此の世に『幸福の定義』なる物がもしも存在するとしたら。


今の耶輸陀羅には、胸を張って答える事が出来る自信があった。



何故なら―――



「だって。今が其の幸福の絶頂なのですから‥///」



今まで遠回りをしていたかもしれないが。

今まで沢山苦しんで泣いて傷付いてきたかもしれないが。



今存在する幸福に勝る物など何も無いと、心から思える程



「私は、貴方に出逢えて本当に幸せです。ねぇ、閻魔様‥‥///」

彼女は想い人から愛される喜びを全身で噛み締めていたからだ。



そして其れは

最早彼女自身が定義と言っても過言では無いほど満ち足りた笑顔での呟きだった。







『暁の逢瀬』







「おいおい、嘘だろ??まさかお前がホントーに耶輸陀羅様と結婚しちまうとはなぁ」
「嘘とは聞き捨てならんなぁ、兄上。祝言くらい素直に言ってくれても良かろうに」


そう言って

闇夜に浮ぶ美しい満月をぼんやりと眺めながら兄弟である男達はハハハ、と笑いあってみせた。




「祝言、ねぇ。悔しいけど‥そうだな。耶輸陀羅様の事はおめーに任せるから。絶対、幸せにしてやれよ??」


カラン、と

グラスに並々注がれたワインが揺れると共に中の氷が音を立てる。



普段、兄である男が多忙なせいもあって


こうして兄弟水入らず、腹を割って杯(さかずき)を交わす事は少なかったが―――





「分かっておるさ」
「兄上に心配されずとも‥耶輸陀羅は我が此の手で必ず幸せにしてやろうぞ」
「今までの苦労させた分、たっぷりと甘やかして。蕩ける程の愛を注ぐつもりだ」



永い永い時を生きてきたにも関わらず


好色で、俗物的で色欲に正直であるが故に今まで平然と女を遊び捨てていた弟が




こんな風に、たった一人の女を真剣に愛する日が来るなんて―――



そう、心から感動した兄の地蔵菩薩は



「そうしてやってくれ‥…」


秘められた自分の恋心を押し殺す様に、少しばかり切なそうな声色で答えるのがやっとだった。



そして、そんな兄の想いに薄々勘付いていた経験豊富な閻魔大王は




「あぁ、言われずとも。兄上の分までな…」
「!!!!!」



わざとハッキリ口にしてやったのだ。


其れは意地悪でも牽制でも無く

最後の最後まで、自分と耶輸陀羅の味方をしてくれた兄に対する敬愛の表れだったのだが。





「…‥コノヤロウ。人が気にしてる事を」


ニヤリと、兄である男が笑ってみせたので。


そういう後腐れの無い、サッパリした性格の兄を何だかんだ慕っていた閻魔大王も笑って




「しかしまぁ。披露宴には当然奪衣婆(けんだば)も呼ばねばならんのだろうなぁ」


と、半分ふざけた口調でボヤいてみせた。



すると



「げぇっ!!マジかよ〜、奪衣婆も呼ぶなんて‥冗談だろ?!」


恐ろしく気が強くて、兄である男達でさえ滅法頭の上がらない妹の存在を思い出した地蔵菩薩はまるで面食らった様に顔を顰(しか)めてみせた。



そして


「止めとけ止めとけって、せっかく雅(みやび)な披露宴が台無しになっちまうぞ??」


冗談交じりで軽く反対してみるが―――





「そうもいかんだろう」
「奪衣婆と兄上のお陰で、耶輸陀羅も無事地獄に辿り着く事が出来たのだ」
「しかも確か奪衣婆は耶輸陀羅と面識があるのだろう??」
「其の影の功労者を呼ばずして、式が成り立つ訳が無かろうに」


実に尤もらしい理由を掲げ、閻魔大王はキッパリと兄である男の提案を蹴ってやった。



だが、しかし。



「とか何とか言ってよ〜お前ホントは奪衣婆が怖いんだろ??」
「うっ‥‥…!!」


本音を言ってしまえば


兄同様、めっきり妹である奪衣婆に頭の上がらなかった閻魔大王は単純に式の参列を断われなかっただけである。



あの奪衣婆の事だ。


出席を控えてくれ、なんて言ったらどんな嫌がらせを受けるか分かったモノではない。



そう思っていた兄弟は、は〜。と深い溜息を吐いてみせたのだが―――





「ま、何にせよめでたいこったぜ」
「……‥兄上」
「って、何しけた面してんだよ。俺の事は気にすんな!!お前に負けないくらい美人の幼女を今に捕まえてやったから。今日は祝いがてらパーッと飲もうぜ!!」
「そう、だな」



バシバシと無遠慮に肩を叩かれ、痛みを覚えつつも



兄である男からの祝福に、閻魔大王は喜びを隠せないのであった―――














其れから暫くして。



「ふぅ‥‥…」


久々に羽目を外したせいか、少し飲みすぎたか??と思った閻魔大王が部屋に戻ってみれば。





「あ、閻魔大王様」
「!!!!!」


てっきりもう布団に入って先に寝ているだろうと思った己の妻が起きて待っていたので



「耶輸陀羅姫、何故…??」


純粋に疑問を抱いた閻魔大王は驚きを隠せず、マジマジと晴れて己の妻となった女を見詰めてやった。



そうすれば。



「嫌ですわ。姫、だなんて。もう他人で無いのですから。もう姫なんて呼ばないで下さい」


ふんわりと

柔らかな笑みを浮かべた耶輸陀羅にそう言われてしまったので。




「そう、だったな。済まぬ、耶輸陀羅よ」


改めて


愛して愛して止まなかった女がようやく自分のモノになった実感を覚えた閻魔大王は、少し照れ臭そうにそっぽを向いてみせた。




そしてそんな閻魔大王を心から愛おしいと思った耶輸陀羅もフフ。と小さく笑っては




「いいえ、でも‥こうしてせっかく夫婦になれたとはいえ…どうしても大王様のお顔が見たくて眠れなかったのです」

と、素直に自分の気持ちを打ち明けてみせたのだ。




そうすれば



「……嬉しい事を言ってくれる」
「あ///」


愛する女のたった一言で胸の奥が熱くなり、嬉しさを覚えた閻魔大王はサッと彼女の腰に手を回し



そして




「だが。我はこのままあっさり其方を寝かせてやる程優しくは無いぞ??」
「ッ///」


軽々寝台へと運んでしまったのだ。



トサリ。

身重の彼女を気遣ってか、優しく下ろしてくれる閻魔大王。





口ではそう言うけれど、しかし元夫よりも遥かに優しくて包容力のある閻魔大王の気遣いが嬉しくて。



嬉しくて

嬉しくて


嬉しくて仕方なかったから。





「はい///覚悟の、上です!!」


耶輸陀羅は甘える様に彼の首に腕を回し、そっと大きな其の瞳を閉じてやるのだった―――



※続きます

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