短編

□チューリップ
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 家まで送って行くと、千友梨さんを説得するにはだいぶ時間がかかった。千友梨さんは最後の最後までしぶっていたが、俺だってひかない。結局、俺が千友梨さん宅まで送り届けることになった。
 住所を聞くと、ここから歩いて行けるような距離だった。何故迷子になるんだ、と尋ねたいくらいだ。まあ、目が見えないし、外に一人で出たことがあまりないと言うなら仕方ないことだけど。
 俺は千友梨さんの手を握り、喫茶店で会計を済ませ、歩き出した。
「あの、お金…」
「ああ…。いいよ、入ろうって言ったの俺だし」
 それにこーゆーのは男が奢るもんなんだ。コーヒーなんて大したことないし。それでも千友梨さんはなかなか引かなかったが、俺が断固お断わりしたもんだから、ついには諦めた。
「柊木さんはとてもお優しいのですね」
「そんなことないと思うけど」
「そんな柊木さんにはきっと回りが味方してくれますよ」
「……あっそ」
 変なことを言う子だと思った。一体彼女は俺の何を知っているというのだ? いや、何も知らないだろう。なのに…。





*




「優音!優音っ!」





 俺には昔、友達が沢山いた。友達の中には悪ガキも沢山いたし、俺も実際そうだった。よく悪戯をして、その度に大人に叱られた。でも、それが楽しくて、楽しくて仕方なかった。
 友達と色々な場所に行ったし、秘密基地も作った。だから、裏道とか近道にだって詳しい。
 あの時の俺は、毎日がきらきらしてて、楽しくて、仕方なかったんだ。
 なのに。

「優音の良い所は優しいところね」

「その優しさは絶対、無駄にならないから、一生の宝にしなさい」

 …嘘吐き。
 そんなの、大嘘だ。
 優しさ、なんて…ただ、俺が損をするだけなんだ…。

「優しい音と書いて優音。本当に優しい子になってくれて嬉しいわ」

ごめん、父さん。母さん。俺はもう、優しくなんか…ないんだよ。
だって…優しくして、あんな想い…。もう二度としたくないんだ。もう、二度と…。






*



俺は中学の時、サッカー部に所属していた。俺は部員全員とそれなりに仲が良かったし、部長の椿とは親友だった。

「くそ!」
その日の試合は完敗だった。特に椿のミスは多かった。それが相当きたみたいで、椿は壁を思い切り殴った。壁に穴が開いてしまうのではないかと心配してしまうほど大きな音だった。
「椿。元気出せよ。今回の反省を次に生かせばいいだけの話だろ」
「んなこと言ったって…。前回だって…」
 確か、前回の試合も椿はミスを連発していた。最近、椿は調子が悪い。本人もそのことを相当気にしているらしい。
「そんなの誰だってあるし」
「けど…。俺のせいで…」
「そう思うなら、辞めれば?」
 酷い言葉を吐き捨てたのはキャプテンの勝だった。
「勝…。そんな言い方しなくたって…」
 椿だって、頑張ってるんだよ。
「ふん」
 勝はそのあと、何も言わず、スポーツバックを片手に持ち、ドアを勢いよく蹴って出て行った。
「…何だよ、あいつ」
 勝の一言がさらに響いたのか、椿は今度は壁を蹴った。他の部員はさきほどからの一部始終を見て、いずらくなったのか、「お疲れ様でした!」と小さく言うと、急ぎ足で部室から出て行った。
「椿! 気持ちはわかるけど、物に当たるのはやめろよ…」
「…ちっ」
 椿は舌打ちをすると、スポーツバックを持ち、扉に手をかけた。
「椿っ!」
 俺の呼びかけに椿は振り返らなかったが、立ち止まった。これは「何?」という合図だ。
「次、絶対勝とうな! お前なら絶対大丈夫だからさ! 今までずっと一生懸命練習してきたんだからさ! それは絶対無駄にならないからさ! な?」
 そう言って、笑った。臭い言葉かもしれないが、俺の本心だった。
 椿はそのあと、何も言わず、黙って、部室から出て行った。椿の姿が部室から見えなくなると、俺もスポーツバックを持ち、戸締りをして、部室を出た。
 椿と勝は仲が悪かった。椿は努力家な奴で、毎日部活が終わったあと、最低一時間自主練をしてたし、部活がない日も、テスト前も絶対にボールを蹴っていた。お世辞にも上手いとは言えなかった。それでも、前よりは格段に上達したし、平均以上にはできるようになった。そして何より、その努力が多くの人に認められた。その結果、部長になった。だけど、勝は全く逆だった。いつも用事がある、と言って部活に顔を出さない。そのくせ、試合には出る憎い奴だって、椿が以前言っていた。俺は、用事があるなら、仕方がないとは思うけど、椿からしたら、そんな奴は部活は辞めろ、らしい。けど、実力は確かだった。部の中では間違いなく、一番上手い。だから、キャプテンの座についている。椿は、ただ、悔しいだけなんだ。才能を持ちながら、真面目にやらない勝が、嫌なんだ。でも一方で尊敬もしている。だからこそ、ちゃんとやって欲しいのに、それが上手くいかなくて、最近空回りばかりしてるんだ。そんな二人を何とかしてやりたいと思うけど、何をしたらいいか分からない俺って本当頼りないよな…。




