覇道をゆく者

□春に戯る
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「…良いらしいぞ。それはもう妙味といった感じだそうだ」

「なに、本当か。しかし、男同志だろ。気持ちのいいもんじゃないだろ」

兵達が何やら話をしている。戦が膠着状態だと、気の抜けた話題が増えるものだと彼らの死角に佇む夏候惇はくだらないといった表情だ。

「馬鹿だな、男の身体は下手な商売女よりそれは締まりが良くていいんだぞ」

そろそろ持ち場へ戻れと声を掛けようとした夏候惇は、彼らの話題に足を止めた。

「そ、そうなのか⁈」

兵の一人が頓狂な声を上げる。夏候惇は何故か先ほどまでより気配を押し殺し、耳をそば立てた。

「だいたい、男にはないだろう、その、入れるところが」

もっともな疑問に夏候惇も内心頷く。兵の一人が鼻で笑う。

「知らないのか?尻を使うんだよ」

「えっ、本気かよ…」

狂気の沙汰だとそのまま盗み聞きになってしまっている夏候惇は身体から血の気が引く想いだ。

「そんな、そこは出口だろ、だいたい入るのかよそんなとこに」

「よく慣らしてやらないと血が出て大変なことになるわな。けどな…」

夏候惇はげっそりして、彼らを注意するのも忘れ、その場をフラフラと立ち去った。

「男同志か…孟徳を傷つけることは俺には出来ぬな…」

ここ最近、曹操と距離が近づいていることを感じている。唇を重ね、肌に触れ合う。それ以上はない。それ以上をしても構わないほどに曹操には惚れている。それ以上が何か、夏候惇は漠然と考えていたが男同志は流血すると聞けば曹操を傷つけるなどあり得ないという結論に達した。

夏候惇は何やら自己完結できたようですっきりした顔で伸びを一つし、練兵へと戻って行った。

しかし、話にはまだ先がある。兵達は猥談に拍車をかけていく。

「よく慣らしてやれば苦しいのは最初だけだ。腹の中を突かれたらイイ場所があるらしくてな、そこを突いてやれば涎流してよがり狂うらしい」

「うへえ、男のそんな姿見たくねえや」

兵の一人があからさまに嫌悪ね表情で頭を振る。

「それがな、意外に男を鳴かせるのもいいもんでな…」

「そうか、それはいい話を聞いた」

不意に目の前に現れた人物に兵達は慌てふためく。

「そ、曹操様‼」

「い、今は休憩中でして…‼」

必死で取り繕う兵達を曹操はたしなめる。そして満足気にその場を立ち去った。



夕刻、敵情視察から戻った兵の報告事項を伝達するため夏候惇は曹操の執務室に向かっていた。

執務室の前に立ったとき、部屋から出てきた曹操と鉢合わせした。互いに顔を見合わせ、一瞬押し黙る。夏候惇は昼寝の話を反射的に思い出し、気恥ずかしくなり顔を逸らした。

「も、孟徳、敵情の報告がある」

夏候惇は努めて事務的に話しかけた。

「今日はもう終いだ。一杯付き合わぬか、惇。話はその時に聞こう」

曹操は夏候惇が頷くのを確認すると回廊を歩き出す。夏候惇は一歩下がってついてゆく。空は茜色に染まり、やがて宵闇が訪れようとしていた。

食事を軽く済ませ、曹操の寝所で二人は盃を交わしている。曹操の誘いが一杯で済むはずもなく床には酒瓶が転がる。

「戦に出られぬのも退屈だな。俺が突破口になってもかまわぬぞ」

夏候惇には長く続く練兵だけの日々が酷く退屈らしい。曹操はふむ、と考える振りをすり。

「なら儂も付き合うかな。たまには剣を降らねば錆びつきそうだ」

その言葉に夏候惇は慌てる。

「馬鹿な、前線に出る大将がどこにいる」

「お主にも相応の地位を与えてある筈だがな」

曹操の応酬に夏候惇は口ごもる。確かに部下の将を何人も纏める身分ゆえ後方での指揮が主な役目だ。

曹操は夏候惇の能力を高く買っている。だからいたずらに前線で戦わせて失うことを厭う。ただそれだけではないことは分かっている。この年下の従兄弟に並ならぬ想いを抱いていること、私情を挟むことが如何に愚かかは知っている。しかし、どうしても失いたくはないのだ。

