□#04 共存
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「ファイ!お願い!!しっかりしてよ!ファイ!!」
 アクアの瞳に涙が浮かぶ。涙が大粒となり、ファイの頬に落ちて行った。アクアはファイを揺すりながら、倒れてしまったファイの名を懸命に呼ぶ。そんなアクアの姿は虚しく、水に映っている。
「ファイ…!!」
 アクアの思考はもう停止していた。火の神であるファイは大量の水を浴びると死に関わる。そんなの、他でもない彼自身が一番よくわかっていた。それでも、ファイはアクアを救う為に飛び込んできた。その結果がこれだ。水を浴びるだけに留まらず、血まで流している。
「…私の、せい…?」
 ガラスが割れ、水槽から次から次へと水が溢れ出ている。床に水がどんどん浸水していく。このままではファイが助かる確率がより低くなってしまう。そんなこと、アクアもわかるはずだった。…思考が正常に働いているのなら、だが。今のアクアはあまりにも無力だった。
『お前はお前のできることをやれ!!』
 ファイの言葉がアクアの中で響く。その言葉は、先程アクアに勇気をくれた言葉とは違う意味でアクアに響いた。この言葉はもはや希望ではなかった。絶望、だ。
「…所詮、私には何にもできなかったんだ…!!」
 そう言い、アクアは泣き崩れた。
 何もかも、失ってしまう。五年前、リーフがいなくなってしまったように。今度はファイが。アクアにとって一番大切な人が。そして、それは他ならない、自分のせいだと。自分が無力だからだと。いつまでも水の神になることを決心できず、迷っていた自分のせいだと。もし、アクアがもっと早く決意をしていれば、この場を何とかして治められたかもしれない。…最も、もう遅いが。

















*











「ファイ!!ファイ!!」
「落ち着け、リーフ!」
「けどっファイが!」
 一方、水族館から少し離れた人目に付かない一角に二人の少女がいた。この事件の張本人、リーフとオルであった。
 そのリーフがファイの名を叫び、水族館へ向かおうともがいていた。そんなリーフをオルが何とか押さえつけていた。
「ファイがっこのままじゃ…!」
 火の神が大量の水を浴びると死んでしまうということはリーフもよくわかっていた。そして、出血しているとなれば尚更。にも関わらず、アクアは取り乱してしまっていて、何にもしようとしない。
「…水上アクア。強い神力を感じたんだが…。所詮、この程度か」
 リーフが取り乱しているのに対し、オルは冷静に現状を見つめ、分析していた。そんなオルの瞳は冷たく、一つの命など、何とも思っていないかのようであった。
「オル!離してよっ!!私、ファイをっファイを…!」
 そう言うリーフの瞳には涙が。リーフはファイが好きであった。五年前も。そして、離れてしまった今でも…。
「リーフ」
 それでも尚、オルは冷たい瞳を放つ。冷たい視線をリーフに向け、感情の感じられない事務的な冷たい口調で言い放った。
「そんなことじゃ“目的”は果たせないぞ…?わかっているのか?お前がしようとしていることは…」
 オルの声を聞いているのか、聞いていないのか。それはリーフ以外、誰にもわからない。オルを無視し、リーフは叫んだ。
「水上アクア!馬鹿アクア!あんたがそんなんでどうすんの!?あんたが助けないで…誰がファイを助けるのよ!?」
「おい、リーフ!」
「大切な人、失っていいの!?答えなさい、水上アクア!!」
「リーフ!」
 次の瞬間、リーフをオルは殴ろうとした。オルの手は普通の人間の手ではなかった。いや、人の手の形は成していた。しかし、彼女の手の回りにはゴウゴウと燃え誇る炎があった。炎の拳。…それは、まるで火の神のようであった。
 オルはリーフを殴る直前で手を止めた。それで、やっと、リーフも止まる。リーフはわかっていたのだ。止めなければ、死ぬのはファイではなく、自分だということが。
「そんなことじゃ水上アクアを殺せないぞ…?」
 先程より冷たい瞳で、冷たい声で、オルは言う。リーフ以外の人間がこの時のオルを見たら、きっと誰もが凍りつくであろう。リーフはびくりと肩を震わせたものの、オルのこの態度には少し慣れていた。
「…わかっているわ」
 リーフは俯き、名残惜しそうに水族館を見つめた。
 オルはリーフの相方ではあるものの、お互いにお互いを完全に信頼しているわけではない。互いに互いの目的の駒として利用しているだけだ。だから、駒が不要だと感じたらオルはすぐにリーフを消す。そして、それを何とも思わない。それはリーフが一番よくわかっていた。
「後片付けは“全”がやる。帰るぞ」
「…ええ」
 オルが先にどんどんと歩くのを追いながら、リーフはまだちらちらと水族館を眺めていた。
「…アクア……。お願い……」
 ファイを助けて、と。リーフはオルに聞こえないよう、小さな声で呟いた。その呟きは彼女自身にも聞こえないのではないか、と思うくらい小さな声であった。





