「いよいよ、ですわね〜」


そう言って

観世音は重々しい装飾が施された扉の前で立ち尽くしていた。




「いつかこんな日がやって来ると思っていましたけれど〜。いがいにも早かったですわねぇ」



これまで何件もの見合いを故意に破談へと追いやっていた観世音。

其れは偏(ひとえ)に弥勒へ愛を捧げ続けた観世音のせめてもの抵抗


だったのに。





「そろそろ…阿弥陀如来様のおっしゃるとーり覚悟を決めなくてはならないのでしょうか〜??」



義理の父親は其れを許してはくれなかった。



確かに、阿弥陀如来の言う通り女の幸せの一つとして『結婚』と言う選択肢もあったかもしれない。




だが―――




「ですが。けっこんする事が必ずしもおんなの『幸せ』とは限らないでしょう〜??」


彼女は酷く保守的で、だから一度足りとて『結婚』に夢を見た事は無かった。





勿論、愛する弥勒以外と結ばれたくない訳では無い。


観世音だって、自分がこんな厄介な考えの持ち主で無かったら幾らでも結婚したかっただろうし実際弥勒との結婚も何度か考えた事はあった。





しかし―――




「あなたが一生浮気をしないというほしょーが一体どこにありましてぇ??」
「あなたが私以外のおんなに目移りしないなんてほしょーが一体どこにありましてぇ??」
「そんな…確かなほしょーも無いのに、死ぬまで共にありつづけるなんて。今は幸せでもやがては辛くなるだけですわぁ」




永遠に愛される保証も無いのに愛する男へ想いを告げるのは臆病な彼女にとって死ぬ事よりも狂おしく。


そしてある種残酷な仕打ちだったから。





「だったらぁ。愛してもいない男に抱かれることのほーが楽なのかもしれませんわねぇ……」


愛する男に飽きられ、何時か捨てられてしまうんじゃないかと日々怯えて過ごすよりも

愛する男に幻滅され、やがてすれ違いが起きてお互い憎み合いながらもギスギスした日々を重ねるより




少しも愛していない男に身を委ね


何も考えず

何も感じず


ただあるがまま生きる方が楽なのでは無いのだろうか??と思った観世音は―――






「‥‥‥決めましたわぁ」


腹を括って、此の世で最も憎くて此の世で最も恨めしい男との縁談を受け容れる事にするのだった。








『あさきゆめみし ゑひもせす(浅はかな夢を追い求めたり酔いしれたりも、もうするまい)』










「まさか二つ返事で受け容れてくれるとは思わなかったよ」
「……‥‥‥」


クックック、と声を殺して笑う目の前の男の名は薬師如来といった。


彼は此処から遥か彼方に存在する東方の瑠璃光浄土から遠路はるばるやって来たのだが―――




「何がそんなにおかしいんですのぉ〜??」


にも関わらず

観世音は労いの言葉を掛ける所か声を押し殺し、未だに笑いを堪えている薬師如来をキツく睨み上げては冷たい声色でそう言ってやったのだ。



そうすれば



「いや、失敬」
「ただこうして改めて見ると‥記憶に残っている以上に君が美しかった事実が嬉しくなってしまってね」
「つい笑みを抑え切れなかったのだよ」


一束に結ばれた漆黒の髪を揺らしながらも、噂に違わぬ端整な顔をくしゃりと歪めて再度笑ってみせた。



其れは先程の品定めをする厭らしい笑みとは違って、まるで子供の様に無邪気な笑みだったので。



「左様でございますか〜」


褒められるのに慣れていた観世音はいつもの様に社交辞令的に流しつつも、しかし内心ではそんな笑みも出来るのだなぁと少しだけ微笑ましく思った。



なのに



「しかしてっきり断われると思っていたのだが‥嬉しいよ、観世音君」
「あらぁ??どうしてですのぉ??」



観世音の真意を探る様な彼の言葉が心に引っ掛かる。




「だって君は此の歳になっても一向に縁談を受け容れようとはしなかっただろう??」

キラリと


眼鏡越しに光る彼の瞳に一瞬だけ捕らわれそうになった。



だが、其れに気付かない振りをして観世音はニッコリ笑ったかと思うとこんな事を言い出したのだ。





「あらぁ、薬師如来様ともあろーモノがそんな事を気にしていらしたんですの〜??」
「でもわたくしにだってえらぶ権利、とゆーものがありますでしょ〜??」
「焦ったあげく、不良物件をつかまされて泣き寝入り。なんてやりきれませんものぉ」




