覇道をゆく者

□いつもの距離
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熱を帯びた吐息、時折堪えきれずに漏れる喘ぎ、そして濃い雄の匂いが部屋に満ちている。

寝台の軋む音、淫らに重なる二人の身体。湿った音が響く。

曹操は夏侯惇の身体奥深く楔を打ち込み、内壁の締め付けに思わず甘い息を漏らす。夏侯惇は敷布を握り締め、波のように襲い来る快楽に抗おうと歯を食いしばり耐えている。

体内に曹操のいきり立った雄を感じる。敏感な部分を尖端で突かれ、何度も意識が飛びそうになる。

「あぁ…っ孟徳っ‼」

夏侯惇が背を弓のように反らせ切ない声を上げる。顔は紅潮し、唇を震わせている。曹操はその顔に欲情を掻き立てられ、もっと反応を見たいと思った。腹の中をかき回すように腰を弧を描くように動かすと、夏侯惇は堪らず嬌声を上げた。

「そんなに良いか?惇」

自らも気を抜けば果ててしまうほどの快楽に耐え、夏侯惇に問う。

「ん…っああ…っ!い、いいっ…」

夏侯惇は息も絶え絶えに答える。それに満足したのか曹操は一気に夏侯惇を追い上げる。

「うあ…っもうっ…あっ…‼」

夏侯惇の身体が強く痙攣し、白い精を飛ばした。同時に肉の締め付けを受けた曹操も夏侯惇の体内で果てた。

曹操が起き重なるように夏侯惇の身体に倒れこむ。二人の呼吸は荒く、しばらく動けずにいた。

曹操は夏侯惇の身体を背後から抱き、艶やかな黒髪に口づける。火照った身体を密着させて、互いの体温と鼓動が感じられるのが心地よい。

呼吸が少し落ち着いた頃合いに曹操の手が夏侯惇の脇腹を這う。夏侯惇はその手を封じた。

「待て、孟徳。今夜はもう…」

夏侯惇がもう無理だと言う。しかし、曹操はまた臨戦体制である。

「つれないことを言うな」

「孟徳…ここ最近毎夜だし、今日はもう二回も…お前の強さには叶わぬ。俺も身体がちとつらい」

曹操は夏侯惇の肩口に口づける。夏侯惇の身体は相性がいいと思う。打てば響くというのか、とにかく反応がいい。曹操は夏侯惇を手放せずにいる。自分でも一人の相手にこんなにも執着するということに驚いていた。

「なあ、俺は女の代わり、じゃないよな…?」

不意に、夏侯惇が、曹操を見上げて言う。

「何を馬鹿な。お主が女の代わりになる訳がなかろう」

曹操は笑って返した。しかし、夏侯惇は一瞬息を飲み、脊髄反射で曹操の頬を引っ叩いた。乾いた音が響く。

「惇⁈なんだいきなり…」

曹操は突然のことに呆気に取られている。夏侯惇は瞳を潤ませ、曹操を睨みつけている。

「満たされぬなら女を抱くといい‼俺は間に合わせの道具じゃない」

夏侯惇、と呼ぶ声も虚しく夏侯惇その人は寝台から降り、床に脱ぎ散らしてあった着物を羽織り、部屋を出て行ってしまった。曹操ははたかれた頬を撫でながらそれを無言で見送るしかなかった。

「あやつ、何か誤解したのか…」

夏侯惇の責めるような瞳が忘れられない。何か思い詰めたようでもあった。今直ぐにでも追いたかったが、おそらくあの様子では会ってはくれないだろう。曹操は大きなため息を一つ吐いた。




翌日、軍議の雰囲気が明らかにおかしいことに皆気がついていた。しかし、誰もそれを口にしない。それに触れたら場の取りなしようがないと分かっているからだ。

まず、位置だ。位値が違う。いつも主君の側に控えていた腹心の将軍が今は対角線上にいる。末席で、主君に顔を向けないようにしている。そして主君の方はそれを意識してか、いつもの威厳に満ちたしゃべりがどこかに消え失せ、指名を間違えるわ、文書を読み上げたら噛みまくるわで目も当てられぬ状態だ。皆見て見ぬふりをしている。

