桜ノ少女

□第12話
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廊下を歩いていた悠南は、ふと立ち止まった。
周りに誰もいないことを確認し、口を開く。

「何者なの、あなたは」

ほとんど聞き取れないほどの、独り言のような低い声だが、それは聞く者がぞっとするような冷たい鋭さを持っていた。
真選組でいつも見せていた柔らかい笑顔は消え去り、代わりにあるのは能面のような白い顔と、その中で冷たく光る瞳。――春雨の人間の顔だった。
もし、沖田や土方、もしくは神楽や銀時が今の悠南を見たら、彼らは武器を抜き取るだろう。己の身を守るために、防衛本能に従って。

「私をどうしたいの」

数秒の沈黙が落ち――、やがて天井で微かな音がした。

ぎしぎしと悲鳴を上げ、天井の板が外れた。そこから、一人の男が出てくる。
悠南と同じ顔の青年が。
広い宇宙を知る悠南でも見たことのない服を纏う青年は、音も立てずに床に降り立った。
その顔は、悠南と同じ、全くの無表情だった。

「俺はお前の兄だ、悠南。名を麗夜という」
「……そう」

大方、予想通りの言葉に、悠南は麗夜を見上げる。

「それで?」

その時だけ、悠南を見下ろすアイスブルーの目が、一瞬だけ柔らかく微笑んだような気がした。

「俺とお前は陽桜族だ」

聞き覚えのない単語に、眉をひそめる。

「夜兎と敵対していた戦闘部族だが、夜兎と春雨両方に危険対象と見做され、数を減らされた部族だ。奴らは全滅したと思っているようだがな。まだ数十人ほど残っている」
「……地球に?」
「そうだ。春雨や、夜兎に見つからない場所。それはどこだ?」

春雨や夜兎に見つからない場所。つまり、その二つが絶対に訪れず、情報もない場所。
それは――

「……日差しが強く、都会から離れている田舎」
「正解だ。間諜もやっているだけあって、頭の回転も早いようだな」
「春雨の団員だもの。取引は主に江戸か京。地球は日がよく照っているし、田舎や山の中に行ってしまえば、そうそう見つかることはないんじゃない?」

麗夜は無言で頷く。

「それで――、私に何の用かしら」

それまでの淡々とした口調が、一瞬で消え去った。代わりにあるのは、鋭利で危険な、敵を前にした時の声。
僅かに後退しながら、麗夜が口を開いた。

「俺達はお前を迎えに来た。悠南、陽桜族のために戻って来い」
「…………」

沈黙しながら、悠南の頭は物凄い勢いで回転していた。
この男の狙い、自分を陽桜族に引き入れた時の利益、今の打開策、そして――

(情報の提供者は、誰なのか)

絶滅したと思われている陽桜族は、身分を証明できるものが何一つなく、地球から出られないはずだ。
悠南が春雨にいるのも、今真選組に間諜として入り込んでいるのも全て、春雨の何者かが教えないと知ることができない。いや、それとも――

(陽桜族に接触させ引き入れるために、わざわざ私を指名し地球に行かせた?)

そうなると、内通者は地位が相当上の者だ。計画も、何年もかけて進ませなければいけない。
想像していた以上のスケールの大きさに、悠南は唇を噛んだ。

だが、今ここで答えを出さなければ、この男は動かないだろう。誰かを呼ぶという手も考えられるが、物事を大きくしたくない。

内心苦渋に苛立ったが、それを表に出さずに口を開いた。

「……行かないわ。私は春雨の人間。ここであなたと戦うことになっても、陽桜族には戻らない」

真選組には、もう用はない。さっさと帰り、内通者を探して――
だが、探して見つかったところで、悠南の中で何かが変わるわけでもない。それに、神威のこともある。

(今頃……始末書に追われて阿伏兎さんの隈が最後に見た時よりひどくなって、やつれてるんでしょうね……)

想像して嫌になってきた。
帰って早々始末書三昧生活。いくら悠南でもそれは嫌だ。
それでも、

「私は春雨に、帰らなければいけないから」

あそこが、自分の帰る場所だから。

「………そうか」

麗夜が微笑む。相変わらず感情は読めないが冷酷さが消えた目で、悠南も薄く笑った。
この青年から、悪意が全く感じられなかった。自分を刺したのは夢だったのかと思えるほどに。

「……上の者に掛け合ってみよう。こんなことを言っても信じないかもしれないが、悠南――」

いつしか、悠南を見下ろす彼の目は、妹を見るそれに変わっていた。

「俺は、できるだけ君の意思を尊重したい。たった一人の家族を大切にしたいんだよ」
「………そう」

これが演技なら、かなりの役者だろう。
同じ色の瞳を見上げ、妹は兄に言った。

「……天井、ちゃんと直して行って。私の身長じゃ届かないから」
「ああ」

柔らかく笑う麗夜に、悠南もいつしかつられていた。

(これが最初で最後)

もう一度、会う気などない。
さっさと真選組を辞めて、どこかへ身を潜めておけばいい。運がよければ、春雨が地球に来るかもしれない。
こちらの考えを読まれている可能性も充分あるが、それでも――

(私は早く帰りたいの)



春雨に帰る日まで、あと一月――。
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