□#02 記憶
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「…こんな所にいらっしゃったのですね」
「…海月」
 海巳様と話した後、アクア様の部屋へ行くとアクア様はいませんでした。火の神の野郎のところに行っているかもしれないという考えが一瞬…本当に一瞬、頭を横切りましたが、考えたくないので即座に脳内から消去しました。万が一の時は考えますが。家中を探し回り、やっとのことでアクア様が屋根に上っていることに気付きました。全く、おてんばで困ったものです。
「…今日は星が綺麗だから」
「七夕、ですからね」
 今日は七月七日。七夕の日に生まれたアクア様はその日に相応しいくらい素敵な方です。アクア様ほど綺麗ではありませんが、空には幾つもの星が瞬いていました。
「…アクア様?」
 気付くとアクア様は泣いておられました。綺麗な海色の瞳からは静かに透明な液体が頬を伝わっていました。泣いている姿も、とても美しいです。ですが…。
「ごめんね、海月…」
「アク、ア様…?」
「本当は私、ちゃんと“継ぐ”って言うべきだったよね…」
 ああ、成程。先程の式典のことですか…。気にするのも無理のないことでしょうね…。今水上家でそのことを全く考えていない方などいないでしょうから。そして、それが主役であるアクア様なら尚更です。アクア様の涙の理由がわからないなんて私はまだまだ未熟ですね。
『力を継ぐかは、貴女に決めて欲しいの』
「私、迷っちゃった…」
「アクア、様…」
 僕は…一体アクア様に何と声をかけたらいいのでしょうか?
『愛する者との何十年にも渡る別れ…。それが、何より、辛い…』
 置いて行かれる側もそれは同じなのです。 “行かないでください”そう言えることができたらどんなに楽なのでしょうか?ですが、僕の立場でそんな個人の想いを伝えるなど無礼もいいとこです…。むしろ、水の神になることを促すことこそが僕の為すべきこと。使命、なのです。
『…そんなに好きなら今すぐにでもどこかへ連れ去ってしまえば良かったのに…』
 …連れ去ってしまいたいですよ…。それが赦されるのならどれほど楽なのでしょうか?側近とか教育係とか、そんなくだらない役職を今すぐにでも放り投げ、このまま、アクア様の手を取り、遠い遠い所へと連れ去ってしまいたい。一生、傍を離れたくなどない。誰の手にも渡したくなどない。水の神になどなって欲しくない。ですが、そんなことは赦されないのです。水上家の上の者の目が気になるとか、自分の役職上、なんていう小さい理由などではありません。そんなものだけならば、もうとうにアクア様と二人で逃げています。アクア様を連れていけない唯、一つの理由…。
『ちょ、ファイ!』
『あんま、心配すんなよ。お前はいつも通りのお前だよ』
 僕は今もあの時もアクア様に言うべき言葉が見つかりません。あんな愛おしそうな顔をさせることもできません。
 もし。アクア様を連れ去るとしたら…。それは、僕ではありません。悔しいですが、火の神、火原ファイだけなのです…。
 ですが…。それも、できないのですよね…。神法第二五条人間及び他神との恋愛を禁ずる。アクア様も、そしてファイの馬鹿野郎だって知っているはずなのです。ですから、両想いにも関わらず、いまだにくっつかない…まあ、僕としては嬉しいのですけどね!…それでも。アクア様が悲しい顔をなされるのはすごく、嫌なのです。アクア様が悲しい顔をなさるのならファイの馬鹿野郎といて笑顔でいられる方がずっとマシなのです。
「…やはり、みんなと離れるのが辛い、ですか?」
 聞かなくてもわかる答え。当たり前なのです。大切な人との別れなんて大人だって辛いのです。それなら、十六の少女なんて、尚更…。
「それは…。そういうわけでは…ないんだけど…」
 アクア様は言葉を濁らせながら、声がしだいに小さくなっていってしまいます。言いたいことはおおよそわかりました。
「…それでは、何故泣いておられるのです?」
「………」
 我ながら、意地悪な質問をしてしまいました。気まずそうに俯くアクア様が可愛らしいとつい、なんて思ってしまうなんて、僕は意地悪ですね。…そんなこと考えているような状況ではないのですが。
「…誰にも言いませんよ。正直に話してくれませんか?」
 出来る限り、優しく笑顔で言う。そうすればいつもアクア様も安心なさって、話してくださるのです。
 それからどれくらいたったのでしょうか。僕がこのように言ってもアクア様は最初愛想笑いをして誤魔化そうとしましたが(これもいつものことです。)そんなことをしても無駄だとわかると、俯いてしまいました。これもいつものことですが、普段より少し長かったように感じました。しばらくすると意を決したかのように、空の星を眺め、次に僕の顔を見ると、やっと話してくれました。
「…辛いよ。みんなと離れるの」
 よく、言ってくれましたね。褒める意味でアクア様の頭を軽く撫でる。髪がさらさらで綺麗だなー、と思わず惚れ惚れとしてしまいました。アクア様が間をおいてから、言葉の続きを言い出し、はっとします。全く、情けない。
「けど、さ。海巳姉は十歳の時にみんなと離れたんでしょう?」
 海巳様はアクア様より4つ上でアクア様が六歳の時―――つまり、海巳様が十歳の時に海へ出られました。親も親族も友人もいない、そんな環境へ十歳という幼さで、広い海へと。
『愛する者との何十年にも渡る別れ…。それが、何より、辛い…』
『…でも、だからこそ、大切な妹に、重荷を、背負わしたくなんかない』
 先程の海巳様との会話を再び思い出す。全く、あなた達姉妹は…。
「海巳姉、きっとその時、辛かったよね…」
 そう言い、アクア様は泣かれた。
 何故、あなた達はそんなにお優しいのですか?何故、人の気持ちをそこまで考えることができるのですか?
「…私、海巳姉にもう、そんな想いはして欲しくなんかないよ……」
 僕は十六年間、貴女様の成長をずっと見ておりました。だからこそ、貴女様のことはわかっているつもりです。貴女は、昔から…そうなのです。優しすぎます。優しすぎる故に自分を犠牲にしてまで、他者を幸せにしようとするのです。“あの時”のように…また、自分を犠牲になさるのですか?…僕は、もう、見たくないんですよ…。貴女が泣いて闘うのも。辛い、想いをするのも…。
「だから、私…」
「だからって!」
 アクア様の言葉を遮るなど失礼もいいとこ。それでも…僕は、耐えられなかったのです…。
「海巳様のために、自分を犠牲にすると、言うのですか!」
「っ、それ、は…」
 俯くアクア様。ああ、僕は…。僕は…。
「…貴女を、大切に想っている人の気持ちも…少しは考えて下さい」
 こんなことを言うつもりなんかじゃないのに…。
 気付くと、僕は泣いていた。ああ、しょっぱい。頬を伝って流れる涙。全く、情けない。僕は、側近失格ですね。本来なら、水の神になる貴女の背中を押すべきなのに。
「…失礼します」
 これ以上、アクア様を見れなくなり、僕は屋根の上から降り、自室へと向かった。先程まであんなに美しく、輝いて見えた星が泣いているようにさえ見えた。
 空を眺めると、流れ星。それがまるで遠くに行ってしまうアクア様に見えてしまい、「行かないで、下さい」と、流れ星に向けて手を伸ばしてしまいました。勿論、流れ星になど手が届くはずもなく、ただ、虚しさだけが残るのでした。












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