*




「リー…、フ?」
 アクアはふらふらと力なく立ち上がる。そして、辺りを見渡す。
「ねぇ、どこかにいるの?リーフ?」
 しかし、アクアの声は虚しく、水族館に響くだけ。リーフの耳に届くはずがない。リーフはついさっき、オルと共にこの場を去ってしまったのだから。
『…アクア……。お願い……。ファイを助けて』
 誰にも聞こえないのではないか、というくらいの小さな呟き。しかし、大きな願い。その声は確かに、はっきりと、アクアの耳に伝わっていた。
『お前はお前のできることをやれ!!』
 アクアは涙を拭う。すると、強い決意を込めたような、キリリとした顔つきになった。アクアはわかったのだ。自分が今、何をやるべきかを。まだ、何も始まってなどいないし、何も終わったいない、と。
「我水の神の血を引きし者なり。水よ、我の声に応えよ。移動(チューダオッ)!」
 アクアはそう言い、ファイの周りに手――正確には手から出ている水――で円を描いた。すると、その空間だけ、水が除けて行った。これも、水の神の力である。水の神は水を自在に操ることができる。だから、自分の周りに水を集めたり、除けさせたりさせるのは容易にできる。
 そして、アクアは自分が着ている服の裾を破った。アクアの綺麗な白い肌が露わになる。くびれのある美しい腹囲。流石は神の血を引く者、と言うべきか。
 その破いた服でファイの体を拭いた。大まかな水は先程の術で除けたが、ファイを濡らしている細かな水までは払いきれなかった。
 アクアはファイの体に纏わりつくつく水を拭うと、次に止血を始めた。アクアはファイの傷を見たとき、思わず吐きそうになってしまった。ファイの傷は思っていたより深かった。まず、ガラスの破片を取り除いていく。そして、破いた服を巻きつける。
“何故、だ…?”
 再び、頭の中に声が響いた。あの鮫である。
“何故、その火の神は危険を省みず、貴様を助けた?何故、貴様はその火の神を救おうとする?”
 アクアが作業をしているうちに水はかなり溜まりすでに天井まで届いていた。水槽が割れ、水道からは狂ったように水が溢れ、止まることを知らない。おまけに水道管は木の根で詰まっている。そんな状態では水が天井まで届いてもおかしくなないのかもしれない。まあ、それが起こること事態、どう考えても異常、なのだが。
『俺は…。もう、何も失いたくねぇんだよ…』
「…私もだよ、ファイ」
 アクアはファイの言った事を思い出し、そう返す。そして、鮫の方を見て、笑った。
「簡単だよ」
 鮫は不快そうに、まるで得体の知れないものを見つめるようにアクアを見た。
「私はね…。大切な人をもう二度と失いたくないの」
 アクアはそう言いながら、目を閉じる。そして、聞こえるはずもない、幼馴染に向かって心の中で呟いた。ありがとう、と。
「私、全部全部、護りたい。大切な人の笑顔も、想いも、命も。…だから、私強くなりたい!」
 アクアの決意。アクアの想い。それは正真正銘、アクアの意志であった。
“何を…。”
「それと、私ね。貴方のことも助けたいと思ってるの」
 そう言い、アクアは優しく微笑んだ。その笑みこそが水の神の本来の表情なのかもしれない。それは、水と人。そして、それらと海の生き物たちを救うべき神のあるべき姿。
 海の生き物は共存するべき者達。だからこそ、同じ地球に生まれ、同じ時を生きている。時には人が、海の恵みに感謝し、魚や海藻、貝を生きるために食す。古来、人と海、海の生き物たちは共存してきたはずなのだ。しかし、今はどうだ?人は海の恵みに感謝しているか?海の恵みを大切にしているか?海の恵みに感謝すること、大切にすること――…。それが、水族館などのように、海の生物を閉じ込めて、本当に良いことなのだろうか…?確かに、互いを知るのは大切なことだ。しかし、知るために海の生物を水槽という狭い世界に閉じ込めてしまって本当に良いのだろうか――?これが、本来あるはずの人と海の恵みの関係なのであろうか――?
 アクアは鮫に笑顔を向け、手を差し伸ばす。しかし…。
“ふざけるな…!!”
「え?」
“ふざけんな!ふざけんな!俺らをさんざんほったらかして人間の好きにさせておいて…。問題が起きたら、今更助けたい?ふざけるな!!ふざけるな!!”
 そう言うと、鮫はもの凄い勢いでアクアに向かって来た。鮫は口を大きく、開く。鋭く尖った歯がギラリと光り、アクアを覗く。噛まれる――!そう思ったアクアはファイの前に立ちふさがり、きゅっと目を塞ぐ。大切な人を護る為、護りたい…。アクアの背中からはそんな強い想いが感じ取れた。









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