覇道をゆく者

□真夜中の恋心
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外は春の陽気に包まれ、桜が花開こうとしていた。隣国との戦は相変わらず続いているが、今は情勢が幾分か落ち着いている。

将兵たちの中にも暇を貰って自分の土地の面倒を見るため一時帰郷する者たちもいた。

皆ひと時の平和をささやかに謳歌していた。

そんな中、戦とは別に庶務に追われていたのは曹操だ。平和な時ほど事務作業は増える。抜け出そうとしたら側近たちに泣いて止められ、いかに曹操とはいえこれを振り切ることは出来なかった。




夏候惇にもまともに会うてないのう…

この前会うたときは何やら不機嫌だったしな…

あれ以来、一度もないし、また抱きたいの…

曹操は窓の外の桜を眺めながら夏候惇のことを考えていた。

「殿、真面目に仕事をしていただけませんか」

郭嘉が怒りを抑えた低い声で曹操に呪詛を吐く。

「なんだ、儂はこうしてきちんと椅子に掛け事務処理をしているではないか」

曹操は不機嫌そうに郭嘉に言う。

「お言葉ですが、殿。夏候惇殿はひとりしか居られませぬ」

郭嘉の言葉に髭を整えながら曹操は当たり前だと言い返す。

「…む」

曹操が手元の書簡を見てみると、役職を決定するそれに夏候惇の名が無数に連なっている。

「おう、やってもうたわ」

曹操は悪びれもせずに高笑いをしている。郭嘉は血管が切れそうになるのを必死で堪え、曹操の机に別の書簡の山を乗せる。

「もう、これはまた私が書き直しておきますから後は宜しくお願いしますよ‼」

郭嘉はバタンと扉を閉じて出て行った。曹操ははあ、と溜息をつく。覇道とはかくも厳しいものなのか。

「惇、今どうしてる」

窓の外で桜がフワリと風に揺れた。





「惇兄、元気ないな最近」

宿舎の階段にたむろっているいつもの面々が夏候惇について何やら語っている。夏候淵は兄貴分の夏候惇に覇気がないのを心配している。

「間違いなくアレだよなあ」

賈詡がボソリと呟く。うむ、と横にいる張遼が黙って頷く。

「あれ、ってなんだよ⁈」

淵が訝しげに尋ねる。

「春だからねぇ、恋煩いのひとつでもしてるんじゃないかなあ」

賈詡が茶化すように言う。
皆の視線の先には桜の木の下で刀を振る夏候惇。そんな話題の主役になっているとは知らず、鍛練に集中しているようだ。

「全く、孟徳の奴…!」

夏候惇は桜の木の幹に身体を預け、ひとつ溜息をついた。

近ごろ互いに職務に忙殺されている。曹操とはあの夜以来、公務以外で会話をしていない。それは今迄だってよくあることだったが…。

夏候惇はどこにぶつけたら良いか分からぬ苛立ちに戸惑いを感じていた。半年間ほど進軍の為に会わないことだってあったのに、今はどうしようもなく顔が見たい。

昨日、宮殿の回廊で曹操とすれ違った。曹操は夏候惇を柱に押し付け、有無を言わせず濃厚な口づけで夏候惇の口を塞いだ。

「惇、すまんな、またいづれ」

唖然とする夏候惇を尻目に曹操はそそくさと立ち去る。その急ぎっぷりから何やら用事が立て込んでいたのは分かったが…。

「夏候惇殿、大丈夫ですか?」

郭嘉が心配そうに声をかけてくる。夏候惇は苦虫を30匹くらい噛み潰した顔になり郭嘉に詫びる。

「すまん、見苦しいところを…孟徳め、こんな場所で…」

ここは誰でも出入りする場所ではないとはいえ公の場だ。そんなところであの様なことを。

「いえ、殿がずっと禁断症状なのは存じ上げておりますからな」

郭嘉は夏候惇に一礼して曹操の後を追った。夏候惇は郭嘉が全てお見通しだったことに気がついて顔を赤くしてその場を立ち去った。



曹操の唇の感触を思い出し、夏候惇は小さく息を吐く。あんな場所だし、郭嘉に見られたのはかなり恥ずかしかったが、一瞬でも曹操に触れ合えたのは嬉しかった。だんだんとあの夜のことが夢だったのではないかと思える程に曹操の温もりの記憶が薄れてゆく気がする。夏候惇は空を仰ぎ目を閉じた。

「見ろ、どう見ても恋する乙女だろうありゃあ」

賈詡が石段に座り頬杖をつきながらいう。

「惇兄の周りにそんな浮いた話があったかあ?」

淵が不思議そうにしている。まあ、知らない方がいいなと賈詡は思った。

自分の寝所に戻った夏候惇はなかなか寝付けずにいた。春先の気持ちよい気候で今宵も寒過ぎず暑過ぎず、快眠出来そうな環境なのだが、夏候惇は火照る身体を持て余していた。

あの身体を重ねた夜のこと、曹操の己を呼ぶ声、あの口づけを思い出すと切なさが募り、胸が苦しい。

幾度か、それを思い浮かべながら自慰をした。今迄はごく自然な生理現象の自己処理だった。しかし、自分の屹立を扱く手が曹操のものだったら…そう考えたらあり得ない程に身体が反応し、自らの手で何度も達してしまった。

こういうことに淡泊だった夏候惇は自分の身体の変化に戸惑い、曹操を所謂オカズにしてしまった罪悪感で一杯になり余計切なさが募るのだった。

夏候惇はだんだんと硬さを増す自身に手を伸ばす。触れてみれば驚く程に先走りで濡れている。夏候惇は小さく溜息をつき、自身を扱き始める。

小さく漏れる切ない吐息。時折、あ、と声が漏れ身体が跳ねる。

「もう…とくっ…‼」

もう少しで果てる、その瞬間、思わず名を呼ぶ。

「ここにおるぞ」

頭上で聞き慣れた声がした。夏候惇は手を止め、顔を上げる。逆さまに自分を覗き込む曹操と目が合う。

「も、孟徳⁈な、なんでここにっ⁈」

夏候惇は敵襲とばかりに飛び起き、後退る。

「み、見た…のか?」

夏候惇が情けない声で尋ねる。曹操は楽しそうにニヤニヤしている。

「あぁ、良いものを見せてもろうたわ」

夏候惇は曹操の言葉に顔を真っ赤にして俯いた。

「儂を想うて喘ぐ顔はそれはもういやらしかったぞ」

夏候惇は気絶しそうになる。己の痴態がすべて見られたという恥辱にすっかり萎えてしまった。

「すまん、言い訳はせぬ。お前が欲しくて堪らず…」

曹操は寝台に上がり、うなだれる夏候惇に口づける。

「良い、儂も嬉しい」

夏候惇に会えない間、妾たちに相手をさせていたが夏候惇を想いながらいたしていたのは言わないでおこうと曹操は思った。

夏候惇との夜以降、情なき相手とのそれがあまりに淡泊なものに感じられるようになってしまっていた。

気持ちの変化に曹操自身も驚いた。

「何故ここにいるのだ、孟徳」

幾分か冷静さを取り戻した夏候惇が曹操に尋ねる。

「どうしても主に会いたくてな。酒の一杯でもと思ったが、それだけでは済みそうにないのう」

曹操は抵抗しない夏候惇をゆっくりと寝台に押し倒す。

「お主の手と儂とどちらが良いか比べてみるか」

曹操が意地悪そうに笑う。

「言っていろ…!」

夏候惇はそれ以上言わせぬよう曹操の唇を塞いだ。

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