馴染みになっている光景に、通りに居る者達はクスクスと笑い、子ども達は囃し立て怒られていた。
「……何でついてくるのよ」
歩く速度を速めても緩めても同じ距離を保ってついてくるロビンに、ジェネルは足を止めて振り返る。
「酷いなぁハニー♪二人の時間は限られて居るんだからもっと優しくしてくれても良いんだよ?」
ジェネルが振り返った先には破顔したロビンの顔。久しぶりのそれに額に手を当てて大きく溜息を吐く。
「二人きりなんて滅多にないのだから、思いっきり甘えてくれても良いんだよ」
とても嬉しそうに笑うロビンにジェネルは冷たい視線を浴びせた。
「ふ・ざ・け・な・い・で!あたしは今から仕事なの!あんたはあんたの仕事があるんでしょ!」
追い払うように手を振れば、ロビンは喜ぶ犬のようにその手をとった。危機を感じたジェネルは反射的にロビンの顔面をわしづかむ。
「変なことしたら殴るわよ!」
「照れるハニーも素敵だね」
わしづかまれたまま自由の効く口は留まるどころか愛の言葉をツラツラと述べていく。
「そう言えば、あんた聖バレンタインのカードに変なことばかり書いてたわね!」
愛の言葉を遮ってジェネルが口を開く。すると、益々嬉しそうにロビンの口の両端が上がる。
「一言一句残さず読んでくれたのかい?僕の愛が―――」
「中は読んでないわ。呪われそうだったから」
「酷いなぁ。でも、そんなハニーも愛してるよ」
「じゃなくて、カードの裏に書いてたまともな部分を中に書くべきでしょ?それを言うのを忘れてたわ」
「いやいや、僕のハニーへの愛はあんな小さなカードに収まりきれないほど―――」
始まったロビンの言葉に大きな溜息を吐こうとした瞬間、背筋に戦慄が走った。
「っ?!」
視線の方向を見るがやはり人の気配はしない。血の気が引く音がした。熱く語るロビンの声が遠退いて一人世界から切り離された感覚がジェネルを襲う。
「な、に……?」
震える声が自分の周りに反響して聞こえてくる。逃げたくとも足が言うことを聞かない。助けを叫びそうになった瞬間、懐かしい衝撃が肩を襲った。
「えっ……」
振り返れば、困ったように笑うロビン。
「ハニー、熱く語っている最中に何の動きもなく、反応も返して貰えないのは……物凄く虚しいんだよ!!」
そう言ってロビンはいきおいよくジェネルに抱き着く。さっきとは違う戦慄が背筋を駆け上がると、反射的に相手の鳩尾に拳を叩き込んだ。
「……さっさすがハニー。素敵な拳だね……ガクッ」
「……そのままそこで寝てなさい」
地面と友達になったロビンを冷たく見下ろして、再び視線の方向を向く。背筋に嫌な汗が流れる。
「今日も素敵なおみあしだね」
地面からかけられた声に、その発生源を思いっきり踏み付けた。
「あんたはもっと学習しなさい」
「ハニー、顔はちょっと……」
「変形したら男前になるかもしれないわよ」
棒読みで言ってグリグリと力を入れる。
「これ以上男前になったら貴婦人方が倒れてしまうよ」
「あんたは何より先にネジを探してきなさい」
ジェネルが溜息を吐いて足を退けると、ロビンが地面をキョロキョロと見回し始めた。今までにない行動に鳩が豆鉄砲をくらったような表情で固まっていると、ロビンはジェネルが視線を感じた場所までたどり着こうとしていた。
「あっ、そこはっ!!」
慌てて止めようとした瞬間、ロビンがとても嬉しそうに振り返る。
「……なっ何?」
あまりにも嬉しそう表情に呆気にとられていると、ロビンは何かを腕にかき抱いてジェネルの元へ戻ってきた。
「ハニー!見つけたよ」
「なっ何を?」
「ネジになりそうなモノ♪」
そう言ってジェネルの目の前に差し出されたのは漆黒の長い髪に白い肌、真っ赤な口紅。その色の差に、一気に鳥肌がたった。
「っそんなもの捨ててきなさい!!」
「何故だい?」
心底不思議そうなロビンに、ジェネルは怒鳴り付ける。
「良いから!」
「……初めて見たからくり人形なのに……」
とても残念そうに肩を落とすロビンの言葉にジェネルは驚く。
「あんた、それが何か知ってるの?」
「ん?ハニーは知っているんじゃないのかい?」