*

「いい加減にしろよな!」
 ある日、椿はとうとう勝にマジ切れしてしまった。部室で椿は勝の襟を掴み、睨んだ。
「おい、二人ともやめろよ!」
 急いで止めにはいろうとしたが、二人とも俺の話には少しも耳を傾けようとしなかった。
「何が?」
 喧嘩を売られた勝も負けずに椿を睨み返す。やべぇよ、こんな怖い二人見たことねぇもん!
「おい!」
「何って決まってんだろ! まともに練習も出ない、なのに試合には出る。ふざけんな! お前はちゃんと練習してる俺らにとって目障りなんだよ!!」
「はっ。足手まとい部長さんがよく言うじゃねぇか」
「んだとぉ!?」
「やめろ、椿!!」
 勝に殴りかかろうとする椿を必死に抑える。
「おお、怖ェ、怖ェ」
「やめろ、落ち着け。椿…。気持ちはわからなくもねぇけどさ…」
 勝の態度にイラつく椿は何度も勝に殴りかかろうと力を強める。
「勝もやめろ」
「はいはい」
 面倒になったのか、勝は椿に掴まれていた襟を直すと、部室を後にした。
「くそ、あいつマジムカつく!!」
「椿、気持ちはわかるけどさ。勝だって用事があるんだから、仕方ねぇだろ? 忙しい中、試合の日は都合をつけてきてくれてるわけだし…」
 俺がそう言っても椿は何も言わなかった。いつもなら、「そうだな。少し言い過ぎた」と反省の言葉を言うのに…。
「椿?」
「…お前さ、それ、本気で言ってるわけ?」
「え?」
 その時の椿の顔は一生忘れることができないと思う。あの時の椿の表情をなんて表現したらいいのだろうか。あきれ果て、疲れ切った冷めた瞳。俺は今までこんな目で人に見られたことがない。
「忙しい中都合をつけて試合に出てる? そんなの違うに決まってんだろ。練習に出ないのは面倒だから。なのに試合には出たいっていうあいつの甘さに決まってんだろ。どーぜ、練習に何か出ずに、あいつは遊んでるんだよ」
「そんなのわからな…」
「お前、さ。どっちの味方なわけ?」
 椿がさっきの冷めた瞳で俺のことをじっと見た。それがあまりにも怖くて、俺は「それは…」と言いかけて、結局何も言えなかった。
「お前の優しさは知ってる。けどさ、それ、重いんだよね。試合で俺がミスしたときにお前は励ましてるつもりでもさ、俺にとっては重いんだよ」
「え…」
「絶対なんて保証がどこにある? 俺の努力は無駄にならない? …全部、無駄になってんじゃねぇか」
「そんなこと…」
 俺は、この時、どうすればよかった? 何て声をかければ良かった? 続ける椿の言葉に俺は何一つ言えなかった。
「もうさ、俺に関わるの辞めてくれねぇか? お前といると…俺が辛いんだよ」
 そう言い捨て、椿は部室を出た。離れていく椿を追いかけることもできず、俺はその場に立ち尽くした。立っているのが精一杯だった。
 椿は俺から離れていき、部活も退部してしまった。
 俺の優しさって重い? 俺の優しさが人を傷つける? …なら、俺は。もう、優しくなんか、したくねぇよ。自分も、相手も傷つけちゃうなら…優しさ、なんて。この世にいらないんだ。




*





「柊木さん?」
 千友梨さんの声でハッと我に返った。どのくらい歩いたんだろう? というか、考え事をしていたのに、ちゃんと歩いていたのか…?
「え、何?」
「大丈夫ですか?」
「…ああ」
 彼女は何故、“大丈夫ですか? ”なんて言ったのだろうか。何を根拠にそう言った? 顔に出ていたとしても、そんなの見えないというのに。
 …優しさなんて、いらないと思った。
 あれから、俺は人と接するのが怖くて。自ら人との関わりを拒み続けた。結果、独りぼっちになってしまった。あれだけいた友達は俺の豹変ぶりに戸惑いながらも、元に戻るよう尽くしてくれた。けど、結局諦めて、みんな離れていった。勿論、椿も…。高校では、話しかけてくれる人はいたけど、俺があまりにもそっけなかったからだろう。俺の回りに、人はいなくなっていた。もう、毎日がつまらなくて、疲れてしまった。自分でそうしたら仕方ねぇんだけど。分かってんだけど。別にいいんだけど。
 なのに…。何故だろう。何故、俺は今、彼女に優しくなんかしているんだろう?











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