「殿の顔、ちょっと腫れてないか?」

夏侯淵が張郃に耳打ちする。

「そうねえ…痴話ゲンカかしら、犬も喰わぬというけれど」

それは夫婦げんかだと内心淵はツッコミを入れた。

「惇兄だよな…あれ」

淵の言葉に隣の郭嘉が興味ありげに身を寄せて来る。

「女の力ではあんなに腫れないからね」

「あんた、よく殴られてそうだから分かるんだな」

曹操がギロリと三人を睨む。三人とも視線を逸らし、気が付かないふりをしている。

「殿、話が終わりなら俺はもう行くぞ。いろいろと忙しいのでな」

夏侯惇が椅子から立ち上がる。皆の注目が集まる。沈黙の中、夏侯惇は曹操をじっと見つけていたが、何も言わない曹操にそのまま背を向けて部屋を出て行ってしまった。

扉が閉まる音が響いた瞬間、皆が詰めていた息を吐く。

「ちょっと、殿‼惇兄を怒らせたんですかあ」

「今、もうとくじゃなくて殿って言いましたよね」

「あれはかなり強烈」

「もう、何したんですか⁈」

緊張の糸が来れ、皆が口々に騒ぎ出す。曹操は頭を抱え、机に突っ伏した。

「お前たち、何故儂が悪いと決めつけるのだ…」

「だって惇兄があんなに怒るなんてさ」

「夏侯惇殿が軍議を投げ出すくらいお怒りとは本当に何をしたのやら」

曹操はげっそりした顔で有能な軍師、将の顔を見渡す。

「ええい、もう今日は解散じゃ」

曹操の声に皆散り散りに部屋を出て行く。曹操は天井を仰いだ。

「…どうしたものか」

机の上の地図を眺める。進軍の計画は直ぐに思い浮かぶが、夏侯惇にどう謝れば良いかが分からずにいた。相当に怒っている。それよりも傷付けたことが気になる。ぴりりと痛みが残る頬を撫でながら、曹操は昨日の会話を思い返していた。





夏侯惇は今日は部下に任せてある練兵の視察に赴いた。事務的な職務がないでもなかったが、どうも気が乗らない。曹操のことを考えると腹が立つというよりも切なくなってくるのだ。

女の変わりにはならない、ならばなぜ夜ごと自分を抱くのか。妾を呼べば済む話だ。自分のような色気もない、むさ苦しい男を抱くなどやはり酔狂な話だ。そう思うと悲しくなってきた。

太陽が頭上で輝いている。まだ夏には遠いが、何も遮るものがないこの広場では日差しがきつい。昨日からの腰の痛みもあり、少し立ちくらみがしてきた。訓練中の兵士たちに一礼し、夏侯惇は宮殿の裏手の庭のほうへ向かった。ここは日中人がいない。少し休んで部屋へ帰ろうと木陰に腰かけようとしたとき、めまいがして一瞬意識が飛んだ。

糸が切れたように体が倒れるのが分かる。受身も取れず、このまま地面に叩きつけられるのかと夏侯惇はどこか他人ごとのように思った。

ふいに体が何かに支えられ、止まる。そのまま力強い腕に抱きとめられた。

「大丈夫か、夏侯惇」

耳に心地よい、声。自分の好きな声だ。そう思ったところで夏侯惇は意識を手放した。




目が覚めると、見なれた部屋だった。
そう、昨日もここにいた。曹操の寝所だ。夏侯惇は慌てて飛び起きた。まためまいが残っているのか、軽く頭も痛い。胸元を楽にするため装備が解かれている。近くの台に水を張った桶があり、布が浸されている。誰か看病をしてくれていたということが分かる。