逆に問い返されて少しムッとした表情になる。
「知らないわよ。気味の悪い人形ってこと以外」
ぶっきらぼうにそう言えばロビンはとても優しく微笑んで、口を開いた。
「僕も今日まで噂でしか知らなくてね。東洋の国に『からくり』と言う技術があるらしいんだ。それはこういった人形に施すこともあるし、建物に施すこともあるらしい」
「その『からくり』を施してたらどうなるのよ?」
「そうだね、こういった人形の場合、お茶を運んでくれたりするとか……しないとか?」
ジェネルの質問に、曖昧に返すロビン。
「……それが何で此処にあるのよ」
「おそらくハニーへの挑戦じゃないかな?」
「挑戦?」
「先日、ルーナの街にからくり技師が来たらしくてね。ルーナ子爵が囲ったと聞いているよ。デュークの渡来名簿にも東洋からの入国は要人とその技師達だけだったからその子達だろうね」
「ルーナ?ルーナ……聞いたことあるんだけど……」
本気で悩むジェネルにロビンは静かに口を開く。
「細工師の街ルーナ。紙や木を始め貴金属の細工師達が集まる街だよ」
「あっ!」
「バロン男爵達と行ったと聞いていたけれど……」
「そっそうよ……」
あからさまに視線を逸らすと、少し面白くなさそうな表情でロビンがジェネルに抱き着いた。
「しかもバロン男爵に細工の美しい腕輪を買って貰ったんだって?他の男に貢がせるなんて!欲しいなら僕だって何でも買ってあげるよ!!」
「あんたからの貰い物は汚染されそうだから要らないわよ!とにかく離れなさい!」
ロビンの顔面を引きはがすように押しのければ、力負けしたロビンは泣く泣く離れる。
「それよりあたしへの挑戦ってどう言うことか説明しなさいよ」
「あっそうだね。先日の社交界でルーナ子爵が義賊に挑戦状をたたきつけると意気込んでいてね。からくり技師・細工師と義賊、どちらが勝つかと言う話題になってね」
「そんなの、あたしに決まってるじゃない」
自信満々に言ってのけると、ロビンは拍手を送った。
「僕はからくり技師に賭けておいたから」
「なんですって!?なら絶対に負けられないわね。ボロ負けさせてあげるわ」
とても楽しそうに話すジェネルに、ロビンもつられて笑う。
「それは困ったね。ところで、これを解体したらネジか何か―――」
ロビンが思い出したように腕の中の人形を見ながら話し始めると、ジェネルの背後から一つ、全力で走って来る音が聞こえて来る。その足音が力強く地面を蹴った。それに気づいたジェネルは振り向き様に避ける。
「僕に合う……へっ?」
ロビンが顔を上げた時には目の前には靴の裏。
「ぶほっ?!」
見事に顔に減り込んだ足は、ロビンの顔を踏切その背後に着地した。着地音の主は体を反転させてロビンを睨みつける。
『あんさん今、「解体」って言ったやんねぇ?!そんな完璧な作品を解体するやなんて頭おかしいんやないのぉ?!』
『あ〜あ。香代、まだ出るのは早いよぉ……』
まくし立てる少女の走ってきた方向から青年に差し掛かりそうな少年が歩いて来る。
『良いやん、あにぃ。どのみち勝負の日は決まってんのやから!宣戦布告やんねぇ!』
そう言ってジェネルを指差す。呆気に取られたようにジェネルは固まった。
『義賊や何や知らんけどなぁ、からくり技師の名に賭けてあんさんらをお縄にしてあげるんやからねぇ』
「縛りプレイも良いね」
「だからネジ探してきなさい!」
ロビンの呟きにすかさずジェネルの拳が顔面に減り込む。
「さすがハニー、素敵な拳だね。では僕はこれを解体してネジを――」
『せやから、「解体」すな言うとるやろぉ!』
人形に手を伸ばすロビンに向かって木片が投げつけられ、見事に命中した。
『香代、「解体」と「破棄」以外も覚えなよぉ』
『そんなん、あにぃが覚えてれば良いんよぉ』
「いやいや、覚えていて損はないと思うよ?」
ロビンが言葉を挟むと、少年は少女に耳打ちする。
『大きなお世話なんよぉ!バーカ、ハーゲ』
「……酷い言われようだね」
渇いた笑いがロビンの口から漏れた。
「ねぇちょっと、さっきからあんた達は何を話してるわけ?」
呆気にとられていたジェネルが我に返ったようにロビンの腕を掴んだ。