「慌てずとも時がくる」

曹操は先ほどの短い報告で何か動きがあるということを読んでいるようだ。夏候惇は己の主を頼もしく思い、盃を空にした。

「ではそろそろ…」

夏候惇が立ち上がる。主の寝所で酒を飲んで潰れることは面目が立たぬといつも一線を引くのは夏候惇の律儀な性格からだ。しかし、曹操がそれを覆す。

「惇、今宵は冷えるな」

「布団を増やしたらいいだろう。風邪をひいたらこの時期面倒だからな」

布団を取りに行こうとする夏候惇に目頭が熱くなるのを堪えながら曹操はその手を引き寝所に引き入れる。

「人肌が一番よ、しかしお主は全く天然だな」

夏候惇は顔を赤らめて俯いている。

「人肌が恋しいなら妾たちを呼ぶとよい」

夏候惇は本心では思っていないことを口にしている。それは分かっている。曹操と少しの間でも一緒にありたい。しかし、自分は男。曹操を他の愉しませることは出来ない。そう思うと身を引きたくなる。

「惇、儂はお主がよい」

その言葉、何人の女たちに言った?言われて嬉しいのに、自分には出来ない女の役割に引け目を感じてしまう。何やら俯いたまま考えている夏候惇の顎を持ち上げ、曹操はその唇を重ねた。

甘い吐息が漏れる。最初は唇が触れ合うだけ、一番離れて曹操は夏候惇の首に手を回し深く口付けた。曹操が舌を差し入れると夏候惇はおずおずとそれに応える。呼吸を忘れるほどの口付けを交わす。

「ん…!」

唇が離れ、夏候惇は堪らず曹操にしがみつく。曹操は夏候惇の髪を優しく撫でる。

「孟徳…俺にはできない…お前を傷つけるようなこと」

夏候惇が振り絞るように言う。曹操は怪訝そうな顔で夏候惇を見る。

「惇…!何の話しだ…?」

曹操が真顔で尋ねる。

「お前を気持ちよくしてやろうと考えたんだが、男の俺では無理だ…お前を傷つけることになるから」

一片の冗談もない真面目な顔で言う夏候惇に曹操は吹き出した。

「儂を抱いてくれようとしているのか、惇」

曹操は大声で笑う。夏候惇は何を笑われているか分からず苛立つ。

「なっ、何が可笑しい?俺は真面目に…!」

「すまぬ、惇。気持ちは受け取っておく。しかしお前ならかまわぬぞ!」

曹操が急に真顔に戻る。

「だが、儂はお前を抱きたい」

「ん、それは俺が入れられ…⁈そうか、それなら孟徳は傷つかな…えっでもそれじゃ俺が尻をあっ!」

夏候惇は考えていなかった。自分が男だから男の役割をする頭しか。あっ、その考えもあったか、と一瞬思ったが、あの話しを思い出し曹操から後退りする。

「ち、ちょっと待て、孟徳」

曹操は逃げる夏候惇の腕を掴み抱き寄せる。

「大丈夫だ、儂は男は初めてだがこういうことには経験があるからな。さあ」

「えっ、あっ、も、孟徳…‼」





それから暫く、空が明るくなる頃。曹操は隣で眠る夏候惇の身体を抱いていた。

結局、あれから夏候惇にしても良いと言わせたものの、観念する姿があまりに哀れで曹操はそれ以上はしなかった。

女なら、言いくるめて戴いてしまうのだがな。曹操はそう思いながらやはり夏候惇が自分にとって特別なのだと感じる。

「すまぬ、俺が不甲斐ないせいで…」

そう言う夏候惇を抱きしめてやるだけで曹操は満たされた。

「お主が嫌がることを無理にはせん」

本心だった。しかし、いずれ。
自分の腕に抱かれ、乱れる惇を見たいと思う。深く繋がることが出来たら。

眠る夏候惇の安らかな顔は普段の猛々しい将軍のそれとはとても思えない。近くにいて、体温を感じる。安らかな幸せを感じて曹操も瞼を閉じた。

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