と。


そう、口元を妖しく緩めて冗談っぽく笑いながら言ってやれば



「…それもそうだな」

表面上は納得した様子を見せる薬師如来。


恐らく、聡い彼の事だから其の言葉全てが観世音の本心でないと見抜いているのだろう。




だから観世音も少し面倒臭いな、と思いながらも





「でもぉ。今回はめったにない良好物件でしょ〜??これを逃してしまう馬鹿なおんながいるのなら見てみたいですわぁ」

弥勒の前だって余り吐かない毒舌を思い切り吐いてやったのだ。




だって、此の男に好かれようだなんて思わないから。



観世音にとって、破談になるのが勿論一番望ましい展開だ。

しかし、義理の父親である阿弥陀如来の顔を立てるのなら断わる訳には行かない。



かと言って阿弥陀如来の言い成りになり、此の男と毎晩夜を共にするなんて弥勒を心から愛する観世音には何よりも耐え難い苦痛だったから。





「わたくしが考えるにぃ、夫となりうる殿方にはみっつの素養がひつよーだとおもうんですのぉ」
「ひとつは経済力」
「もうひとつは容姿」
「そしてさいごに〜‥たがいを十分知ってから体の関係をもてるくらいの誠実さは外せませんわぁ」
「ねぇ、薬師如来様もそう思いませんこと〜??」


彼女はここぞとばかりに無理難題を押し付け、嫌な女を演じてやったのだ。



そうすれば嫌われるだろうと思ったから。

そして流石の薬師如来でも幻滅し、心が離れて行くと思ったから。






ちなみに



観世音が薬師如来に抱いた第一印象はなんて胡散臭そうな男だろう。

其の一言に尽きた。



だが、意外にも言葉の端々から誠実さを感じさせる其の力強くてハッキリした物言いは嫌では無かった。



寧ろ、好感が持てたからこそ―――






「だってぇ。ものごとは急いたら失敗するのが世の常(つね)でしょ〜??」
「世の常、ね」



彼女は距離を置きたいと思ったのだ。

有り得ないとは思っている。



だがもしも万が一、弥勒以外の男を愛する様な事があったら??




そう考えると怖くて怖くて仕方なかった。


そして弥勒以外の男に心はおろか、身体も許すつもりは無かったので。





「とはいってもぉ。いくらわたくしでも成人男性に禁欲しろなんてコクなことはいいませんわぁ」
「だから代わりにぃ。薬師如来様もえんりょなく他のおんなを愛人にしていいんですわよぉ」
「そのための一夫多妻制ですもの〜」



彼女は先手を取ってやったのだ。




暫くの間床を共にしない仮面夫婦になるか

或いは外で女を作る浮気な亭主になれとでも言わんばかりに。




けれど―――




「君は面白い事を言うな」
「!!」
「確かに夫となりうる男には其れなりの素養が必要だろう。だが‥最後の条件だけはいただけないな」
「―――ッ」



不意に薬師如来が椅子から立ち上がったかと思うと




「きゃっ///」


文句を言う前に素早く抱き抱えられ、隣の部屋に移動したかと思うとそのまま寝台の上に投げ捨てられてしまった。



ボスンッ



「いっ‥…」


瞬間、鈍い痛みが半身に走る。

だが婚約者である男は小さな小さな観世音の華奢な身体を寝台に押し付けては




「残念だが観世音君。君は私の求婚を受け容れた。よって拒む事も、逃れる事ももう許されないのだよ」
「あっ…///」


彼女の耳元で妖しく、そして至極色気のある声で囁いてみせたのだ。




ドクリ―――


観世音の心音が大きく高鳴る。

更に




「其れから。生憎私は君以外の女には興味無いんだ。此の先も一生君だけを可愛がってあげるから。せいぜい良い声で鳴きたまえ」
「いやっ‥‥///」


抵抗する前にビリリと乱暴な仕草で服を剥ぎ取られた。


そうすれば、薄い布地で覆われていた観世音の秘めたる部分が姿を現し



「み、見ないでくださいましっ///」


其れと同時に白い彼女の肌がほんのりピンク色へと変わっていったから。




「フフ、良い格好だよ。観世音君」


ギラギラと、野獣の様な雄雄しい瞳を向けた薬師如来はそのまま愛する女を無理矢理組み敷いてしまうのだった―――



※続きます

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