覇道をゆく者

□永遠の捕囚
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気が付けば見知らぬ部屋。延髄を打たれた鈍痛に夏候惇は眉を顰める。次第に覚醒する意識に今置かれている状況が徐々に飲み込めてきた。天蓋のある寝台に身体を横たえていた。見事な刺繍の薄衣の帳に閉ざされ部屋の全貌は分からないが、目に映るものだけでここが貴人の部屋だということは判る。

部屋の何処かで焚かれている香の薫りが鼻をつく。決して嫌な匂いではないが、今置かれたこの状況では何もかもが不快に感じる。

夏候惇は身を起こそうとして、自由が効かないことに初めて気がつく。両の手首が金具で寝台に繋がれている。身動き出来ぬ煩わしさと、身体の痛みに小さく呻く。

そう、自分は呂布軍の策に掛かり敵将に捕らえられたのだ。自軍の兵の危機に周りの制止を振り切り飛び出したがそれこそが呂布の狙いだった。夏候惇は敢え無く囚われの身になり、それでも暴れたために呂布が背後から鉾の柄で夏候惇を一振りし意識を奪ったのだった。

夏候惇が最後に見たのは呂布の壮絶な笑み。その顔を思い出し、夏候惇は奥歯を噛み締めた。

意識が大分はっきりしてきた。しかし、あれからどの位の時間が経ったのか分からない。少し腹は減ったと思う。それだけの元気があればまだ死ぬ訳はないと夏候惇は苦笑する。死ぬ訳にはいかない。曹孟徳の覇道を共に切り拓くと決めた。曹操の顔が脳裏を掠めた。おそらく今、自分が囚われていることは既に伝わっていよう。情けない思いに駆られ深い溜息をついた。



不意に扉を開け放つ音、乱暴な足取りで此方へ近づく者の気配。夏候惇はそれが誰であるか分かっていた。この圧倒的な威圧感、凶暴なまでの殺気を放つ男はこの軍には一人しか居ない。

呂布だ。呂布がただ一人夏候惇を捕らえた閨に現れた。

帳が乱暴に開け放たれた。呂布は夏候惇を見下ろし、冷徹な表情を浮かべている。夏候惇はその漆黒の瞳に一瞬飲み込まれそうになるような錯覚に陥る。しかし、何とか己を奮い立たせ呂布を睨み返す。暫く睨み合いが続いていたが、呂布がニヤリと笑う。

「お前、夏候惇と言ったな。なかなかの猛者だ。他の者なら縮み上がり命乞いをする」

呂布は面白そうに笑う。夏候惇は未だ呂布を睨んだままだ。

「殺すなら殺すがいい」

呂布は笑うのを止め、夏候惇を無表情に見下ろす。

「お前を何故生かしていると思う?利用価値があるからだ。用がないなら戦場で斬ったわ」

夏候惇はその言葉に鼻を鳴らして笑う。そして挑戦的な目で呂布を見上げた。

「愚かな。俺は一介の兵卒に過ぎん。俺が一人欠けたところで軍に影響は出ぬ」

呂布は夏候惇の話を否定もせずただ黙って聞いている。

「それに、部下にも人質など気にせず敵を攻めよと説いてある。体制が立て直せたら総攻撃だ。俺の存在など、取るに足らぬ」

呂布は片眉をピクリと動かす。そして夏候惇の繋がれた寝台に腰掛けた。寝台が音を立て軋む。

「お前がお前達の軍でどんな立場かは俺には興味はない」

呂布の声が一段低くなる。夏候惇は思わず息を飲む。

「お前が、曹操にとってどんな人間かに興味がある」

夏候惇は呂布の顔を睨みつける。呂布が口角を釣り上げ笑う。そして夏候惇の顎を乱暴に持ち上げた。砕けんばかりの力に夏候惇は顔を歪める。

「ははははは、図星だな」

「黙れ、孟徳とてこの戦況なら俺一人の命など簡単に見捨てるぞ」

呂布が夏候惇の顎を捕らえたままその顔を値踏みするように眺めている。何時の間にか縮まった距離に夏候惇はたじろいだ。

呂布には西方の血が混じっているという。その浅黒い肌、掘り深い顔に自分より一回りは大きな体躯。その存在感に圧倒されない者は無い。

「何故お前を生かしているか、分からんのか」

呂布が夏候惇に問う。

「俺は、何も口を割らぬ。孟徳も俺の命を顧みぬ。何の得も無い。殺すなら殺せ」

夏候惇の声は一際低く、一片の恐れも無かった。その覚悟に呂布は内心恐れ入る。自軍の兵にどれほどこの様な男がいるのだろうか。

呂布は夏候惇を封じる金具をその腕で引きちぎった。その破片を床に放り投げる。夏候惇は自由になったが、呂布の殺気に下手に身動きが出来ない。手首についた金具の跡をさすりながら呂布を見る。

