桜ノ少女

□過去編5話 前
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その日は、俺が十三の誕生日を迎えてから、ひと月経った日だった。
夜兎の血を引く母と、純粋な陽桜の父との間に生まれた俺は、辺境の星で家族とひっそり暮らしていた。
父以外の陽桜族は見たことがないが、どんな種族なのかは少しだけ知っていた。
混血とはいえ、敵対する夜兎と駆け落ちした父は、なぜかいつも観察するような目で俺を見ていた。
その視線の意味をようやく理解したのは、その日だった。

突然家の扉が乱暴に壊され、知らない男と、その男に武器を突き付けられた母が入ってきた。
俺の姿を見るや否や、「逃げなさい!」と叫び―――、母は倒れた。
酷く冷たい男の目が、俺をとらえる。

その瞬間、一切の音が消えた。

体が動かない。
全身の筋肉が硬直したかのように、全く動かせなくなった。

嗚呼――――、あぁ、これが殺気か。

ドクドクと心臓がうるさく音を鳴らす。
圧倒的な力を前に、俺は凍りつくことしかできなかった。
俺を威圧したまま、男は動かない。
何時間にも思えたその静寂を、ひとつの影が断ち切った。

「……やっと来たか」

風のように現れた父が、男の殺気を遮るように、男と俺との間に立ちふさがっていた。
見たこともない程の怒りを滾らせて。
地を這うような低い声で、父は男に尋ねる。

「何をしに来た」

その問いに、男は眉を吊り上げた。

「分かっているだろう?妻の命が惜しければ、息子を渡せ」
「っ、子どもは関係ないだろう」
「その子は異能持ち。お前も注意して見ていただろう。しかるべき処置を取らなければならない。渡せぬというならばそこで妻が殺されるのを見ていろ。それが終われば次は貴様の番だ」

沈黙が落ちた。
心臓は相変わらず早鐘を打ち、手足は今さらがくがく震えだした。
…異能持ち。
陽桜の血を半分しか受け継いでいない俺が。

「……安心しろ。しくじらない限り、死にはしない」
「殺す、の間違いだろう」
「いいや。今、ある計画が立てられていてね。春雨に間諜として行ってもらう」
「な―――ッ!」

“春雨”の名に、俺と父の目が見開く。

「ただ、戦闘員では死ぬリスクが高い。お前の息子がどれほどの腕なのかは知らんが、戦闘員はやめておいた方がいいだろう」
「………」
「お前のことだ。自分の知識くらい、もう渡しているのだろう?」

男が口を歪めた。
笑ったのだ、と気づくまで数秒かかった。
父の表情にはもう怒りはなく。
かわりに、焦りと葛藤が見え隠れしていた。

「春雨の医療班に入り、地位を手に入れろ。お前は保険だ、息子。両親のため、陽桜のために生きろ」
「待て!なぜ――、なぜ族の者にさせない!?」
「春雨には夜王がいる。奴なら気づくかもしれん、が。混血ならどうかと思ってな」

夜兎の王、夜の王、鳳仙。春雨第七師団を作った男。
同族でさえ歯が立たず、ただ一人――星海坊主だけが互角に闘ったという。

「最近、夜兎も陽桜も殺気立っている。いつまた潰し合いが起こるか分からないからな。昨日も夜兎の星へもぐりに数名が去って行った」
「……そうか」

夜兎の星は雨が多く、太陽が顔を出さないことが多い。
そのため、太陽に強いとはいえ姿形が似ている陽桜の者が紛れ込んでもばれることはない。
服装を変え、番傘を片手に、何ともない顔をして。

父も、そうだったらしい。

争いが起こった時、陽桜族の血を何が何でも残すための“保険”。
だが、父は星で母と出会い、恋仲になってしまった。
悩みながらも両親が出した答えは、駆け落ちだった。


もしかしたら。もしかしたら、俺のような子どもも他にいるかもしれない。
確率は低く、見つけることもできないのだろうけれど。
けれど、そう思うとほんの少し緊張が解けた。

「……行きます」

覚悟は決めた。
唇を引き結び、手を握り締めて男を見すえた。
震える心は無理矢理遠くに押しやって。
ごめん、と口に出さずに呟いた。

父が俺の名を呼ぶ。やめろ、と口が動いていた。

「俺の体で、家族が助かるなら」



そうして俺は、春雨に入った。
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