短編

□平和
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 古来から、日本には神様がいるんだって。うちのお婆ちゃんが言ってた。
 全てのものには神様が宿るんだって。だから、全部大切にしなきゃいけないんだって。全部感謝しなきゃいけないんだって。
 あと、形のないものにも神様がいるんだって。例えば、戦争の神様。勝利の神様。だから、日本は戦争で決して負けないんだって。
 だけど、お婆ちゃん。それって矛盾してないの? だって、全部を大切にしろ、ってお婆ちゃん言ったじゃない。…戦争は。全部を壊してしまうものじゃないの?












































 ――――1945年4月






「美代。悪いけど、これ洗濯してきてもらってもいい?」
「うん。わかった」
「ごめんね、美代。お母ちゃん、お兄ちゃんが戦争行くための準備しなきゃいけないんだ」
 そう言い、美代の母は美代の肩にぽんと手を置く。まるで励ましているようだった。けれど、そう言う母の顔の方が悲しそうで、美代はお母ちゃんを励ましたい、と思うのだが、結局いつも何も言えずにただ、黙って頷くのだった。
 美代の兄に赤紙が来たのはつい先日のこと。美代の一家には両親に祖父、そして美代と三人の兄がいた。祖父は既に亡くなり、父親は戦死した。二人の兄は既に兵隊として戦争に貢献している。そんな中、もう一人の兄も行ってしまうのだった。美代はまだ、十歳だった。
 美代は洗濯をするために川へと向かう。兄が戦争へ行くための衣類を綺麗にするのだ。美代たちはお金も食べ物も服も十分にない。着替えなんて満足にできない。だから、洗濯なんてしょっちゅうやるものではない。美代は四月とはいえ、まだ冷たい水の中に手を入れ、兄が出かけるために服をせっせと洗った。
 洗濯をしていると、川の水にぽたぽたと上から水が落ちては跳ね返り、綺麗な王冠型を作っていた。…美代の涙だった。美代はどんなに辛くても、母の前で泣くことはなかった。母ちゃんだって辛いのだ。それに先程のような顔を母ちゃんにはさせたくない…。美代は子どもながらにそんなことを感じていた。
 













*








 洗濯が終わり、洗い物を抱え、家に戻ろうと思った時だった。川で何かが、流れていた。随分大きいものだった。戦争の残骸であろうか?美代はそんなものが流れてくる前に洗濯が終わって良かった、と安心した。しかし、その安心もすぐに消えてしまった。その流れて来たものは人だった。
「大変!」
 美代は急いで川に入り、流れてくる人の元へ向かった。その際に折角洗ったものを地面に落としてばらまいてしまったが、それは大した問題ではない。それでころか美代はそのことに気付きもしなかった。それだけ、必死だったのだ。水は冷たく、ぞっとする。それでも美代はそんなこと気にもしなかった。人の命の方がよっぽど重要だ。
 流れていたのは若い男性だった。黒髪で日本人のようで、美代は安心した。まだ若いから兵隊だったのかもしれないが、目立った傷は見当たらなかった。
 美代の小さい体で男性を運ぶのは簡単ではなかったが、何とかして男性を川から出すことができた。
「あの!しっかりしてください!大丈夫ですか?」
「んん…」
 美代に揺らされ男は小さく唸った。それを聞き、美代は安心した。美代は自分の手元にあった布で男性の体をふいた。布はそんなに綺麗と呼べるものではなかったが、この時代のものだから仕方がない。
 男性はとても整った綺麗な顔をしていた。美代は男性の体をふきながらその美しい顔に思わず見惚れてしまいった。それだけ、男の顔は美しかった。まるで、人の形をしていながら、人ではない何かのような…。そう感じてしまうほど美しい顔だった。
 
 













*













 暫くして男性はようやく、目を覚ました。
「ん?ここはどこ、だ…?」
 男は頭を押さえながら、起き上がる。
「あの、大丈夫…ですか?」
 美代は男が頭を押さえているのでもしかしてどこかで頭を撃ってしまったのではないかと、心配になり、尋ねた。その一言で男性はようやく美代の存在に気付く。美代を一目見て、首を傾げる。そして、今度は川の方に視線を動かす。川を見て、男は全てを悟ったようだ。
「君が助けてくれたのか。ありがとう、小さなお嬢さん」
 美代は小さく頷く。そして、そのまま俯き、男性を見ようとしない。見ないのではない、見えなかったのだ。男性の顔は美代が直視できなかいほど、美しく、輝いていたのだ。男性の黒い瞳にはどこか不思議な力が感じられた。
「お主、名を何と申す?」
「…美代」
「美代、か。良い名だ」
 そう言うと、男性は美代の顎をぐい、と挙げ、自分の顔を見えるようにした。男性の顔はやはり、美しかった。その美しさに美代は紅潮した。その美しさから目を剃らしたいと思った。しかし、美代の瞳はなにか強い引力に吸い込まれるかのように、動かない。美代はじっと男性を見つめた。そこで美代は今更だが、男性の服装が戦争中のものとは思えないほど、美しく、綺麗であることに気付いた。あちこちに金の装飾があり、輝いていた。まるで、何かの絵に出てくる神様のようだった。
「美代よ。何か望みがあるか?礼をしよう。何でも申してみよ」
「のぞ、み?」
「そうだ。何でもよいぞ」
「本当に、何でもいいの?」
「うむ。何でも申せ。叶えてみせよう」
 願いを挙げれば限がなかった。それでも、美代が今一番、叶えて欲しいことがあった。
「お兄ちゃんに戦争に行って欲しく、ないよ…。お母ちゃんに笑って欲しいよ…。」
 そう言うと美代はぼろぼろと涙を流し、泣いた。声をあげ、泣いた。まるで、今まで辛かったことを全部出しているようだった。
「よしよし。辛かったであろうな?もう大丈夫ぜよ。我が必ずその望み、叶えてみせよう」
 そう言うと、男性は美代の頭を撫で、涙を拭った。そして、落ちていた、洗濯物を拾う。
「すまぬ。我のせいであろう」
 そう言い、男性は洗濯物を宙に投げた。まるで、鳥のようだった。
「一、二、三…!」
 男性がそう言った瞬間、強い風が吹いた。その強い風に美代はきゅっと目を瞑った。だが目を瞑らずにはいられないほどの強風であるのにも関わらず、不思議と不愉快には感じなかった。それどころか心地よく、なぜか懐かしいと感じてしまう風。
 そして、不思議なことに洗濯物は次の瞬間、綺麗になり、美代の手元にすとんと落ちてきた。
「す、ごい…」
 美代は目を輝かせた。手品であろうか。それとも魔法か。どちらにしても、この男性がしたなら驚かない、美代はそんな気がした。
 男性は美代の頭を再び優しく撫でる。そして、歩き出した。
「また、機会があったら会おう。素敵な御嬢さん」
「待って!!」
 美代は思わず男性を引き留めた。男性に対して聞きたいことは山ほどあった。
「あなたは…一体誰なの?」
 美代はそれが不思議でならなかった。男性が華美な格好をしていること。そして魔法を使えること。
 男性は美代に向かって微笑むかけるとこう言った。
「神だ」
 そう言うと、男性は風と共に消えて行った。とても美しい、気持ち良い風だった。
「神、様……。」
 美代はそう呟くと、先程の洗濯物を見た。綺麗に汚れが落ちただけではない。新品になっていた。
 美代はあの男性が神でも特別驚きはしなかった。ただ、嬉しかった。
「ふふ…」
 美代は新品の服に顔をうずくめ、笑った。綺麗な風が美代の綺麗な髪を撫でた。





































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