「一体何のつもりだ」

「逃げるなら、逃げるとよい。だが地下牢にいるお前の兵たちが溺れ死ぬがな」

夏候惇は怒りに我を忘れ、呂布に掴みかかる。

「き、貴様っ‼」

呂布はニヤニヤと笑ったままだ。

「兵たちに手出しは許さんぞ‼」

夏候惇の剣幕にも呂布は平気な顔だ。襟元を締め上げるその手を払いのける。

「何だ、さっきと話が違うな。お前たちの軍では人質など意味を成さぬのではなかったのか?」

呂布が面白そうに聞く。夏候惇は顔を歪め、その場に脱力した。

「お前は甘いな。そんなだからやすやすと俺の部下に捕まるのだ。正直お前が罠に掛かったと聞いて耳を疑ったぞ」

呂布はおかしくて堪らないといった様子だ。夏候惇は歯噛みし、その顔を見上げる。

「お前は逃げられぬ。こんな陳腐な鎖で繋がずとも情に流される者を操るのは容易いわ」

呂布は夏候惇の後ろ髪を掴み、強引に引き寄せると夏候惇の唇を乱暴に塞いだ。歯と歯がぶつかり、互いの唇が切れて血が流れる。その血を赤い舌で楽しそうに舐め上げる。

「き、貴様…‼気でも違ったか…‼」

夏候惇が怒りに燃える瞳で呂布を睨む。

「言っただろう。お前は曹操を苦しめるための道具だ」

夏候惇はその卑劣な言葉に更に怒りを燃やす。しかし、いったい自分が曹操を苦しませることなど出来るのか、心の奥でそんな疑問が浮かぶ。自分のことを気にかけてくれる従兄弟であり、確かに曹操とは他の者たちにはないより強い信頼で結ばれているとは感じている。しかしそれが自惚れなのではないかと不安に襲われる。

「そんな顔をするな」

呂布の言葉に夏候惇ははっと呂布を見上げる。どんな顔だ、と思ったが聞きたくはなかった。

「今からお前を犯す」

全く予想外の呂布の言葉に、夏候惇は驚き、動きを止める。

「い、意味がわからん。男の俺を組み敷いたところでどうなるというのだ」

夏候惇はこれから起こることが想像出来ず、何処か他人事のように尋ねる。

「お前を汚されたとなれば曹操は怒るだろうな」

そうなのか?夏候惇は理解出来ず困惑する。呂布は夏候惇の着物を引き裂くようにはぎ取る。夏候惇は反射的に呂布に殴りかかるが、呂布は難なくそれをかわし夏候惇を寝台に押し倒す。引き抜いた帯で腕を軽く縛り、下半身は自らの身体で抑えつけた。

圧倒的な力、冷徹さに組み敷かれそして道具として利用される自分。呂布の首筋への愛撫に犯される実感が露わになり、夏候惇は声なく涙を流した。

「そんなお前だから曹操も手放せないのだろう?」

曹操という響きに身体が反応する。夏候惇の心は既に呂布の手の内にあった。

呂布は夏候惇の肌に思うように舌を這わせその弾力と反応を楽しんでいる。

「その気にならんようだな」

そう言って寝台を離れ、戻ってきた時には部屋に怪しい煙が立ち込めていた。

夏候惇は妖しく甘い香りに思わず咳き込む。意識がぼうっとしてくる。

「これはな、異国の妖術師が持ち込んだ極上の香だ。後宮で用いられる、いわば飛べる催淫剤よ」

呂布が夏候惇の肌に触れる。夏候惇はその刺激だけで下半身が疼くのを感じた。

「これならば男の身体も開くのは容易いと聞く。だが、お前はもう曹操とは通じているんだろう?」

呂布の声が遠く聞こえる。

「俺は、孟徳とは…ない…」

薄れ行く意識のもと、曹操を貶める呂布の発言を否定するのが精一杯で。ただ、浮かぶのは年上の従兄弟の凛々しい横顔だけ。

「も…とく…」

夏候惇は意識を手放した。呂布はその顔をしばらく眺めていたが、やがて力なく投げ出された足を無遠慮に広げ、夏候惇の後孔に己のいきり立つ雄を押し当てた。





夏候惇はゆっくりと目を開けた。昨夜のおかしな香の匂いは既に無く、朝の冷えた空気が部屋を満していた。身体が重い。呂布に組み敷かれて、それから?幸か不幸か殆ど記憶がない。ただ、身体が重い。

のろのろと上半身を起こす。身体が冷えぬよう丁寧に肩まで掛け布がしてあったことが意外であった。

布をはぐってみる。布団に血の染みが点々と付いていた。

ああ、そうか。

夏候惇は無感動にそれだけ思った。自分の尻を触ってみるような興味も無かった。

汚された、男なのにそれが何だというのだろう。夏候惇は小さく笑った。他愛ないことだ。そう言い聞かせる。

だけど、これから孟徳の顔を真っ直ぐに見られるだろうか?そう思うと胸が苦しくて知らず涙が流れ落ちた。

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