「気がついたか、惇」

優しい声に、振り向くと曹操が立っていた。心配そうな顔に穏やかな笑みを浮かべている。

「あ…すまん、俺は倒れたのか?」

「そうだ、中庭でな」

そうだ、倒れそうになったところを曹操に救われたのだ。夏侯惇は起き上がろうとするが、曹操に制止された。

「無理をするな、このままここにおればよい」

曹操の言葉にどうしていいか分からず夏侯惇はその顔を見つめた。

「お主に無理をさせて悪かったな、心配するな、何もせぬ」

男同士の契りはそれ相当な負担がかかる。それが毎夜となれば夏侯惇がいくら頑丈でも無理は強いている。曹操は先ほどまで意識のなかった夏侯惇の顔を見つめながらそれを恥じた。

「孟徳…俺はお前にひどいことをした」

夏侯惇は俯きながら言う。

「殴ってすまなかった」

曹操は寝台に腰かけ、夏侯惇の頬に手を当てる。

「よい、灸がすわったわ」

そう言って笑い飛ばす。

「しかし、言っておくがお主を抱くのは女の変わりではないぞ。儂はお主を愛しておるから抱くのじゃ。だから、女では変わりにならんと言ったのだ」

夏侯惇はそれを聞いて曹操をしばらく見つめ、ふっと自嘲した。

「俺は何か勘違いをしていたようだな」

「すまぬな、お主を不安にさせたのだな」

曹操は夏侯惇の手にその手を重ねた。夏侯惇はそのぬくもりに安堵し、笑顔を見せた。

「孟徳、俺を殴れ」

「なに?」

「それでおあいこだ」

夏侯惇の提案に曹操は彼らしいと笑う。ここで殴らぬと言えば夏侯惇は納得しないだろう。

「覚悟はよいか、惇」

曹操の眼差しが真剣味を帯びる。夏侯惇はまっすぐその目を見据える。

「!!」

曹操の動きに殴られる、と身構え思わず目を瞑った夏侯惇に隙ありと曹操は口づけた。

「も、孟徳!!ふざけるな、俺は殴れと言ったはずだ」

夏侯惇はそういいながら頬を赤らめている。曹操はそれを見ながら満足げだ。

「これであいこじゃ。それに病人を殴れぬわ」

曹操の言葉に夏侯惇は少し不貞腐れている。

「しかし、お主の体は本当に求めて止まぬわ。儂と相性が良い。そうは思わぬか」

「な、なにを言っている…!!」

「女では変わりができぬと言ったほうが良かったかもしれぬのう」

曹操が顎鬚を撫でながら言う。夏侯惇は拳に力を込めそうになったが何とか耐えた。

「これもお主を好いておるからだ。そうでなければ男など抱かぬ」

曹操は夏侯惇の頬を撫でた。夏侯惇は恥ずかしげに下を向く。

「俺も…あんな恥ずかしいこと…お前意外には」

聞こえぬほどの声で呟く。

「うむ、儂は意外と嫉妬深いぞ、覚えておけ惇」

曹操は満足げだ。

「ところで、今夜はどうだ?仲直りの交わりは燃えるぞ」

曹操の言葉に夏侯惇は息をのむ。懲りてない。全然懲りてない。
しかし、曹操らしい、と小さく笑う。

「馬鹿、俺は病人だぞ」

「そうだったな」

曹操はそう言って寝台から離れようと腰を浮かせた。

不意に夏侯惇に引っ張られ、体制を崩す。そのまま、夏侯惇は曹操の唇をふさいだ。

「その…無理しない程度には…いい、ぞ」

夏侯惇が耳元で囁く。

「分かった、気をつけよう」

曹操はにやりと笑い、夏侯惇に口づけた。







翌日、皆恐恐と軍議に集まってきた。自分たちは直接関係ないが、あの針のムシロのような雰囲気に巻き込まれたくはない。誰もがそう思っていた。

しかし、見れば夏侯惇は定位置に収まっており、曹操は威厳たっぷりに持論を繰り広げている。

「なんだ、もう元に戻ったのか」

夏侯淵が面白くなさそうに言う。

「思ったより早かったわねえ」

「本当に残念だ」

張遼の言葉に傍にいた何名かが振り向いた。

「こら、そこ、私語は慎め」

曹操に怒られて淵と張郃が背筋を正す。張遼は口髭を整えて知らんぷりをしている。

これで普段通り、魏国は今日も平和なのであった。

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