□支配者
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風に乗った潮の香りの中を、どこまでもどこまでも駆けていた。
雲ひとつ浮かぬ空は美しく遠い。
もっとゆっくりと見ていられたら幸せだったのに。





支配者




「…!……!!」
「……!!!」
駆けるふたりはほぼ無言だった。
無言だったが、声にならぬ声は交わし合い続けている。
そもそも駆け出した始めは叫び合いだったのだ。



いやぁやめて、おいかけないで。そんな鬼みたいな顔して刃物をかかげないで。
うるせぇ、余計なことを言うのが悪いんだろうが。追いかけてほしくなきゃテメーが立ち止まれ。



スタート地点は何処だったろうか。そうまで遠くではないが、すぐ側でもなくなってしまった。
居合わせることになった周りの連中も呆れるなり慌てるなりをしていたが、彼らが何かしら関わろうとする前に、ふたりのコースはどこまでも広がった。
建物の少ない土地で空がとても広く見える。包み込まれているようだ。
海が近く風は強く、しかし心地よい。
どこまで走ってもその世界は続いた。いや、もしかしたらそこまで走ってもいないのかもしれないが。

とにかく天の助は頑張りすぎて、別方面の新世界へと飛びかけていた。
OVERもめげぬ逃亡者をどうにかしないわけにはいかないと、鋏を持ち慣れた手にも薄ら汗を滲ませていた。



その後も行ったり来たりを交えつつ彼らの戦いは続いたが、言葉無き内にも埒が明かないことを理解する。
結局は通りかかった岩場を休憩地点と定めた。







「あ〜死ぬー」
「死ね」
「死にたくなくなったー」
「それでも死ね」
「やだー」
穏やかではないやり取りをしながら、天の助はぺたんと岩に背を貼り付けていた。息も荒い。
OVERの方は不機嫌そうに腰を降ろしていたが、呼吸は多少乱れているだけだった。
それなりには彼ららしい光景。
強いて言えば、叫び合うことも追いかけ合うこともしていないのが普段の彼らとは異なっている。



「…なみのおと」

天の助のぼんやりとした呟きに、OVERは眉を顰めた。
追いかけるのを止めてやったらこれだ。この軟体生物といいその周りの連中といい、わけの解らないことを言い出すのには人一倍長けている。
「そんなもんずっと前から聞こえてるだろうが」
「聞こえませんでした」
「ギャーギャー喚きやがるからだ」
「だって怖い人が追いかけてくるんだもん…」
「馬鹿め。大人しくしてりゃあ冥土の土産に聞くことが出来たろうよ」
「冥土の土産!?そんな穏やかさはいらねーよ!」
悟りを開いちまうじゃねーか、とそんなことをぼやきながら、天の助はのろのろと起き上がった。

問おうかと思った。
「まだやるか」と。
それで逃げだすのならまた斬り刻んでやればよかったのだが、何も言わぬ内に天の助は目を閉じる。
そして意味もなく深呼吸を始めた。
問いかけてやる気が失せた。

「んー」
気持ち良さそうにに伸びをする軟体生物を、OVERの瞳は訝しげに捉える。
「なんなんだテメーは」
「潮の香りってカンジ」
「あー、うるせェ」
波の音だの潮の香りだのという呟きは、マルハーゲ四天王最凶の男にとっては基本的に理解の外だ。
わざわざ唱うことでもない。彼にとって愛すべき血の香りすら、そんな風にしては感じまい。
「あ、見ろよOVER。あっちから海見えるぜ、海」
呆れている内に、軟体生物天の助はてけてけと走って行ってしまった。
隙を見た気かと思えばそうではない。
OVERの視界から抜け切らない、広がる砂浜の端の辺りまで走って、何やらしゃがんで前だけを見ている。

(…………)

暫し座ったままそれに視線をやっていたが、やがてOVERも舌打ちひとつと共に立ち上がった。




「バカか」
骨のない背に声を浴びせると、その視線がこちらを向く。
「な、なんで?」
「何も考えずに背ェ見せやがって」
「…だってOVER、今は斬らないじゃん」
多少緊張の色の混じった声に、OVERは口角を上げた。
「今から再開してやってもいいんだぜ」
ええぇ、と情けない声とともに瞳が怯え瞬いた。
そうして引き攣らせるだけOVERは笑う。

天の助はひねくれているくせに、無防備に剥き出しにして受け止める。
鋏を構えてやれば泣いて、突き立ててやれば叫ぶ。
その後には恐怖を忘れてはまた無意味にこちらに絡み、痛みを忘れては引き裂かれて嘆くのだ。
それは刻めていないことの証であり、
しかし繰り返される限りは何も変わらない。己が領域の内に在り続ける。
OVERには、何ひとつ変えてやる気はなかった。

「そんな、いつも怖い顔してなくたっていいじゃねーかぁ」
「誰がそうさせるんだかなァ?」
「俺に決まってんだろ」
「…ほう?」
解ってんじゃねぇかと返す前に、天の助はいやんと品を作って飛び退いた。
「OVERも海でも見ようよう」
「生憎俺はロマンチストじゃねぇ」
妙に穏やかな時が流れているのは、天の助がすぐに退いてしまうからだろうか。
影響されていると思うと気に入らない。
「いいぜー海は」
海海と五月蝿い天の助に、OVERは今一度眉を顰めた。
「何が」
「俺の生まれた場所だし?」
「……」
腕をす、と広げて、天の助はその身を伸ばした。
吹く風をどこか懐かしげに吸い込んでいる。
「…それは蒟蒻じゃねぇのか」
「蒟蒻は芋じゃんか」
山だよ山、と続けてから首を傾げる。
「ああでも」
呟き、怯えは含まぬ瞳でOVERを見て笑った。
「全部最初は海だったって言うっけ?」



何もかもが海から生まれたという言葉を、その剥き出しの感情にどう受け入れているのだろうか。
その身体の源を海から得た。
海からすくわれ、望まれて人の手に産み出され、しかし生み出されたが故に望まれなかったと嘆く。
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