フェイク×前鬼

□クーリングオフは出口ですか?
2ページ/2ページ

名無しさんside



信じがたい事が目の前で起こったら、信じるしかないのかな?



『前鬼さん……?』

前「……なんや?」



休憩室、終礼後の居残り勉強……
他のスタッフは今頃、更衣室で着替えてて笑い声がここまで漏れてる。

研修を明日に控えて、今日はマニュアル勉強会だな。なんて思っていたら



『本当に、今の10分で暗記したの?』

前「そう言うとるやん。」



前鬼さんは、数分マニュアルを読んだだけで全てを暗記したと言う……


試しに暗唱してもらったら、一言一句間違えずに言えちゃったから驚いた。



『本当は家で頑張って覚えたんじゃないの?』


前「さっき事務所で言えへんかったのに、か?」

『………。』



前鬼さん。彼はたまに不思議な力を発揮する……マシンデータの時もそうだったし…ヤル気になれば、めちゃめちゃ出来る子なんだなぁ……。


なんて、呆然。



前「名無しさんは覚えられそうか?」

『私はまぁ……なんとかするよ。』



何年も働いてるから、多少は覚えてる所もあるし……



前「しっかし、一言も間違えずに言えなんて普通なら厳しいんちゃう?」

『実際、間違っても問題はないと思うよ……?』


前「なんでや?店長は間違えるなて言うとったやんか。」



頭の後ろに両手を組んで向かいから私を見つめる前鬼さん。

なんでかって……



『さぁ……?』

前「………。」



きっと今、私は可愛くない笑いかたをしただろうな……皮肉を浮かべた笑みを見せていたに違いない。


だって"なんで"の理由は店長の評価の為だって、なんとなく分かってるから。



前「なぁ、名無しさん……」


『ん〜……?』



まぁ、前鬼さんが覚えきったなら後は私だけだし……残りは家でやろうかな?

広げていたマニュアルを片付ける。



前「なんか……可笑しないか?」

『ぇ……?』


前「ストレスの溜めすぎはよくないで?」



ストレスの、溜めすぎ……?



『別に……そんな事ないけど。』



ある程度のストレスなんて、皆抱えてるんだろうし。
なんとなく自分を上手く演じられてないだけで……疲れてるだけ。

薬を飲めば、私だってそれなりに皆と同じ生活はできるもの。


別に……



前「我慢のし過ぎは毒やで?」


『大丈夫だってば……』


前「せやけど……」



お願いだから


それ以上、踏み込まないで。

前鬼さんが心配してくれてるのはよく分かってるから。


でも、私にもさらけ出せないモノくらいは……



コンコン……

柳「失礼します!!」



休憩室の扉を叩いて入ってきたのは、柳くん。タイミング的には助かったけど……



『どうしたの?』

前「忘れ物でもしたん?」


柳「ぁ、いや……やっぱり、シフトの事謝っておこうと……」



柳くんのその姿勢は、きっと立派で
きっと見習うべきもの……だけど



『………。』



ちょっと、しつこいんじゃないかなぁ?


被せていた蓋から、ドロドロしたものが再び姿を見せる。
柳くんに、悪気はない……
こんなに謝ってくれてるじゃない。


それが分かっていて、そんなフレーズが浮かんでしまう私は……やっぱり、疲れてる?



『……本当に、もぅ大丈夫だから。』


柳「でもっ……」



イライラするような事じゃないのにイライラする……



『大丈夫だって……』

前・柳「………。」



お願いだから
そっとしといて……私の事はほっといて。
今はまだ、上手に自分を演じられそうにないから……





柳「名無しさんさん……好きです。」




柳くんの声




『ぇ………』





それに耳を疑う。




柳「好きだったんです。名無しさんさんの事。」



『………。』

前「………。」




言葉に詰まって固まったのは

驚いたからじゃない。


なんだか"嫌"だと感じてしまったから。
これは柳くんの好意で、悪気があるわけじゃない。
分かってる。
分かってるけど。



『ごめん……私もう帰らないと。』


柳「ぇ……」



私はそれから逃げようとした。
休憩室の扉を抜け



柳「ちょっと待って!!」


『……っ!?』



柳くんに腕を掴まれ……
感じたのは



"恐怖"




『……っ、はなしてっ!!』


パシッ

柳「っ!!」



無意識に、逃れようと腕を振りほどいて
気づく



『ぁ……』

柳「………っ」



柳くんの、傷ついた表情に。



前「名無しさん……」


『ご、め……』



違う。
違うの。

急に掴まれたから、触れられたから……
身体が過去を思い出して
怖くて……

違うの。わざとじゃ……



『あの……』



ナンテハナシタライイ?



私、誘拐されて……



そんな話



『ぁ………』



………出来るわけない。




柳「すいません、俺……」


『ち、ちが……』



柳くんは悪くない。
普通の人の、普通の行動で……



私が……ワタシガオカシイの?



『………っ』



何も言えなくて
ぎゅっと拳を握る。

こんな時に自分の悔しさで固まるなんて
柳くんはどうなるの?

本当に、私最低……



舞「……どうしたのー?」


『……っ!!』

前「あ……舞。」



聞こえた声に。前鬼さんが呼んだ名前に。身体が反応してしまう……



『わ、たし……もぅ行くね。』


舞「ぇ……」

柳「名無しさんさん……」



急いで、その場に背を向ける。
ギュウギュウ締め付けられる胸の痛みは私を解放してはくれなくて



前「ちょ……名無しさん!!」


『お疲れ様っ!!』



追いかけてきた前鬼さんに振り向かず
誰もいない更衣室の扉を強引に閉めた。



柳くんは悪くない。



『……っ』



だけど、掴まれた腕の震えが止まらない。
ロッカーの前にしゃがみこんで手にした、いつもの精神安定剤。


少しずつ歯車が狂って……



『ごめん……。』



誰もいない部屋で呟いたって、柳くんには聞こえないのに。その扉を開ける勇気はでなくて……



逃げてしまった。柳くんから


避けてしまった。舞から


前鬼さんの声も、店長の言葉も


全てが重たくて、潰れそうになってしまう。好き、だなんて好意に恐怖を感じて逃げ出して


探してる出口だって見つからない。



"普通がえぇ事なん?"



『……違うよ。』



前鬼さんは間違ってない。
ただ、私は羨ましいだけなの……

私は私だって言ってくれて、嬉しかったけど


柳くんが好きだと言った私はワタシじゃないんだよ……ただの、模造品。
私が嘘なのに、私を求められたくないの。
柳くんはワタシの何を見て好きになってくれたのか
信用できないの。


それすら嘘になってしまいそうで



そんなもの望んでないのに……
ずっと迷っても出口が見えなくて嫌になる。


私は人の好意も信用出来ないの?



汚れちゃったのは
世界じゃなくて、自分なんじゃないの?
そんな自分を責めるフリして

本当は仕方ないって言い訳して、責めちゃいないの。



『ホント……嫌になっちゃうな』




嘆き、ボヤく日常は
なんて素晴らしくろくでもない世界


こんな私を返品したいって言ったって
今更誰も



受け取っちゃくれない……



.
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